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あれれ,関裕二さん,読んでないのかな,余豊璋

本屋にある本を買いに行ったが,なかった。
ついでに歴史コーナーに行ったら,こんな本を見つけた。

面白そうだから買ってみた。
関裕二の本は何冊か持っている。
家に帰って,早速「はじめに」を読んでみたら,「豊璋を書いてみないか」と誘われた話があって

このお話をいただいてから「豊璋」にまつわる類書をあたってみたが,見事に,ない。だれも書いてない。かろうじて,筆者(関裕二)が[七世紀半ば,人質として来日していた百済の皇子余豊璋は,中臣鎌足と同一人物ではないか」と疑っていて,拙著の中にたびたび登場するが,その他の古代史の本で「豊璋」にお目にかかることなど,ごく稀にしかない。

と書いている。

あれれ? 関さん,読んでないのか。「「日本書紀」の暗号 林青梧著 講談社 1990」を。それとも,これが「ごく稀」の本?

林氏は,このなかで,天智天皇が余豊璋だとしている。
天智天皇と大海人皇子(天武天皇)は兄弟ということになっているが,そうではないという説はけっこうあるようだ。
 姜吉云(カン ギルウン)氏は比較言語学の立場で,「倭の正体(三五館) 2010」を出しているが,この中でも兄弟ではないとしている。
 大津の三井寺(園城寺)には,天智・天武・持統の3天皇の産湯に用いられたという泉があるが,さすがにこれは怪しい。母の皇極天皇が大津にいたとは考えにくいのと,何といっても天武天皇の生年が不詳だからだ。

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 皇極天皇は明日香にいたはず。もし,宝皇女時代に近江にいたとすると,渡来系である可能性もある。
 素人の私が考えても,天智・天武は兄弟でないと思われるのだ。実の兄弟だとするとおかしな点が多い。
 たとえば,天武天皇は天智天皇の娘を何人も妃にしている。鸕野讚良(後の持統天皇)もそのひとり。近親結婚が多かった時代とはいえ,どうにも奇妙だ。天武天皇の生年が明らかでないのもおかしい。

 それはともかく,余豊璋について書いた歴史書(本流かどうかは別として)がまったくないわけではないのだ。「はじめに」で,「見事に,ない。だれも書いてない」と書きながら,そのあと,「ごく稀にしかない」と矛盾したことを書いているのもおかしいが。

 さて,はじめにを読んだだけで以上のことを書いてみたが,本文で関氏はどんな説を展開しているだろうか。真偽の程は置いといて,面白そうである。