『ヘッラスの栄光』第四章:古代ヘッラスの秋
第一節 戦後のアテヘェネー市 (405~399 BC) 1
戦後占領体制の混乱 (405~03 BC) パールサ大帝国の内戦とヘッラス人傭兵軍 (404~400 BC) ソークラテースの弟子たちの自立 (c400 BC) ソークラテース裁判 (399 BC) ソークラテースの処刑 (399 BC)
第二節 コリントホス地峡戦争 (400~390 BC) 11
パールサ大帝国の小アジア半島掃討 (400~396 BC) 中央地中海とイタリア半島北部の宿恨の戦争 (c400~c95 BC) コリントホス地峡戦争の勃発 (396~94 BC) 小アジア半島西岸南部における医学の発展 (c395 BC) プラトーンの執筆活動開始 (394~90 BC) アゲーシラーオスとコノーン (394~93 BC) コリントホス湾の争奪 (393~90 BC) ローマ市の占領破壊 (c390 BC) イーソクラテース学校 (c390 BC) プラトーンの諸学派批判 (c390 BC)
第三節 独裁将主への抵抗 (390~385 BC) 23
ディオニューシオス一世と政治教団の対立 (390~88 BC) シュラークーサーを訪れるソークラテースの弟子たち (388 BC) アカデーメイア学園の創設 (387 BC) 貿易金融都市アテヘェネーの繁栄 (387~c80 BC) プラトーンの哲学観 『酒宴』 (385 BC)
敗北したアテヘェネー市では、ソークラテースも処刑され、代わって、イーソクラテース学校やプラトーン学園などが興隆し、また、ヘッラス全土でピュータハゴラース政治教団も活躍する。しかし、政治はあいかわらず安定せず、対立が続いていた………。
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