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「ボウキョウ」:読んだ人にもまだの人にも勧める物語

ボウキョウ:11回にわたって連載された小説。1回に1万字越えなのでかなりの分量になります。


始めから順に(掲載を追いながら)読んだ人は少ないかもしれません。
かく言う私も,途中の何回目かをちょっと流し読みをし,第10話が掲載されてから,はじめから本腰を入れて読んだのです。

 この記事は,Web上でそのまま読むより,ワープロソフトにコピペして読む方が私は読みやすい」という話で,感想を述べたものではありません。その後,全編を読んでの感想も書けませんでした。(感想文は苦手)
 では,ここで何を書くかというと,伏線とテーマについてです。

ちりばめられた伏線

 こうして始めから集中的に読んでみると,各所にちりばめられた伏線に気づきます。それは,途中をちょっと読んでいたからかもしれませんが。読んだのは,#磨け感情解像度 に出品された第8話とその前後。ここで,「原発事故の被災地」という舞台が示されたので,その予備知識があったからかもしれません。
 では予備知識なしに読んでいくとどうなるか,各話のあらすじを追いながら見ていきます。まだ読んでいない人で,あらすじを知ってしまいたくないひとは,読んでからにしましょう。(^^)

第1話 
 東京で暮らす若い二人とその友人の3人が登場人物。
 主人公の充希と,結婚して海外に行く友人ノノとのひととき。
 その中に,「五年前“あんなこと”があったのだ」という伏線がある。これをそのまま読み過ごしてしまうかどうか。その「五年前」がこのあと主軸になっていく。

第2話
 充希が「いわき」に着く。父の「事故」の連絡を受けて帰郷したのだが,ここが「故郷」ではないことが,さりげなく示されている。「店を閉め、いわき市内に住むようになってから」だ。しかし,転居した理由は明かされない。
 病院に父を見舞うと,父が記憶喪失になっていることがわかる。
 この時点では,本当の舞台は示されていない。カタカナの「ボウキョウ」が何を指すのかも不明のまま。

第3話
 病院を出て,祖母の家に向かう。ここで,
 「とても五年前の大地震で痛手を負ったとは思えない。復興は着々と進んでいるらしかった。 “あの町”とは大違いで、羨ましい。」
 と書かれていて,舞台は福島県だろうという想像がつくが,"あの町" がどこなのかは不明のままだ。
 また,祖母の言葉「あの子は家族と故郷を二回失ぐした」で,「ボウキョウ」が「故郷」につながること,「望郷」かもしれないとわかってくる。
 ここで,東京で一緒に暮らしている真司がやってくる。

第4話
 真司は充希の家族に受け入れられていく。心があたたかくなる回だ。真司の素性は明かされないが,父の「東京の出身ですか?」という問いに対し,「何回か引っ越してるんですが、いま実家があるのは埼玉の川越市の近くです」と答える。勘のいい読者なら「埼玉」の意味がわかるだろう。
 そして,この話の末尾から父親の記憶がすこしずつ戻っていく。

第5話
 充希の家族と真司は小名浜の水族館に行く。そこでの会話に
「百槻くんは、ここに来たことあるのかい?」
「いえ、初めてです」
「え、嘘……」
というのがある。第4話で勘のよかった読者はここでそれを確信するはずだ。
 さらに,この回で,彼らの本当の故郷がいわきではないことが再び暗示される。

第6話
 充希の伯父夫婦が登場する。ところがいきなり離婚騒ぎ。原因は,「故郷に帰る」ことだった。ここでは具体的な地名も書かれ,本当の故郷がどこなのかが示される。そしてそこに帰ることについての人々の葛藤も。「ボウキョウ」は「亡郷」,失われた故郷となる。

第7話
 伯母,麗愛の過去が明かされ,それとともに家族は和解に向かう。が,そこで示されるのは故郷への思いだ。「ボウキョウ」のテーマが色濃くなってくる回だ。

第8話
 充希と両親は本当の故郷ー失われ朽ち果てた故郷 を訪れる。全11話の中でも圧巻の回だ。故郷を失った者でないと書けないリアルさは,読者に「あなたの故郷がもしこんなだったらどうしますか」と厳しく問いかけてくる。フクシマを知らない人たちにはぜひ読んで欲しい回だ。

第9話
 いわきの家に戻った充希。出かけた先の喫茶店で父とばったり会う。ところがそこで大事件が起きる。

第10話
 事件で怪我をした充希の,朦朧とする意識の中で語られる真司の素性そして故郷。第4話で真司の本当の故郷を予想した人には,思い入れが濃くなる回。
 意識を取り戻したとき,父の記憶も戻っていく。充希の怪我を聞いて真司がかけつけてくる。

第11話
 第1話のノノ,第6話の伯父夫婦が再度登場。真司は,本当の故郷がやはり失われた故郷ー亡郷であることを充希の両親に告げる。真司と充希が東京に帰る列車の中での二人の会話で物語は終わる。

エピローグ
 これは内容を書かない方がいいでしょう。ぜひ全11話を読んだあとで読んでください。そして,泣くんだったらこのエピローグを読んでから。

 以上があらすじ。それぞれの回で細かいエピソードを読むことで,物語の詳細がわかってくるでしょう。

 さて,この小文のタイトル「読んだ人にもまだの人にも」ですが,読んだ人も改めてそれぞれの回を確かめるといいのではないかと思います。全体ではなく,それぞれの回。それによって,ちりばめられた伏線とともに,全体がどう構成されているかがあらためて見えてきます。
 作者の南葦ミトさんが,どこまでプロットしてから書いたかはわからないのですが,各回に置かれた伏線が見えてくると面白さが一層増します。
「そうか,そういう意味だったのか」と。

 そこで,あらためて「ボウキョウ」の意味を考えると,これは人によって受け取りかたが違うと思いますが,舞台がフクシマ(わざとカタカナで書いています)であることが,この物語に重厚さ(「重いテーマ」という意味ではありません)を加えていることがわかるでしょう。
 南葦さんは「あとがき」で,

テーマは「故郷と家族」
「ボウキョウ」は複数の意味を持っています。「望郷」であり「亡郷」あるいは「忘郷」

と書いています。家族ということだけであれば,「ちょっとした事件が起きたけど平和に収まった」というだけの話。しかし,ここで「故郷」が,それも,失われた故郷が舞台となることで,家族の意味に重厚さが出てくるわけです。
 主人公の充希,その家族とりわけ父親,伯父夫婦,そして真司,それぞれの「故郷」の意味が微妙に違い,その上に家族という関係が成り立っています。
 
 あなたの故郷は「失われて」いますか。多くの人はNoでしょう。いや,中には「故郷といえるものがない」人もいるかもしれません。また,ここに出てくるような人たちを(伯父夫婦も含めて)家族というのなら,私には「家族」がない,という人もいるかもしれません。「故郷」「家族」がない人には,この物語はうらやましいものかもしれません。失われたとはいえ故郷があり,家族があるのですから。
 生まれてからずっと同じ家,同じ家族と暮らしている人はどのくらいいるでしょう。親がいくつかの土地を転居しているかもしれないし,生まれた土地と育った土地が違うひともいるでしょう。そのとき「故郷」とはどこでしょう。親や兄弟と共有している故郷は,はたして同じ故郷でしょうか。故郷に対する思いも人によって違うでしょう。

 そこにあるけれど,戻ることのできない故郷。しかし,その故郷への思いがいかなるものなのか,作中で語られます。それとともに,その故郷を同じくする人たちの絆と家族の絆が,単なるハッピーエンドでも,悲劇的でもない形で語られます。フクシマが舞台だからこそ語られる家族の意味を,あなたはどう読み取る,あるいは読み取ったでしょうか。まだ読んでいない人は,ぜひそれを念頭に全編を読むことをお勧めします。

 なお,各回の感想を募集していて,それをまとめたものが「ボウキョウによせて」にあります。先の展開がわからない時点での感想を読むのも面白いでしょう。