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忘年という試み:2020年という「幻」あるいは「空白」

きのうで仕事納めだった。「これで休める」と思っていても、「2020年」というものはまだ続くと思ってしまう。忘れようと思っていても忘れられない今年を忘年会で忘れようと思っても、もはや忘年会を開催することが難しくなった今年、私たちはどのように今年を忘れればよいのだろうか。2020年について、下の二つの言葉が心に残っている。

トリプルファイヤー・吉田靖直

2020はよく頑張んない年になっちゃいましたけど、来年に頑張っていこうと思ってるので、こんなもんじゃないっす。やってやりますよ。
(トリプルファイヤー「アルティメットパーティー8
(@TSUTAYA O-nest/配信、2020/12/11 開催)」での発言)

藤原ヒロシ

UN (国際連合) が世界的に2020年リバイバル案を検討中。この法案が可決すれば、全人類が来年、 2020年を何事もなくもう一度やり直すこととなる。カレンダーをそのままに。学生はもう一度同じ学年、同じ学習を。各企業も同じ開発をやることとなる。全人類が歳を取らず、1年若返ることとなる
(GQ JAPAN、「【A MESSAGE OF HOPE(連載:希望へ、伝言)】 Vol.12 藤原ヒロシ──2020年を、もういちどやり直す! 」、2020/5/22)

トリプルファイヤーの吉田くん(吉田さんと呼ぶのはなんかおかしいので、こう呼ばせていただく)と同じように、私も今年頑張れなかった。常にエンジンが空回りしたような気分に浸っていて、精神的に落ち込んでしまった時期があった。でも、そう。来年から頑張っていけばいいんだ。少なくともそんな空元気を与えてくれるような言葉だ。これはライブにおいての彼の発言だが、どこでもミュージシャンのライブが観られるようになったのも今年からだ。藤原ヒロシさんの言葉はヒロシさんらしい面白い思考実験だ。2020年なんか、もう一回やり直そう。一年くらいやり直せるという楽観的な考え方は好きだが、なかなか実行に移すことができないから、こういうことを空想してみるだけで、気分が楽になるのかもしれない。

今年、私はいつも周りで「こんなきつい状況の中で、誰が一番頑張れるか」という競争が繰り広げられるように感じていた。みんな頑張らなくていいのに、なんで頑張っているんだろう。こういう疑問とともに、何も頑張ることができない自分を責めてしまっていた。だからこそ、吉田くんやヒロシさんの言葉は私を安心させる。ほかにも私と同じように頑張れない人だったり、2020年がなくなってほしい人がいて、その人たちは私が好きな音楽や文化をつくっているんだ、と考えると肩の荷が下りる。一日中寝ている日があってもいいんだ、生きているだけで十分なんだ、と考えられるだけの余裕があればそれで大丈夫なのだ。

読むことから書くことへ、そしてまた
今年は読むことから書くことに重点がシフトした。もちろん読んではいたのだが、あまり量が多くなかった。本をたくさん買って読まないというのは今年だけのことではないのだが、読むことにあまり力が入らなかった。頑張れなかった。私が好きで本を読み始めたのは高校を卒業したあとで、その前までは読書をするのが嫌いだった。読書感想文は本を読まずにネットであらすじを調べて、自分の想像で書いていた時もあった。だから、私の基本的な姿勢としては空いた時間に本を読む、というよりは知りたいことがあって本を読む、好きな著者の本だから読むという姿勢だから、私自身、頻繁に読書をする体質ではない。つまり、読むことが少なくなってきたのは知りたいという欲よりも書きたい、伝えたいという欲が勝ったのだと感じる。その欲がある限り、書いて何かを伝えることは頑張れた。

今年は批評を書くのを頑張った。1月から『ペルセポリス』論(約3,300字)、5月に蓮沼執太フィルの「Imr」論(約5,800字)、10月に塩田正幸論(約13,000字)、そして今月「ザ・エリック・アンドレ・ショー」論(約24,000字)を書いて、noteにあげた。徐々に字数を多くして、自分なりに批評とはどのようなものかを探っていった。しかし、そのなかで「結局自分のやっていることって批評なの?」だったり「批評ってなんなの?」「自分のやりたい批評ってなんなの?」といった疑問が次々に思い浮かんだ。これこそ本を読むタイミングだ。2020年は批評を実験できた。その「批評」はいわゆる有識者、専門家から言えば全く違うものなのかもしれないが、それはそれで大切にしていきたいし、同時に「型のはまった批評」も読んでいきたい。

そんなこんなで、来年は「こんなもんじゃないっす。やってやりますよ。」というテンションで、それでも適度に頑張らずに生きていきたい。新年の目標も2月になったら忘れているわけだけど、一応決まったことは批評について書くことから読むことへとシフトしていきたいということ。あとはみんなにはこれ以上頑張らないでほしい。もちろん、私には周りの人の行動を強制する力は持っていないし、持ちたくもない。しかし、ヒロシさんが「この法案が可決すれば」と言っているように、「2020年リバイバル法案」は残念ながら可決されなかった。みんなが頑張る限り、私たちが民主主義社会で生きている限り、この法案は否決され続け、私はその社会に生き続けなければならない。そのような民主主義社会は苦しい。そのような社会は「2020年」のように幻あるいは空白であってほしい。

今年は私のnoteを読んでいただき、ありがとうございました。来年もまたどうぞよろしくお願いします。

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