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読解力をつける(6) 国語教育の現状の一端を見たーその1

「読解力を身につける」(村上慎一 岩波ジュニア新書 2020年3月)を読んだ。
 著者は中高の国語教員を務め,現在は校長だ。現場の国語教員が書いた本である。
「はじめに」には次のように書いてある。

「読解力」は「読むこと」だけに働くわけではない。「聞くこと」はもちろん,「話すこと」「書くこと」のベースには「読解力」がある。「読解力」とは,言葉の表現者の意図を正確に読み,それを自分の言葉に置き換えて解釈する力である。

まさにその通りだ。しかし,続きを読むと,これがRST型読解力と異なることがわかる。

表現者の意図を読み取るには,表現者の立場や身上に対する想像力が求められる。〜中略〜 読解とは想像力,思考力の鍛練である。

これが

私が「国語」という教科で求めてきた「読解力」

であるが,「これとは別の「読解力」話題になることが多くなった」として,次のようにも書いている。

これまで「国語」で学ぶことをしてきた「読解力」が「人生」に直接かかわるものであったのに対し,昨今話題の「読解力」は「生活に」かかわるもののようにみえる。

この「昨今話題の」については,

たとえば「実用的な文書」の読み取り,図や表といった「資料」の読み取りなども,おろそかにしてはいけないのだと思う。

と書いており,これが新学習指導要領の「論理国語」を指していることがわかる。本文で取り上げている題材は,大学入試センターの試行テストの問題である。
 しかし,RST型読解力については触れられていない。RSTで使っている「係り受け解析」「照応解決」「同義文判定」という言葉や概念が出てこないのである。

 目次で本書の内容を概観しよう。

1 評論の読解
2 「実用的な文書」の読解
3 資料(グラフ)の読解
4 文学的な文章の読解
5 読むことと書くことの関係

1と4がこれまでの国語。2と3が新学習指導要領で示された「論理国語」の内容である。

 本文は,生徒A,生徒Bと先生の3人の会話で進んでいく。
順にみていこう。

1 評論の読解
 ここでは,評論文は,「テーマ」「意見」「論拠」の3点をセットにして自分の言葉で説明できれば読解できた,としている。そのためには,次の3つの手順を踏む。
 (1) 段落ごとに一文で要約する。
 (2) (1)をもとに全体を400字に縮約する。
 (3) 全体を200字に要約する。
この手順を踏むことで,全体が読解できるというわけだ。
 しかし,実例として,香山リカの「空気を読む」を題材にこれを行っていくのを見て,疑問が残った。形式は,「先生」がやり方を説明し,「生徒A」「生徒B」が実際にやってみるというものだ。その中の,次の段落だ

 精神分析学者のH・ドイッチェは,カメレオンのようにその場に自分を合わせて人格構造を作り変えてしまうという人たちに,「かのような人格 (as-if personality)」という名前を与えたが,いまや「かのような人格」は病理ではなくて,現代人として生き抜くための"ゲームの基本ルール"になっているのかもしれない。しかし,「かのような人格」の人はいつからか自らの空虚さに気づき,破綻をきたす,ともドイッチェは指摘している。

この段落の要約は次のようになっている。

現代人の,場に合わせて人格構造を作りかえる「かのような人格」は,いつか破綻をきたすという指摘がある。

一見よさそうである。

次の段落の「かような人格」についてのところも書いておこう。

現代社会で生き延びるためには「かのような人格」であることを拒否して少数派としてなってしまうのと,破綻を承知で「かのような人格」を繰り返すのと,どちらが有利なのか。いや,有利な生き方をするために,自分自身のありかたさえ,その時の流行や状況に合わせて操作しなければならない,ということのほうが,本来は問題ではないのだろうか。

 ここで私が問題にしたいのは「何が破綻するのか」ということである。
ここだけではわからないので,もう少し先を示そう。
 段落ごとの一文要約から縮約に進む段階ではあまり問題はない。縮約では

場に合わせて人格構造を作りかえる「かのような人格」は,いつか破綻をきたすという指摘がある。

となっている。ここから全体の要約に移るとき,次のような会話がなされている。

生徒B 「「かのような人格」の人はいつからか自らの空虚さに気づき,破綻をきたす」といいう指摘。人格的な破綻をきたすから,問題だと。

どうだろう,何かおかしくないだろうか。

そのあと,生徒Aと生徒Bの会話がこう続く。。

生徒A 最後の段落で,本来の問題は,自分が有利に生きられるからという理由で,場の空気に合わせて自分を操作することにある,と言っているよ。
生徒B 今気がついたんだけど,それって,同じこと言っていない? 場の空気に合わせて自分を操作していると,本当の自分がわからなくなってしまう。自由な自分がなくなってしまうと気づくことは「自らの空虚さに気づく」ということなのでは?

 ここの「それって」の指示語「それ」が何を表すのか不明確だったので,このあたりを読み直した。どうやら「自由な自分がなくなってしまうと気づく」イコール「自らの空虚さに気づく」,ということのようだ。
 そこで200字要約に進むのだが,その後半である。

有利な多数派であろうと,空気を読み自分を操作することはとても危険なことである。場の空気に合わせて自分を操作して有利な生き方をしようとばかりしていると自分自身が分からなくなる。自分の空虚さに気づき,人格的に破綻する危険がある。

 原文の「「かのような人格」の人はいつからか自らの空虚さに気づき,破綻をきたす」が「人格的な破綻をきたす」を経て「人格的に破綻する」になってしまった。

これはおかしい。

 もとになるH・ドイッチェの原文が分からないので断言はできないが,ここでいる「破綻」は「人格の破綻」ではなく「行動原理の破綻」ではないだろうか。わかりやすくいうと「こうしようと思ってやったのにそうならなかった」という破綻。「その場に自分を合わせて有利になろう」としているのに「いつからか自らの空虚さに気づく」のだから,行動原理の破綻だ。決して人格破綻者になってしまうわけではない。

 いずれにしろ,このような読み方(段落を分けてという手順で要約していく)が,はたして本当に「論理的な」読み方なのかどうか,疑問である。

 と,ここまで書いたところで,別の本に遭遇した。「お母さんは勉強を教えないで」(見尾三保子 草思社 2002)である。ここでも「段落を分けて要約していく」で読んでいるが,少し違うようだ。段落は書かれている段落ではなく,教師が分けた小段落。その要約も「一文」ではなく制限字数。

慣れないときは本文から引用しようとするが,それができないような字数にする。つまり内容の骨格をつかみ,自分の言葉で言いかえて書けば要点がすべてはいるような字数である

という。実例は載っていないが,村上氏のやり方とはまったく違う。
要約もやり方次第ということだろうか。


長くなってしまった。続きは次回。

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今までの流れは「読解力を追って」にまとめてあります。