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トランスジェンダーになりたい少女たち/ヘイトではありませんでした

最初に述べておきますが、最近のメディアで頻繁に見かける「LGBT活動家」は、必ずしも性的少数者の人権を守ることに焦点を当てているわけではありません。
活動家らは、身体的性差による社会的不均衡を無視・軽視したり、当事者の間でも賛否両論のある制度を「性的少数者の総意」として押し進める傾向が見受けられます。
セクシャルマイノリティの当事者は一枚板ではなく、様々な立場や意見を持っています。
しかし、ごく一部の極端な意見を制度として社会に押し付けるため、セクシャルマイノリティ当事者からの批判さえも「LGBT差別」と印象操作する場合があります。
こうした活動家や彼らの支持者による「性的少数者差別に反対」という主張には、信頼性に疑問を抱かざるを得ませんし、多くの当事者にとって有益ではないことの方が多いです。
特に、「性自認は尊重するけれど、身体性別を無視・軽視する」勢力により、身体的女性を愛するシスレズビアン(身体的女性の同性愛者)が糾弾されるケースが散見されるようになりました。また、公共施設で迷惑行為に及ぶゲイ男性を、同じゲイ男性が諫める内部自浄行為を「同性愛差別」と曲解されることもあるようです。
私自身も性的少数者の一人ですが、性的少数者の多様な意見を無視する「自称反差別」の活動家や支持者こそが、女性や性的少数者に対するヘイトを助長する存在として問題視されるべきだと切に願います。



トランスヘイトではないが別の部分に問題がある


この本に関して、トンチキ活動家や支持者が「ヘイト本だ」と騒いでいました。
が、実際は「トランスヘイト」ではなく、医療過誤を指摘する内容でした。
トランスジェンダー個々人に対しては、むしろ理解を示しています。

しかし、この本に全く問題はないか? というと、本題とは別の部分に問題があると感じました。
例えば、親子関係に関して過度に楽観的であったり、女性観が固定化されていると感じる箇所がある等、本筋から逸れた部分に、引っかかる記述が多かったです。


批判されているのは当事者ではなく周りの環境と過剰な医療


著書の主張は、簡潔にまとめると以下の通りです。

  1. トランスジェンダーは尊重されるべきである。

  2. しかしながら、ネット上での扇動的な情報の影響で、トランスでない子どもまで、自らをトランスと認識する事例が増加している。

  3. そうした子どもらが、身体に大きな影響を与える医療処置を受け、後悔するケースも出て来ている。

  4. 若者のアイデンティティは変動しやすく、不可逆的な医療処置は元に戻せない。成人後の性適合医療は適切だが、未成年者に対する対応は慎重に考えるべきだ。

この本で述べられているような事象は、確かに存在します。

原著が出版されて以降、ジェンダー肯定医療の問題も表面化されるようになりました。

過去も現在も、メディアの影響で報告数が増加する現象があるようです。

多重人格に関しても、「現象があっても必ずしも多重人格ではない」場合があるそうです。

性別移行した人々の中には、再び元の性別に戻った人々もいます。

著者は、西欧文化における同性愛嫌悪が元となって「同性愛ではなくトランスである」と認定をされてしまった同性愛者について、「同性愛者は同性愛者として尊重されるべきである」と強く主張しています。
この本を読まずに批判する者の中には、「著者がLGBT差別をしている」と勘違いしている間抜けもいますが、同性愛者(特にレズビアン)の権利について全力で援護するスタンスです。

『トランスジェンダーになりたい少女たち』は、トランスジェンダーの権利を尊重しつつ、「ジェンダー規範への抵抗」「後に同性愛者として安定した」「思春期の揺らぎ」といったタイプの少女たちに対し、早まった医療介入を慎重に警告する本だと思いました。
この本で批判されているのは、トランスを自認する子ども自体ではなく、様々な子どもたちを高額な医療に誘導する大人や社会です。
本書を「トランスヘイト」と断定することは、逆に、トランス当事者を盾にして問題を隠そうとする、許しがたい行為だと考えられます。


原因は「ネットメディア」の前にあるのでは?


ただ、親子問題に関しては、親を過信しすぎているような気が……。
極端な行動をとる親や、不和が続く親子の対立が、性別変更を求める原因となる場合もあるのではないかと感じました。
ネットメディアは確かに悪影響がある場合もありますが、親子関係が上手く行かず、外の世界に救いを求めるのは、基本的なあるある行動ではないでしょうか。
心から親が子どもを愛していても、その愛情表現に歪みがある場合、「愛があれば大丈夫」というワケには行かず、むしろ問題の出発点になってしまうのでは……。

また、女性の生き方に関しても、著者の経験に過度に依拠し過ぎている部分があるように思いました。
著書が、保守的でジェンダー役割に忠実な価値観を肯定的に語りすぎていることも、そもそも少女たちを追い詰める原因となっているのではないかと……。

トランスジェンダーでない子どもたちまでがジェンダー医療を受ける事象だけではなく、子どもたちが何らかの救いを外に求める理由として、親子問題や、凝り固まった大人の価値観に起因する場合があります
が、この点に全く言及されていないことは、個人的には大きな懸念材料だと感じました。
親子関係や女性の人権に詳しい専門家が関われば、より幅広い視点からアプローチできるのではないかと思います。

かなり大切な要因が言及されていなかったり、問題のある部分は少なくありませんが、主要な問題提起については、分かりやすくまとめられています。
批判的な目で読みながら検討することが重要だと感じましたが、少なくとも、この本が「トランスヘイト」であるとは言えません。


活動家側の推薦図書も読んでみよう


また、自称反差別の人々は、「こちらの本も読むべきだ」と言っていました。私も同感です。ただし、反面教師として。
この本は、終始、身体の性別を軽視し、「ジェンダー(性自認)による差別はある」前提で、「身体性別による差別は無視する」非常に偏った内容です。
生物・遺伝的男性が女性スポーツに参加する問題を「トランスがスポーツに参加する権利が奪われている」と主張したり(生物的男性が、男性スポーツや性別不問クラスに参加する権利だったら、誰も何も言わないよ!)、就業困難に関する表が「シスヘテロ」「トランス」しか存在せず同性愛者が省かれていたり(これは単なるミス……だと思っていますが……)、「女性運動の中でも階級によって差別される場合がある」場面に言及しても「性的少数者運動の中で(おもに生物的)女性差別がある」事実は全く無視!!
この本を読めば、一部の奇妙な活動家や支援者の主張が、どれほど異様であるかが理解できるはずです。
身体性別を無視し、身体性差に基づく差別を矮小化する考え方こそ、ヘイト行為として非難されるべきだと私は思っています。


身体性差の差別を無視する奴こそ差別者


このように、メディアで注目を浴びている活動家には、問題のある人物も少なくありません。
彼らは身体の性別を軽視し、身体性別の不均衡を無視し、身体性別は個人差があると主張しています。「そんな訳ねぇだろ、目が節穴か」と思わずにはいられません。私は長年キャラ絵師を務めていたため、ずっと人体の性差を見続けて来ました。人体の性差を描けなきゃ、絵師として仕事なんか来ないので。
身体の性差を個人差として差別を軽視する癖に、性自認という身体性差よりもずっと個人差がある定義の差別だけ重視される理由って何だよ?!
男性ホルモン量が多く問題となったアフリカの女子陸上競技世界チャンピオンも、記録としては日本の男子中学生レベルのようだし……。

そもそもシス・トランス問わず、多くの人々は身体的特徴で性別を識別できます。一部、骨格・身体の性的特徴が逆転している人々も存在しますが(私自身も、逆の性的特徴を持っている部位が一部あります)、全身を総合的に見れば、おおよそ判断が付くといった印象です。
モデル・タレントとして活躍するトランス有名人ですら、性別を伏せて活動していたときに「性別が違うのではないか」と複数の指摘を受けたそうです。その理由として、人は人体を見続けているうちに、無意識に性別による身体差を認識してしまうから……という説を聞いたことがあります。
一部の偏ったセクシャルマイノリティ活動家・支持者は「背が高くて筋肉質な女はどうなる?」と言うけれど、長身で筋肉質な女の身体特徴は言うまでもなく女だよ。感覚鈍すぎ、見る目なさすぎ。
「骨格はX線じゃなきゃ見えない」「性別は性器を見ないと分からない」とか言うウルトラトンチキもいるんだが、んなワケねえだろ。内部に隠れている部位もあるけれど、わざわざ言うまでもなく見れば分かる箇所は多いよ!
活動家の一人に「身体性別は曖昧な約束」と公言していた人がいたので、反証として骨格を分析したら激怒されました。その方の主張を読んだ所、特に人体についての専門知識は持っていないようでした。だったら最初から間違った主張をしなければ良いのではありませんか。身体性差の差別を軽視するような誤情報を広めなければ、私だって何も言いません。
確かに、背が高く筋肉質なだけの女性格闘家がトランスだと勘違いされていた例はあったし(骨格や身体特徴は典型的女性だったので、なぜ間違われたのか分からない)、本当に見ても分からない人もごく稀にいます。が、ごく一部に存在する外見で性別が分からない場合でも、医学的には性別を判断できるとされています。
また、性分化にまつわる身体疾患者を盾にして「身体の性別は多様である」と主張する活動家や支持者も存在しますが、多くの当事者はこれを拒否しています。身体疾患者の中にも性的少数者は存在しますが(重要)、「身体疾患自体と性的少数派を結びつけることは適切ではない」との意見も出されています。


活動家と当事者は違うので、当事者の声を聞いて欲しい


しかしながら、一部のトンチキな活動家とは違う、素晴らしい当事者や有益な情報も存在します
私としては、このような当事者の言葉や知識が広く伝わって欲しいと願っています。
最後に、参考になった記事や動画を紹介させていただきます。
中には私自身の考えと異なるものもありますが、「異なる考えでも価値のあるものは尊重すべきだ」と思っています。


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