見出し画像

奈良の夜景 愛なんて知らない

修学旅行は奈良・京都の歴史の旅。
いわゆる名所を巡るのではなく,歴史上,何かのテーマを持ってグループ活動をすることになっていた。
夜も8時半まではグループでの行動が許されていた。
班編成は自由だったけれど,こういうときにうまくやれない者が何人かいた。
その人たちが集まって形式上は班を作り,計画書も出すが,裏では勝手に行動することにした。
夜も同じ。
その中に君もいたね。
宿を出ると,集合時間と場所を決めて,あとは好き勝手に動く。
君も僕も,いったんは別の方向に行くふりをして,興福寺で待ち合わせた。
ライトアップされる五重の塔。

画像1

猿沢池近くの土産屋は中学生がいっぱい。
ふたりは買い物をするでもなく,少し離れてそぞろ歩き。

画像2


博物館の前を抜けて奈良公園へ。
昼間の喧騒とうってかわり,ほとんど人影はない。
鹿の鳴き声が聞こえる。

「意外に静かね」
「このあたりはおみやげ屋さんも全部閉まってるしね」
「二月堂へ行きましょうよ」

一度通った道だ。
迷うことなく二月堂へ。

「ここで修二会をやるのね」
「陽子さんは見たことあるの?」
「テレビではね。本物は見てないの。」
「卒業したら見に来ようか」
「だいぶ混むみたいよ」
「でも一度は火の粉を浴びてみたいね」

奈良市街の明かりに,大仏殿のシルエットが浮かびあがる。
君の肩に僕の肩が触れた。
よほど手をつなごうかと思ったが,君はそんなそぶりを見せない。
お互いに少しだけ距離を置いている。
君の横顔。
街の灯をまっすぐに見ていた。

∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 

あれから5年。
もちいどセンター街の居酒屋で地酒を飲んで軽い食事をとった。
7時には店を出た。
あの日と同じように,猿沢池から博物館の横を通り二月堂へ。
鹿の声が聞こえる。

卒業はふたりの進路を分けた。
やがてそれぞれの道を歩きはじめる。
正月に手紙を書いた。
「二月堂,行く?」
返事がきた。
「ごめん。ちょうどサークルの合宿と重なっちゃって」

大学に入れば新しい出会いがある。
きっと君もそうだったのだろう。
しかし,僕の出会いは出会いだけで終わってしまった。
君はどうだったのだろう。

手紙は「宛先不明」で戻ってきた。
高校生のときの家も引っ越して,電話もつながらない。
その気になれば友人をたどって君に行き着けるかもしれない。
でも,それを人は未練というのだろう。

二月堂から奈良市街を眺める。
大仏殿のシルエット。
街の灯をまっすぐに見ている君の横顔を思い出す。
愛なんて知らない。
ただ,君が好きだった。
大学のキャンパスが,僕を新しい世界に連れて行ってしまった。
大事にしたいのは君だったことに
こんなあとになって気づくなんて。
あのとき,はっきり言えばよかったのに。
君の横顔に。