「君たちはどう生きるか」の感想を伏せたらやたらつつかれた話
※以下ネタバレや感想を含みます。
※正直、何の前情報もないまま観てほしいと思います。
※それでも「絶対ハズレ映画を見たくない」という方、すでに視聴済の方は読み進めていただいて結構です。
※そのうち岡田斗司夫さんが動画を上げるでしょうから、一番尤もらしい答えを先に見てから楽しみたい方は、そちらを見てがら映画を見たらいいと思いますが、宮崎駿監督はそういう人間が多分一番嫌いだと思います。
スタジオジブリの新作「君たちはどう生きるか」について、事前プロモーションがなかったこともあり、内容がわからないまま観た人が「面白くない!意味がわからない!」とレビューしているのをぼちぼち見かけました。
一緒に見に行った娘も途中で飽きてしまったようで、集中力が切れて途中から半分うとうとしていたので、わからなかった人には大変苦痛な映画だろうと推察します。
私は公開初日、仕事上がりにそのまま観にいって、大満足で帰ってきました。
宮崎駿監督の怒り・諦め・嫌味・期待。そういうものがたっぷり詰まった映画で、もう本当に嫌味ったらしくて途中劇場内で笑ってしまったほどです。
これは賛否両論分かれそうだなと思ってはいたものの、正直私は他人とこの感覚を共有する気は無く、わからない人のほうが多いだろうとも思っていました。しかし、宮崎駿がわざわざわかりづらく作ったのだから、あえて私がそれを口に出して説明する必要もないと考えたのです。
ところが次の日。SNSのレコメンド機能で様々な投稿を見ているうちに、「君たちはどう生きるか」の酷評をピックアップした投稿が目に入りました。どれもこれも「意味のわからない宮崎駿の世界に付き合わされてうんざり」といった内容です。
ポニョ以降、宮崎駿監督作品の多くが「物語のライン」と「メッセージのライン」をそれぞれ絶妙に組み合わせた作品であったことに気づかなかった人たちの感想です。
「これまでのジブリ作品が好きだったのに、最後の最後で意味がわからないものを見せられた。最悪な気分」というような内容の感想も見かけました。失笑ものです。
しかし、あまりにひどくこき下ろすので、私も大人気なく腹が立ってしまい、「あの映画の意味がまったくわからなかったなら、それはあなたの教養(読解力)が足りないからではw」という煽り動画を投稿しました。
案の定、わからなかった人からちくちく嫌味っぽいメンションがきて、面白かったです。
さて、その「わからない」「わかる」の差って一体どこにあるのでしょうか?
我ヲ学ブモノハ死ス
まず大きな違いのうちのひとつは、「我ヲ学ブモノハ死ス」という言葉を知っているかどうかだと思います。
これは、似我者生という言葉が元になっていますが(私もこれ何で知ったんだったか……何かの小説かエッセイだった気します)、つまるところ、ただしく学び本質を真似る者は生き、そのまま形だけを真似する者は死ぬ(淘汰される)という意味で記憶しています。そして、これが刻まれているのは墓の門。主人公眞人は死を目前にしているわけです。
ここでいう「死」とは誰の「死」なのか?あの墓は誰の墓なのか?門が意味するところとは?
さまざま解釈があるかと思いますが、おそらくこれは宮崎駿からのメッセージだろうと解釈しました。
私は序盤で、この物語が眞人という次の世代を象徴した主人公と、塔(スタジオジブリ)をまとめる主(宮崎駿)を表現した物語だと解釈したわけです。
そう考えれば、あの作品内に出てくる、塔の中のルールやそれを守ろうとする人たちになんとなく説明がつきます。
そして、眞人が選んだ未来と、塔の主のその返答にも納得がいくわけです。(まあそれの厭味ったらしいことったらないです。そういうところが好きです。ずっと)
気付く人、気付かない人
次に、そもそも「気づく側かどうか」という点が挙げられます。
非常に抽象的な物言いになってしまうことをご容赦ください。
読書量によって見える世界が違うことを表した風刺画、ご存じでしょうか?最近ではチェンソーマンのアニメでもオマージュとして出てきたようですね。
つまるところ、知識量と読解力の問題なわけですが、残念ながら小説のような娯楽コンテンツでさえ文字というだけで忌避する人が多いのが最近の風潮です。
少し前にニュースになったとおり、有名映画をすべて見るわけではなく、あらすじと結末だけをまとめた動画の再生回数が増えたり、音楽サブスクで視聴回数が増えるように前奏を短くして、サビまでの秒数を短くする、みたいなことが当たり前に起こっている現代。
私に絡んできた人も「2000円を払って前情報なしで映画を見たのに、何も面白くないなんて損をした。わかる人だけわかってる、みたいな言い方をしてずるい。その楽しみ方を教えろ」と私に言ってきています。
無駄を厭う人が娯楽コンテンツに触れるというのも面白いものだなと思いますが、宮崎駿の怒りはここにも向いているのだろうと思うのです。
つまり、これまで丁寧に一つひとつの作品に向き合い、考え、自分の中に糧として取り込んできた人と、そうでない人とを切り分けて、今作は数は少なくともその前者に伝わればいいと思って作られたものだと。一方で、伝わらない後者に対する諦めと怒りと激励の映画であったのだと感じました。
スタジオジブリのスタッフたちが、これを見て、これを作って、その感情を掬えないとは思えません。
けれども、きっと作品が、コンテンツが大きくなるにつれ、その真意まで見ようとする人・理解しようとする人が減ったのだと思います。スタジオジブリという名前が一般化するにつれ、裾野が広がり、子供向けであるべき、という謎の圧力と、宮崎駿が監督をするのなら間違いないだろうという盲信が、視聴者の質を下げ、作品の質を下げたのだと考えているのではないでしょうか。しかし監督自身も年齢が年齢です。これを最後に作ることで、次の世代の人たちを激励したのだろうと感じました。
そして、それはあの映画を見て「意味がわからない」と憤る人たちにも向けられているものだと思います。
私は風の谷のナウシカが劇場公開されたころに生まれ、ほとんどのジブリ作品を映画館で見て、VHSやDVD、BDで所持しています。途中までは少年少女の成長物語だったそれが、人間の生き方・文化・倫理へのメッセージが強くなったのはいつからだったでしょうか。
諦観のある世界が好きな私は、ここ10年ほどのジブリ作品が特にお気に入りです。風立ちぬや借り暮らしのアリエッティ、思い出のマーニー、崖の上のポニョ、かぐや姫の物語……それから少しずれますがコクリコ坂からも好きです。
当然、となりのトトロや天空の城ラピュタ、平成狸合戦ぽんぽこ、もののけ姫、ハウルの動く城、耳をすませばも好きです。ですが、その中でお気に入りは?と問われると、やっぱり風立ちぬや今作君たちはどう生きるかになると思います。…いえ、アリエッティも捨てがたい……。
スタジオジブリの作品が公開されるごとに当然私は年を重ね、そして監督自身も年を重ねていらっしゃいます。その間に触れた小説、伝記、学問、映画、歌、演劇、私生活での会話、ドラマ、アニメ、漫画……さまざまなものが私に考える機会を与え、少しずつ私の内側を形成し、人間に対する期待と諦めを醸成してきました。
自分の成長とジブリ作品の公開タイミングがちょうどよかったのだと思います。
と、言っても私「程度」です。私よりはるかに若い方々の中にも、当然この映画が読み解けた人はいるでしょう。けれど、私より年上の方でもわからない方もいるでしょう。それに対し怒る人もいるでしょう。
その「わかる」「わからない」をどう捉えるのかもまた「君たちはどう生きるか」という問いへの、視聴者の答えなわけです。
庵野監督のシン・ゴジラの中に「私は好きにした。君たちも好きにしろ」というセリフがあります。
今作の「君たちはどう生きるか」も「私はこう生きた」という言葉が続くのだろうと思います。
話がごちゃっとしてしまいましたが。
というのが私の答えです。
動画はこちら
https://vt.tiktok.com/ZSLacDXav/
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?