見出し画像

ミッドサマー/私たちの心を映すホルガ村

一部でフェミニズム映画として評価されていた? 『ミッドサマー』を観ました。

結論から申し上げると、個人的には『フェニミズム映画』かどうかと言われたら「??」です。
駄目な男性は無間地獄に堕ちますが、だからといって女性が救われることはなく余裕で闇に堕ちる映画なので……。

ただし、近年問題になっている無駄な男視点「メイルゲイズ」は排されており、家父長制・男権的な価値観には反旗を翻す描写が中心の作品だと思います。
この社会で尊ばれる「地位の高い男性」や、いわゆる「邪悪な男らしさを内在した男たち」は、もれなく酷い目に遭います。さらに、どちらでもない普通の男たちも割と酷い目に遭います
正直、「フェミニズム」作品かどうかは分からないけれど、明確に「反家父長制」作品ではあると思います。

因みに私は、ホラー・グロ描写に対する耐性がほぼありません。
そんな私が視聴しても、一部のシーン(後述)をぶっ飛ばせば特に問題はありませんでした。
グロ描写は『鬼滅の刃』程度ではないかな、と思います。(けれど鬼滅の刃と違って実写なので……)


1.地位が高く容姿端麗な高齢男性が「顔を潰される役割」として出てくる

この映画で最もグロいと思われる「72歳以上の住民が自ら命を捨てる儀式」の場面があります。
私は動画配信サービスで観たため、画面を最小化して乗り切った……。

そのとき、女性と男性が一名ずつ出てくるのですが、この長老男性が、宇宙レベルの美貌で有名なビョルン・アンドレセン氏
年齢を重ねても整った骨格は変わらないね……。

高齢女性のほうは儀式が成功(※察してください)するのですが、こちらのイケジイ様は儀式で大地に命を捧げること(※察してください)ができず、村人により頭というか整った顔面を鈍器で潰されます

この映画は、徹底して「若く美しい女性がころされる姿を娯楽的に描写(※一人しんでいる)」しません。
そのかわり、この「地位の高い年配男」「超イケメン」という「割と尊重されがちな属性」の男性が、ほぼ「人為的に顔を潰されるため」だけに登場します。
アリ・アスター監督も、ビョルン・アンドレセン氏の起用について「超イケメンだから」とおっしゃていた。

ホラー・グロ系の映画をほとんど見ないので、私の知識がないだけかも知れませんが……
「高齢の偉い男」もしくは「イケメン」がころされる作品は、それなりに見かけます。
けれど、「高齢の偉い男」+「宇宙レベルの超イケメン」という圧倒的強者男性が、ほぼ「ころされて顔を潰される」描写のためだけに出てくるのは結構斬新じゃなかろうか……と思ったのですが。
どうだろう。


2.若い美女の性交渉シーンに工口要素がない

主人公のバ彼氏・クリスチャンは、ホルガ村の美女・マヤに見初められたせいで、彼女の陰毛を喰わされたり、飲物に経血を混入されたりします。村に伝わる恋のおまじないらしい……
村人によって勝手に「マヤと性交する相手」に選定されたクリスチャンは、流されるまま「性の儀式」に挑みます。
凡庸な映画であれば、若く美しいマヤの輝く素肌が男目線でなまめかしく写されてしまう所ですが……ミッドサマーは良い意味(か?)で観る人を裏切ります。

若く美しく魅力的な女性が男と絡む描写がメインなのに「男性が喜ぶ工口」視点が一切ない。
自他ともに認めるイカフェミの私は目から鱗が落ちました。

それどころか、ギャグのレベルとしては『キングオブコント』『M-1グランプリ』決勝戦のネタ並に笑える。二度と見たくない不気味さを感じた人も結構いらっしゃったようですが、私は笑ろてまった。クリスチャンの戸惑う様子もコントのツッコミみたいで面白かった。
どのくらい笑ったかというと、チュートリアル『冷蔵庫』を初めて観たときくらい笑った。

性交渉が終わった後、クリスチャンは、ひと言も口を利かないまま否応なくころされます。
交尾のあとメスに喰われるカマキリのような存在……。

とことん悲惨な目に遭うクリスチャンですが、これ、女性と男性を逆転してみると「よくある」ことなのではないか? しかも、現実でも
と、私は思ったのです。

女性がアレな男に各種体液をかけられたり、異物混入した飲食物を食べさせられた事件は枚挙にいとまがない。

女性が強かんされ命を奪われる犯罪も、例を挙げるまでもなく行われました。

クリスチャンは終始クソ男だけど、さすがにコレは可哀想じゃねえか……と感じる気持ちに変わりはありません。
ただし、ある種の性別逆転描写だと思うと、色々な想いが胸に去来します。


3.女の敵はクソ男

バ彼氏・クリスチャンが村の美女と浮気した場面を目撃した主人公・ダニーは、カルト儀式の高揚感の中で、浮気彼氏を「村の祭りの生贄」に選び、アッサリころします
そりゃーもうスッキリところす。

他方、浮気相手の美女・マヤは、クリスチャン(+他8名)をころす儀式に厳かな態度でシレっと参加していました。

この手の「彼氏を寝取られた」場面だと、女性キャラは、「彼氏を奪った相手の女性」を攻撃する行動を取らされがちです。「女の敵は女」にされがちなのです。
けれど『ミッドサマー』では、きっちりと最初に「浮気した男」の罪が裁かれます。
クリスチャンを寝取ったマヤも正直どうかと思う(ただし彼女は生まれながらのホルガガールなので、現代社会の恋愛・浮気という概念はない)。それでも、一番あかんのはクリスチャンだよね。

決して女の敵を女にはせず、「女の敵はクソ男」という立ち位置から一歩もズレることなくクソ男を断罪します。


□私たちと「ホルガ村」は離れていない

この映画の考察や感想で、ホルガ村の文化や伝統を「現代文明と相対するもの」「私たちの生きる現代社会とは別の世界」だと捉える記事を幾つか読みました。
が、私個人としては、むしろホルガ村は「社会全体の悪弊を煮詰めた世界ではないか」と感じてしまいました。

数年前、私は元オ○ム出家信者のおじさんに大変お世話になり、彼の紹介で元○ウム出家信者の方々ともご縁を頂きました(今は離れています)。リアルなガチカルト脱会者たちです。
元オウ○出家信者曰く、「オ○ムは、宗教化する前は、まじめに伝統的ヨガの修行に取り組んでいた」「宗教になってからは、伝統的な団体の『表面的な所だけ』マネして、カルト化してさつ人を繰り返した」のだそう。
刑期を終えて出所した彼が「現世」に戻って感じたことは、「確かに○ウムはヤベーカルトだった。でも、今の社会だってカルトじみてるじゃないか」「間違いなく、この社会の縮図としてオ○ムは生まれたのだ」なのだそうです。

ガチな伝統団体でも、アーミッシュの性虐待問題みたいな問題が報道されました。

改めて言うまでもなく、ホルガ村はヤベーカルト団体です。
でも、私たちが生きる現代社会にも、似たような問題があるのではないでしょうか。
伝統団体も、カルトも、現代社会も、形は違えど決して離れてはいないと感じたのです。

ホルガ村では、72歳以上の老人はしななきゃなりません。
が、現代社会は、老人はもとより「社会制度の歯車にならない人間」なんか見ごろしにしてるでしょう。もしかしたら、ホルガ村より残虐かも。
因みにアリやハチでは、「社会の生産性のみを追求する団体」は短期的には伸びるけれど持続性がなく、「生産性より多様性を重視した団体」はユックリ成長して持続力が高いらしい。

ディレクターズカットのみですが、水辺の儀式で、少年が「僕の命を捧げます」と生贄になることを志願します。
彼が水中に沈められそうになった瞬間、主人公ダニーが止めたら、皆、彼をころす行為を止めました。マジでヤバいです。
だけどこの社会だって、子どもの苦境を顧みたりしません。
誰かが「そんなのおかしい」と声を上げたら、ようやく皆も声を上げる……という展開も「あるある」です。
私自身もそう。自分が情けなく思うことばかりだ。

ホルガ村では、誰かの感情をワケもなく皆で共有します。
現代社会は個人主義と言われますが、その実、何とも言えない「空気」という同調圧力がかかっているように感じます。

ホルガ村は、よそ者を片っ端からころします。
でも現代だって、自分を省みずに外の何かだけを断罪したりします。

ホルガ村では、性交は「血を繋ぐ」行為以上の何かではありません(多分)。
この社会だって似たようなもので、人間を「子どもを作る機械」程度にしか思ってない側面があります。子どもは「未来の納税者」という歯車でしかなく、決して命そのものを尊重したりしない。

唯一、ホルガ村は、家父長制・男権主義的な価値観がないぶん、現代社会よりも少しだけ優れているかも?!

以前、元オウ○出家信者の人が「オ○ムは、『この社会と離れた』カルト団体という視点で語られがち。だが、『この社会の中から生まれてきた』カルト団体として総括しないと、真の解決はないのではないだろうか」と語っていました。
私もそう思っています。
松本智○夫が視力を失ったのは公害が理由と言われていますが、松本は被害者として認められず、逆に「地元を潤す企業を叩くな」と攻撃されたそうです。もし松本が適切に被害者として救済されていたら、最悪のさつ人カルト集団は生まれなかったかもしれません。国や住民や企業など社会が松本を見捨てたことと、最悪のさつ人集団が生まれたことは離れてはいない。
「ヤバい団体は私たちの『外』に存在する」と切り取らず、「ヤバい団体も、この世界と繋がっているのだ」と考えて未来への一歩を踏み出せたら、世界は少しずつ改善していくのではと思わずにはいられません。


□私たちの心のふるさと・ホルガ村

『ミッドサマー』感想を巡ったとき、人によってかなり感想が違う作品なのではないか? と感じました。私と同意見の人はあんまりいなかったけど、そもそも他の人同士でも同じ意見自体があんまりないというか。

ホルガ村は、観る人の心の澱を映し出す鏡なのかもしれません。

観た人の心の奥底を掘り起こす?! ミッドサマーは『良作』だと思います。基本的に胸糞悪い内容なので、おすすめはできませんが……私は二度と観たくない。笑。

けれど、「観ようかどうか迷っている」人には一度見て欲しいと思います。一度で良いと思う。
そして、私たちの心のふるさと?! ホルガ村で、普段は隠れている自分の心の仄暗い部分と邂逅・対話してみてください。笑。


《参考》








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?