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性の劇薬/性暴カの爆薬

※この感想はネタバレが含まれます。
※好意的な感想ではありません。

公開時に「波紋を呼ぶ斬新な作品」として話題になり、LGBTQ映画祭で最優秀作品賞も受賞した『性の劇薬』を観ました。

が、正直な感想は……「これ実写化しちゃアカンやつや……」でした。
映画祭での受賞も「マジ? これでいいの??」としか思えなかった……

私自身、BLジャンルは特に好きでも嫌いでもないため(というか女性主演作以外に興味が持てない)BL作品としての魅力が分からないだけかもしれませんが……
もし、この映画を「人間ドラマ」として観たい人がいたら……他の映画を薦めます……。

どんな映画かというと……ふた昔前の性暴カゲイAVみたいな内容です。
数年前、動画サイトで晒された後、主演男優のスター性ゆえに人気が出てしまった昔のゲイAV「好きだった後輩に薬を盛って強かんした後に結ばれる」作品がありましたが、ぶっちゃけそういうノリ。

原作は電子書籍のBL漫画(?)。
私は読めていないのですが(高い画力で描かれた劇画タッチの男が冒頭から暴力行為に遭っていてサイコホラー系が超苦手な私は即断念した)、いわゆるケータイコミックとしてなら(多分)面白い作品なんじゃないかな? と思います。絵はメチャクチャ綺麗だし。

上手い絵で描かれた携帯漫画として読むのなら良いけれど、実写にしちゃうと、漫画ならではのわざとらしく過剰な描写に「うーん……」となってしまう典型例ではないかと……。
もちろん「漫画らしい漫画の実写化」がアカンわけではない。『銀魂』『カイジ』のように漫画らしい世界観や大げさな演出が多い作品でも、実写化された際とても上手く機能していた映画は(改めて言うまでもなく)存在するので……。
この映画の原作が、実写化との相性が良くなかったのかな……と……。

ただし、確かに映像作品として「波紋を呼ぶ」ことには成功しているんじゃないかな? とは思いました(理由は後述)。


善人が「性暴カで救われる」展開が胸糞

この映画の主人公は、些細な不注意(というほど彼の責任でもない)で家族を失い、自責のあまり落伍した元エリートサラリーマン・桂木です。
彼はベタな善人で、自暴自棄になった理由も「そりゃ確かにアンタのせいと言えるかもしれないけど、そこまで自分を責めるなよ」という同情をそそる内容。
彼が自さつしようとした瞬間、謎の男・医師の余田に出会い「しにたいならオマエの命を俺に預けろ」と言われて拉致されます。
そして桂木は、余田に監禁されてしまい、毎日毎日かなり残酷な方法で強かんされます。カイジ地下帝国』レベルの生き地獄です。
性暴力の描写は、拷問ゲイAVっぽい現実味のない粗暴で荒唐無稽な感じ。
強かん行為は終始「調教」と呼ばれ、乱暴に扱われても桂木は苦しみもせず痛がることもなく「快楽に目覚めていく」という完膚なきまでの胸糞ストーリー
さらに加害者である余田は、被害者の桂木に対して「お前の体が生きているから快楽を感じるんだ」「お前は生きているんだ」「俺は変態だが俺の行為に反応したお前も変態だ」とかワケわからん恩着せがましいことを言います。こんな性暴力繰り返されたら精神がしぬわ!
けれど、解放された桂木は余田を糾弾することもなく、自発的に余田の命を救い、さらには彼と結ばれてしまう……。

作中で、桂木が性犯罪被害者として救済される場面は一切ありません
他方、凶悪な強かんを繰り返し行った余田は、これといって断罪されることなく救われます

きっっっっっっっつい……。

大ヒット胸糞ホラー『ミッドサマー』のように、明確な「胸糞エンディング」として描かれていれば、まだ問題提起作品として納得できたかもしれません。
が……この作品は「性犯罪に遭った善人男が加害者に絆されてメデタシメデタシ」で終わってしまうので、しんどさばかりが残る……。

余田は「自さつした元カレに似ていた桂木を助けたかった」「桂木に性の快楽(※残酷な暴力)を与えて生きていることを感じさせたかった」らしいのですが、強かんは『魂のさつ人』でしかないので本気で意味が分かりません
いやアンタ、桂木を手籠めにしたかった言い訳やん……と思ってしまった……。
借金返済を助けるため温情で地下帝国に送り強制労働させてあげた、みたいな激烈最悪言い訳としか。
桂木は、家族も仕事も社会的地位も失った上に、残酷な暴力の苦しみを抱えて生きて行かなあかんのだよ……。

もちろん現実世界は、善人が救われて悪人が裁かれるわけではありません。
それでもさすがに、桂木が余田と結ばれ、さらに余田が過去の苦しみから救われるエンディングは……胸糞すぎて無理だった……。桂木は良い子としての抑圧が酷く、その仮面から解放された……という側面があるらしいんだが、強かん被害に遭って得られるものがあるとしても、そんなもん別の巨大な抑圧でしかない。

「似たような体験をした二人の男が、過去を通じて分かり合う」辺りは納得できなくもなかったけれど……。


普通の男性が「性対象」として危機に晒される世界

唯一、私が「これはよく描いたな」と感じたのは、「地味な男でも性被害を受ける事実」「地味な男の性被害が『娯楽』として提供されてしまう残酷さ」でした。

桂木は、顔立ちの整った青年ではありますが、きらびやかな少女漫画・乙女ゲー系のイケメンではなく地味で目立たない普通のアラサー男性です。
性犯罪を危惧し夜道を恐れることが(多分)なかった桂木が、夜の街で呑んだくれた末、いきなり男に拉致されて被害に遭う悲劇……。
現実では、性被害に遭う男性は67人に一人くらいの割合で存在します(女性は13人に一人……)。けれど、映画や一般作では「男性は被害に遭わない」ことにされている。というか、性的な危機があったとしても描かれにくい(『性の劇薬』は一応成人映画ですが)。

一方、女性の性被害は……過去、世界のありとあらゆる多くの作品で、都合良く「娯楽」として描かれてきました。
この非対称……。

強かんされた桂木が、加害者と結ばれてしまう「ハッピーエンド?」を、私は非常に心苦しく眺めました。
と同時に、過去に観た「都合良く描かれた女性被害者」の描写に対する積もった怒りが、心の奥から噴出してきました
よくも被害を軽視しやがったな、よくも性犯罪を工口のジャンルにしやがったな……と。

言うまでもなく、私は男性への性暴力にも強く反対します
そして、成人男性が「強かんされて喜び、加害者と結ばれ幸せになる」描写にも、性暴力が軽視される今の世では「強かんは犯罪です」という注意書きが必要なのではないか? と思います。

カイジの地下帝国も胸糞だけれど「地下帝国で強制労働する男たちは幸福になりました」みたいな描かれ方は当然していない
彼らは終始「苦しみ」「悲劇」を風刺的に描かれている。

加害者に都合が良すぎる二人の描写を「胸糞い……」と感じる人は決して少なくないと思います。
この圧倒的胸糞展開を「ハッピーエンド」として描き切った? 胸糞悪さは、長らく「女性・男性どちらの性犯罪被害も軽視していた世界」への胸糞悪さと同じではないか……とも感じました。

軽い男じゃないのよ』では、ガチな女尊男卑の異世界に迷い込んだ男の体験を通して「実社会の異様さ」が浮き彫りにされます。
『性の劇薬』は成人男性への性犯罪を明確に軽視し見世物として描く数少ない作品のために、『軽い男~』的なミラ一リング効果として「実社会の異様さ」が浮き出す効果はあるんではないかな……と感じました。その辺りは「波紋を呼ぶ」話題作たる所以なんではないかな、と思います。

でももちぎ氏は「良い映画」と評価しているのか……凄惨な性暴力シーンを「すけべシーン」と表現しちゃったのか……マジかよ……若い頃から地下帝国レベルの人生を送っておられたもちぎ氏の心身の健康が大丈夫か心配になるんだが……まぁ彼は基本「わきまえた男」だしなぁ……。


わたしがかんがえたさいきょうの胸糞ラスト

とにかく「性犯罪被害者の善人が、特に咎を受けない加害者と幸せになる」ラストに鬱憤が溜まる所が私の主たるモヤッとポイントでした。
でももし、いっそのことジャンルを『胸糞サイコホラー』へ移行して貰ってラストを少しだけ変えてくれたら、胸糞ラストとしてカタルシス効果がある……か……も?
そう思って、私が考えた胸糞ラストは以下の通りです。原作未読なので、原作が納得できるような感じだったらごめん。


《桂木が余田の命を救った後》

余田に「俺を好きにしろ」と言われた桂木が、余田を全裸にして拘束具をはめ、ベッドに括りつける。

余田「これは……俺に復讐する、ってことか……」
桂木「復讐だって? 違うよ。俺は……お前に死んで欲しくない。だから『生きる』ってどういうことか、お前の体に教え込んで、叩き込んでやりたい。お前がそうして、俺を救ってくれたように!(疑いのない眼差しで)
余田「本気かよ……おい……よせ」
桂木「お前が舌を噛んで死ぬなんてことしないよう、丹念に準備しないとな……」(桂木、余田に猿ぐつわをはめた後、余田にされた行為を彼自身に返す)
余田「……!!!!!!!!!!!!!!!」
桂木「俺は、お前に乱暴されたとき『体が生きてる』って実感したんだ。だから俺、お前にも全く同じ幸福を体験をさせてやりたい。生きてるってことを思い出させてやりたいんだ。これは『劇薬』なんかじゃない、良薬だから……口にした俺が保証してやる(目に光がない笑顔を浮かべ)
余田、苦痛の中で(劇薬には副作用がある……当然のことじゃないか)と観念する。

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