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きよし君。

アタシが通っていた保育園に途中入園してきた男の子がいた。体が大きくて、ほっぺが真っ赤で、少しハニカミヤで、でも大きな口でニカッと笑う、きよし君。

そのころ保育園では「さらさら砂」が大流行していた。地面の乾いたところを探して、砂利や大きな粒の砂をどけて、そのすべすべになった土面を手のひらのやわらかいところで何度も滑らせるようにかき寄せると、片栗粉みたいな粉のような砂が集まってくる。それが「さらさら砂」。このさらさら砂をどのくらい集められるかをみんなで競っていた。

きよし君が入園したその日、アタシはきよし君をそのさらさら砂集めに誘った。きよし君はアタシが教える通りを真似して集めた。アタシはそのころガリガリで背もちっちゃくて、自分の薄い小さい手で集めるのにそれは苦労していたのに、きよし君はアタシの倍はある大っきなふくふくした手でみるみるさらさら砂の山を作っていった。アタシはきよし君をすごくソンケーした。

保育園卒園の頃、アタシたち一家は街からぐるりを田んぼで囲まれた広くて大きな田舎の家に引っ越して、アタシはその田舎の、合併で大きくなった校舎も設備も新しい小学校に入学した。

入学してみると隣の席にきよし君がいた。引っ越して知っている人が少なかった小学校できよし君の「ニカッ」の笑顔はものすごく嬉しかった。担任になったホソガヤ先生は「同じ保育園だったから仲良くしてあげてくださいね」とニコニコいった。

小学校への登校は同じ地区に住む小学生が集まっての集団登校だった。でもアタシたちの班は、地区外で学校の近くに住むきよし君のウチに寄ってきよし君を連れて一緒に登校した。

田んぼやりんご園、ブドウ畑、桑の木なんかのある、あぜ道みたいな通学路を登校していたある日、アタシたちを追い越していった車を見たきよし君がその車種をスラスラッといった。ビックリしたアタシは「あの車は?あれは?あれは?」と次から次へと訊ねた。するときよし君はまたスラスラッと答える。

アタシに車の知識なんてなかったからそれが車の名前というくらいにしかわからなくて、きよし君の言うことが合っていたかどうかはわからなかったけど、何でもないという様子でアタシの知らないカタカナのタンゴを次々に口にするきよし君をただただスゴイ!と思った。

小学校2年生になる時、きよし君は他のクラスに移ることになった。クラス替えがあるのは4年生になる時なのになんでかなと思ったけど、きよし君は体育の時とか給食の時にはアタシの隣に座っていた。きよし君が2年生から行き始めたクラスは養護学級。きよし君は自閉症だった。

その後、学年が上がってきよし君がクラスにいることが少なくなり、クラス替えがあったり、ウチが街に家を建てて転校しなければならなくなったりして、自分の新しい生活のなかでアタシはきよし君の事を少しずつ少しずつ忘れていった。

浪人の末大学に入学した年の、帰省していた春の終わりに、地元の駅前でバスターミナルに向かって横断歩道を渡ろうとしているきよし君に会った。もうきよし君を忘れて10年近く経っていたけどきよし君は赤いほっぺのきよし君のままでぜんぜん変わっていなかった。

ただそのころのアタシには、日常化している目的や独自のルールをもつ自閉症の人はイレギュラーな出来事があるとパニックになってしまう可能性がある、という知識だけはあったから声はかけなかった。でも、そうだ、あんなに毎日通ったきよし君のウチに、きよし君ときよし君のお母さんを訪ねようと思いたった。

土のもこもこした匂いのする、つい顔がほころぶような初夏の空気の気配が漂う天気のいい5月のある日に、その頃通った小学校までの10キロくらいを自転車でのんびりずっと行って、ときどき思い出の場所をひやかしながら、たしかこのあたりだったときよし君のうちを探し当てた。チャイムを鳴らすと見覚えのある、でもアタシの知っていた頃よりずっと歳をとったきよし君のお母さんが驚きながらも招き入れてくれた。

居間にはまだおこたつが出してあって内職らしき和装小物の材料や製品が並んでいた。隣の開け放した部屋にはきよし君のおばあちゃんがベッドで寝たきりだった。とても静かで、昼の家の中は少し暗くて、ボンボン時計のコチコチいう音がやけに響いて聞こえていた。

突然の訪問のお詫びをして、駅できよし君をみかけたこと、自分は今東京で大学に通っていることなんかを話した。きよし君は自宅から30分かけてバスで駅に向かい、さらにそこから電車で職業訓練所に通っていて、少ないながらもお給料をもらっているのだと、きよし君のお母さんは話してくれた。アタシが訪ねた時にはきよし君はいなくて会えなかった。

きよし君のお母さんは大学で家政学系の教鞭をとっていたのだけど、きよし君が生まれてからはきよし君のお父さんの実家のあるこの地に住むことにして専業主婦になったのだそうだ。帰り際、お母さんは「きよしを覚えていてくれて本当にありがとう。」といってその内職の小物をいくつか私にくださった。

家に戻って母から当時のきよし君とアタシの関わりについて聞いてみた。きよし君が保育園に入園して仲良くなれたのがアタシだけだったこと。その様子をみてきよし君のご両親はアタシと同じ小学校にきよし君を通わせることを希望して、学校とアタシの両親に相談してなんとか同じクラスにしてくれるようにと頼んだこと。そのことがお互いにとっていいことなのかどうか迷ったけれども、とにかくやってみましょうとアタシの両親が了解したこと。

アタシがぜんぜん覚えていないエピソードもあった。給食の時間にきよし君が興奮して牛乳をこぼした。クラスのみんなははやし立ててきよし君をバカよばわりした。その時隣できよし君のこぼした牛乳を拭いていたアタシが猛然と怒り出して、「きよし君をバカって呼ぶほうがバカだ!」と叫んでくってかかり、はやし立てた子を泣かせてしまった。その顛末はその日のうちに担任の先生から「みんながんばっていますよ」というニュアンスできよし君のお母さんとアタシの母に伝えられて、きよし君のお母さんはわざわざお礼を言いに来てくれたんだよと、そんな色々を母は話してくれた。

出会った草の香りのする季節になると
きよし君を思い出す。

砂遊びをしている子供を見かけると
きよし君を思い出す。

今のアタシよりもずっと若かったであろう
その当時のきよし君の
お母さんの気持ちに思いを馳せる。

きよし君をかばって叫んだ
ちっちゃい火の玉みたいな1年生のアタシに
恥ずかしくない今の自分でいるかを考える。

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