我々は本当に「先進国」なのか? ポリ袋による海洋汚染からみる先進国の欺瞞

 ブルンジのヌクルンジザ大統領は13日付で国内でのポリ袋の使用を禁止する大統領令に署名した。この大統領令は2020年から施行されるという(注1)。
—ブルンジ共和国はアフリカ中東部に位置する国で、ルワンダ、コンゴ民主共和国、タンザニアと国境を接する。—
 ブルンジという国は今まで聞いたことがなかった。もちろん、場所も。幼少期の頃、母によると、私はほとんどの国の国旗を覚えていたらしいが、今では国の名前も知らない。だから、このニュースを見たとき、ブルンジを知らなかったことは私にとって恥ずべきことだった。なぜなら、私の世界の国についての知識は幼少期に比べて圧倒的に退化していることが明確になったからだ。
 しかし、ブルンジという国の名前を知らなくても生きていけると考えている人も多いのではないか。もちろん、ブルンジという国を知らないで生きている人は私の他にも多くいるだろう。だが、人生の中で突然ブルンジ人に会う機会があるかもしれない。その際、ブルンジ、そしてブルンジのことを知らないと、「ブルンジ出身です。」と言われても戸惑ってしまうだろう。
「え、それってどこ?」、「え?それって場所なの?」
だがこれは、なぜ生きていく上でブルンジ(およびその他の国々)のことを知らないといけないのか、に対する論理的な答えとはなっていない。では、論理的な(少なくとも筋道の立った)答えとは何なのだろうか。それは、そこに人がいるから、レヴィナスの言葉を借りればそこに「顔」があるから、である。人がいるということは、そこでは生活が営まれていて、我々のものとはそれほど変わらない社会が構成されている。そして何より、その人たちが失敗から学びながら自国の社会を運営している。我々はブルンジの人たちから何か学ぶべきものがある。それは技術的に発展したといわれる「先進国」が技術を自分自身に振りかざしているという失敗例から学んで、その学びを実際の社会に適用するという冷静な知性だ。
 ブルンジの人々が決断した「ポリ袋の製造、輸入、保管、販売、使用やプラスチック製の包装」(注2)の禁止は、ブルンジと世界の未来を決める重大な決断である。現在、ポリ袋を含むプラスチックごみによる海洋汚染問題は深刻化している。特に、マイクロプラスチックという大きさ5mm以下のプラスチック片は有害物質がくっつきやすいため、それを誤飲する魚やその魚を食べる鳥、そしてマイクロプラスチックを食べた魚や鳥を食べる人間に有害物質が蓄積される危険がある(注3)。さらに、驚きなのはケニアをはじめとするアフリカ11カ国がポリ袋の使用を現在禁止しているという事実である(注4)。アフリカ諸国ではポリ袋の放置が社会問題となっており、英ガーディアン紙の記事ではナイロビ(ケニア)の街にポリ袋が溢れ、川に流れている様子をビビッドな写真で伝えている(注5)。これを受けて、ケニアでは昨年「世界で最も厳しいポリ袋禁止法 (world's toughest law against plastic bags)」が成立し、ポリ袋の製造・販売・使用は4年以下の禁錮または4万ドル以下のの罰金が科せられる(注6)。一方、日本はアフリカ諸国などのようにポリ袋の放置は顕在化してはいないものの、大量のポリ袋が毎日使用され、同時に処分されている。思えば、我々は毎日ポリ袋を目にしている。スーパーやコンビニの帰りは必ずと言っていいほどビニール袋を右手に提げ、朝のアパート前もビニール袋に入ったゴミが散乱する。企業は社会的責任(CSR)を果たすという名目の下、消費者にエコバッグ利用の推奨やレジ袋の有料化を進めている。しかし、これらはすべて消極的削減策である。要するにポリ袋の削減は消費者の選択次第というわけだ。
日本ではこの消極的削減策に反対し、ポリ袋を禁止しようという動きに向かっている気配は無い。もし日本がポリ袋を禁止するとなれば、国内にいる多くの人が反対するだろう。「ポリ袋の削減と放置されたポリ袋の減少には因果関係がない、だからポリ袋の削減はポリ袋による海洋汚染を解決することはできない」、と。ポリ袋を放置するかどうかはそれを所有している人の決定次第なので、ポリ袋の削減がポリ袋の放置を減らすことには直接的につながらない、という反論である。この論理は、「規律ある民兵 (a well regulated militia)」 による銃の所持が憲法によって保障されているアメリカにおいて、全米ライフル協会や銃愛好家が用いる論理と同様の構造をしている。「銃規制と銃による殺害事件、乱射事件の減少には因果関係がない、だから銃規制は銃による殺害事件、乱射事件を解決できない」という反論だ。言い換えれば、銃を使用して人を殺害するかどうかはそれを所持している人の決定次第なので、銃の規制が銃による殺害事件、乱射事件を減らすことに直接的につながらない、という反論である。だが、この論理は根本的に破綻している。なぜなら、流通するポリ袋(もしくは銃)の絶対数が減少すれば、放置するポリ袋も必然的に減少するからだ。このように、ポリ袋をあらかじめ減らすことで、放置されるポリ袋も減らすといった取り組みは予防原則と呼ばれる。東京農工大学の教授でマイクロプラスチック汚染を研究する高田秀重は、海洋プラスチック汚染においては国際的なコンセンサスとして予防原則が適用されていると述べる。さらに、高田は「プラスチックのゴミが発生している時に、… まずは発生させないようにするのが基本だと思うんです。地球上あるいは社会の中でのものの流れをきちんと考えて、プラスチックのゴミが発生しないような仕組みをつくっていく。まさにプラスチックをできるだけ避けていくということを初めにやる。」、と3Rの中でも特にリデュース(削減)の重要性を指摘する(注7)。
 先の反論を思いつく人の中で、ごみで出したポリ袋の行方を知っている人はあまりいないだろう。それを知らないのにもかかわらず、先述の反論「ポリ袋の削減と放置されたポリ袋の減少には因果関係がない」を主張することはできない。なぜかというと、ごみで出したポリ袋が海に流されていないと言える保障は(少なくともあなたの頭の中には)どこにもないからである。ちなみに、日本はプラスチックごみを中国に輸出していたが、中国が今年1月からプラスチックごみの輸入を禁じたため、日本は輸出先を他のアジア諸国に切り替えているという(注8)。
 ここまで、ブルンジのポリ袋禁止令が海洋汚染に対する有効的な予防策であるとともに、他のアフリカ諸国などが同様の対策を講じていることを述べた。しかし、このようなポリ袋禁止令や法律を制定している国の多くは、先進国といわれる国ではない。先進国はアフリカ諸国などのポリ袋禁止法を制定している国々に比べて、早くからポリ袋などのプラスチックごみを排出してきた。その結果、多くの先進国は環境汚染=失敗の先進国ともなった。したがって、ポリ袋禁止法を制定している国々はポリ袋の大量放置による環境汚染という現状を正確に分析し、先進国の失敗を自分たちは繰り返さまいと失敗からの学びを政策に反映した。これに対し、先進国がいわゆる発展途上国の開発支援・教育支援を行っているからこそ、はじめて発展途上国は先進国の失敗から学ぶことが可能で、その学びを社会に適用できるのではないか、という反論が予想される。だが、この反論は二つの理由で反駁することができる。
 一つ目は、この学びが先進国の失敗から吸収した学びである点である。今年6月に開催された、アメリカの孤立主義的態度を揶揄し6+1サミットとも称された、G7「主要」7カ国首脳会議は「海洋プラスチック憲章」の署名においては5+2サミットになった。「海洋プラスチック憲章 (Plastic Charter)」とは6月のG7サミットで提唱された、2030年までにプラスチックをすべてリサイクル可能なものにすることや使い捨てプラスチックの削減を目標とする憲章である。なぜ6月のサミットが5+2になったかというと、7カ国中、日本とアメリカの2カ国のみがこの憲章に署名しなかったからである。アメリカの署名拒否の理由は想像に難くない(トランプの「環境嫌い」と産業界・経済への影響の懸念)が、日本が署名を拒否した理由については、「同憲章が目指す方向性を共有しつつも、」プラスチックの使用削減が市民生活や産業にどのような影響を及ぼすかを調査・検討しておらず、また、憲章の数値目標を産業界と調整をする時間が足りなかったためだという(注9)。公益財団法人「地球環境戦略研究機関」持続可能な消費と生産領域ディレクター/上席研究員の堀田康彦は、「これまでの日本の立場を考えると、今回の出来事は想定外という一言では言い表せない驚きであった」と指摘する(注10)。
 日本とアメリカという「先進国」による憲章への署名の拒否は、海洋プラスチックごみによる環境悪化と生態系と人体への悪影響を鑑みると、「失敗」と位置付けられる。この失敗を受けてなのか、また「先進国」らのプラスチックごみへの対応の遅さなのかは不明だが、ブルンジをはじめとする国々がポリ袋を禁止する法律を制定している(もしくはそれを予定している)。この状況はまさに新人(ブルンジをはじめとするポリ袋禁止国)を指導する医者(「先進国」)が不養生で、その医者が新人によって治療されたようなものだ。しかし、これについては、新人が不養生の医者を治療できたのは医者の教育のおかげではないのか、といった反駁が予想される。この反駁を行なった人は、新人が治療できるということを医者からの教育で学んだわけではなく、医者の不養生から新人が学び取ったものであることを理解していない。もし新人が治療を医者からの教育から学んだのであれば、はじめから医者が不養生である必要などない。(先進国の失敗がなければ、学ぶこともできなかったのではないか、という再反論は本末転倒である。であれば最初から失敗する必要はどこにもない。)
 二つ目は、反論している人が先進国/後進国の二項対立、そして前者の後者に対する優越を前提として反論しているという点である。「先進国のおかげで、はじめてブルンジをはじめとする発展途上国=後進国はポリ袋に対する対策が可能なのだ。」先進国/後進国の二項対立によって自らを先進国と呼び、優越感に浸る。バトラーが指摘するように、この語りはは中心化された主体による「一人称の語り」である(注11)。ブルンジなどの国々がポリ袋を禁止したことは、先進国の教育によるものではない。同じ道を踏むまい、という強い決意とプラスチックごみによる海洋汚染の影響を冷静に鑑みた結果である。
 「我々先進国は発展途上国とは社会的状況が全く異なるから、発展途上国のことを学んでも我々の社会に適用できるはずがない」。我々はこのような「第一世界中心主義」から脱却し、いち早く冷静な知性を見極め、どんな物、人、国家からも吸収していく謙虚な姿勢が必要である。先進国とはいっても、何が先進的であるかははっきりとしない。技術開発において先進的であるといわれている日本も自らが開発した技術によって自身を破滅に追い込んだことは記憶に新しい。もし先進国という言葉の対義語が発展途上国であれば、定義上先進国は既に発展を終了してなくてはならない。しかし、我々は、何かの発展が途上ではないのか、と自問しなければならない。


注1. 毎日新聞、「ブルンジ ポリ袋使用禁止、大統領が署名 20年から施行」、2018/8/15、http://mainichi.jp/articles/20180816/k00/00m/030/016000c(アクセス日: 2018/8/16)。
注2. 注1を参照。
注3. 日本経済新聞、「微小プラスチック汚染を防げ 」、2018/6/19、http://www.nikkei.com/article/DGXKZO31986450Z10C18A6EA1000/(アクセス日:2018/8/18)。
注4. Nduta Waweru, ”Earth Day: These African countries have banned or restricted the use of plastic bags”, Face 2 Face Africa, http://face2faceafrica.com/article/earth-day-these-african-countries-have-banned-or-restricted-the-use-of-plastic-bags (Accessed: 2018/8/17).
注5. Nathan Siegel, “‘There is so much out there’: Kenya’s plastic bag battle – in pictures”, The Guardian, 2017/6/8, http://www.theguardian.com/sustainable-business/gallery/2017/jun/08/kenya-plastic-bag-battle-ban-supermarkets-recycling-pictures (Accessed: 2018/8/17).
注6. Katharine Houreld and John Ndiso, “Kenya imposes world's toughest law against plastic bags”, Reuters, 2017/8/28, http://www.reuters.com/article/us-kenya-plastic/kenya-imposes-worlds-toughest-law-against-plastic-bags-idUSKCN1B80NW (Accessed: 2018/8/17).
注7. :川端裕人、「研究室に行ってみた。東京農工大学 マイクロプラスチック汚染 高田秀重、第5回 「日本でもレジ袋の規制に踏み出すべき時」」、ナショナル・ジオグラフィック、2018/6/8、http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/18/053000010/(アクセス日:2018/8/17)。
注8. :高橋元気、「日本の海洋プラごみ、世界の27倍 EUが使用規制案」、NIKKEI STYLE、2018/7/3、http://style.nikkei.com/article/DGXMZO32292000X20C18A6EAC000?channel=DF010320171966(アクセス日:2018/8/17)
注9. 中川雅治環境大臣、2018年6月12日大臣会見より。
注10. 堀田、「マイクロプラスチック汚染と循環経済への大潮流:日本はなぜG7サミットで署名を拒否したのか」、Business Insider Japan、http://www.businessinsider.jp/post-170021(アクセス日:2018/8/17)。
注11. 拙稿「「顔」を持てない人 —アメリカの孤立主義から見る「私」の中心化— (1)」を参照。

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