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テールランプが去ったあとに : 2つの掌編

第1話

入社してすぐ,彼女がぼくの「教育係」になった。
たった3歳しか違わないのに,できることがまったく違う。
初めは,何も知らないだろうからと,丁寧にいろいろ教えてくれたが,次第に細かく言わなくなった。それでいて,ときにピシッと言う。
ぼくだって,自分ではデキル男と思っている。
それなのに彼女の前では形なしだ。

仕事以外の面でも結構言われた。
社員旅行で箱根に行く前日,「お弁当つくってあげるね,買ってきちゃダメよ」といって,本当に手作りの弁当を持ってきた。
社員はいくつかのグループに分かれてそれぞれの行程を行き,宿泊所で落ち合う。ぼくたちのグループは箱根湯本から旧街道を歩いた。
甘酒茶屋。
外のテーブルで弁当を広げた。

どう?
おいしいですね。

本当にうまかった。
卵焼きに牛肉の時雨煮。俵型のおにぎりにはとろろが巻いてある。

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甘酒,飲みます?
じゃあ冷やし甘酒でね。

ぼくは二人分の甘酒とお茶を持ってテーブルに戻った。

えーと,400円?
いや,いいです。たまにはおごらせてください。

そんな様子から,周囲ではまるで姉弟のようだと言って冷やかしていたが,ぼくにとっては姉などではなかった。

1年が経った,ある夕方。
あたし,転勤が決まったの と,なぜかそっとぼくに告げた。
転勤はあわただしかった。
それからわずか2週間後。ぼくと彼女は下り線のホームにいた。

あれ?ぼくだけなんですか
うん,他の人にはちょっと声をかけにくくて。迷惑だった?
いえ・・・

1号車の8−A席。
彼女は荷物を置くと,デッキに出てきた。
発車ベルが鳴り,ドアが閉まる。
彼女が何か言いかけた。
動き出した列車を追う。
ホームの端まで走って,列車はだんだん遠ざかる。
レールがカーブし,テールランプが見えなくなった。

ぼくの口元に自然に笑みが出る。
きびすをかえして階段を駆け降り,改札を出た。
駅前の楠も,時計台も,そして,わずかに見える星たちも
ぼくを祝福してくれているようだ。
やったー
これであしたから自由だ。
もう口うるさい姉御に合わせる必要はない。
たしかに,箱根の弁当はうまかった。
あんなに料理がうまいのだから,もう少し他の人への気遣いがあれば,慕ってくれる人もいただろうに。
かわいそうといえばかわいそうか。
ぼくだけが,しかたがないから合わせてたってこと
気がつかなかったんだろうな。
さようなら,先輩。


第2話

入社してすぐ,彼女がぼくの「教育係」になった。
たった3歳しか違わないのに,できることがまったく違う。
初めは,何も知らないだろうからと,丁寧にいろいろ教えてくれたが,次第に細かく言わなくなった。それでいて,ときにピシッと言う。
ぼくだって,自分ではデキル男と思っている。
それなのに彼女の前では形なしだ。

仕事以外の面でも結構言われた。
社員旅行で箱根に行く前日,「お弁当つくってあげるね,買ってきちゃダメよ」といって,本当に手作りの弁当を持ってきた。
社員はいくつかのグループに分かれてそれぞれの行程を行き,宿泊所で落ち合う。ぼくたちのグループは箱根湯本から旧街道を歩いた。
甘酒茶屋。
外のテーブルで弁当を広げた。

どう?
おいしいですね。

本当においしかった。
卵焼きに牛肉の時雨煮。俵型のおにぎりにはとろろが巻いてある。

甘酒,飲みます?
じゃあ冷やし甘酒でね。

ぼくは二人分の甘酒とお茶を持ってテーブルに戻った。

えーと,400円?
いや,いいです。たまにはおごらせてください。

そんな様子から,周囲ではまるで姉弟のようだと言って冷やかしていたが,ぼくにとっては姉などではなかった。

1年が経った,ある夕方。
あたし,転勤が決まったの と,なぜかそっとぼくに告げた。
転勤はあわただしかった。
それからわずか2週間後。ぼくと彼女は下り線のホームにいた。

あれ?ぼくだけなんですか
うん,他の人にはちょっと声をかけにくくて。迷惑だった?
いえ・・・

1号車の8−A席。
彼女は荷物を置くと,デッキに出てきた。
発車ベルが鳴り,ドアが閉まる。
彼女が何か言いかけた。
動き出した列車を追う。
ホームの端まで走って,列車はだんだん遠ざかる。
レールがカーブし,テールランプが見えなくなった。

見えなくなったテールランプをぼくはまだ見ている。
そう,彼女はぼくにとって姉などではなかった。
何でもできる女と,みんなは言う。
でも,ときどき見せる淋しそうな表情をぼくは知っている。
いつしか,とても大切にしたい人になっていた。
でも,それは言えなかった。
箱根で甘酒を出したときも,
たまにはおごらせてくださいなんて言わずに
もっと気の利いたことをなぜ言えなかったのか。
見送りにぼくだけを呼んでくれたとわかったとき
なぜありがとう,と言えなかったのか。
デッキに出てきた彼女。
ドアが閉まる前に乗ってしまえばよかった。
一駅だけでも一緒にいたかった。

階段を下り,改札を出る。
明日,ここにもう彼女はいない。


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船石和花さんのこちらの企画への応募作品。

応募は,コメント欄に書くことになってますが,たぶん読んでくれると期待してそのまま。
応募するからにはちゃんと練って,寝かせて,と思ったのですが,ホームからテールランプが遠ざかる,というシチュエーションを思いついて,ちょっと頭の中で構想してからほとんど一気に書いちゃいました。
推敲が面倒になっちゃったので一晩寝かせただけで載せます。

2通りの結末(感情)を持つという実験的掌編。
#磨け感情解像度  向けかとは思いますが,そっちには応募しません。てへ

では,ワカさん,よろしくお願いします。