バラライカ : リメイク版
紅蓮の夕日が暗く立ちこめた雲とビルの間に沈む。
雨が音もなく降りはじめた。
遠い信号の赤を映す窓を滴だけが成長していく。
17階のスカイラウンジ。
ひとりカウンターに腰掛ける。
バーテンがグラスを拭くのを見て,「バラライカ」と小さく言った。
円錐を逆さにしたグラスにシェーカーから白い液体が注がれた。
「どなたかお待ちですか」
バーテンが遠慮がちに聞いた。
ときどきドアの方を見ていたからだろう。
「いえ」
来るはずのないドアから窓の外に視線を移す。
∞ ∞ ∞
「カクテルでもいってみる?」
「いいわよ」
「何かお好みある?」
「うーん・・・」
「サイドカーとか」
「女性向けの強いので酔わそうってわけ?」
「あれ? 知ってた? じゃあ,ジンライムとか」
「ポピュラーなのね」
「なんだ,結構知ってるじゃん。」
「ふふ。じゃあ,サイドカーにしようか。あなたは?」
「えーと,メニューにないなあ」
「何が?」
「バラライカ」
「ほんとだ,ないわねえ。聞いてみようよ。 バラライカできます?」
バーテンの返事はOKだった。
「へえ,バラライカなんて,洒落てるじゃない」
カクテルなんて,格好つけたがいつも飲んでるわけじゃない。
「ドクトル・ジバゴね」
「あれ? それも知ってるのか」
「新しいのじゃなくて,古い方でしょ」
「そう,オマー・シャリフの。始めの方の葬送の場面とラストシーンにバラライカが出てくるんだよね。」
「それで? わたしはラーラ?」
いたずらっぽく目で笑った。
3ヶ月の研修を命じられてやってきた街。
研修先で隣り合わせたのが彼女だった。
1ヶ月経った飲み会で,彼女が離婚していることを知った。
「前の夫? いい人だったんだけどね。合わなければしょうがないわ」
悪びれもせずあっけらかんと話すが,本当の胸の内はわからない。
会社で一緒に過ごすうち,彼女は私のラーラになった。
もう春になろうかという日,風花が舞った。
ベージュのコートの襟を立ててコンビニの角で静かにたたずんでいた。
「お待たせ」
「ほんとにいいの,今日は家に帰るんじゃなかった?」
「ああ,会社の同僚と今後の打ち合わせをするのでちょっと遅くなるとメールしておいた」
葉を落した鈴懸の並木を肩を並べて歩く。
同僚に見とがめられても,研修の打ち合わせといえば済む。
風花が雪に変わった。
日本料理の店で食事後,17階のスカイラウンジに誘った。
「カクテルでもいってみる?」
研修期間が終わると,参加者はそれぞれの支社に戻っていく。
「もう会う理由がなくなるね」
「あたし,来てもいいわよ,この街」
そうだね,と言えなかった。自分にはこの街に来る理由がない。
駅まで一緒に歩く。
「じゃあね」と言って別れたのに,ホームで手を振る彼女がいた。
銀と青のツートンカラーの電車がそれを遮る。
人ごみに紛れたと思ったのに,窓から手を振る姿がまた見えた。
それを茜色の電車が遮った。急いで乗って窓際へ。
銀と青はすでに見えなくなっていた。
半年が経った。
彼女とメール交換はしていない。履歴を残さないためだ。
研究成果の発表会で再びこの街に来ることになった。
発表会に彼女は来なかったが,このプロジェクトに私が関わっていることは知っているはずだった。
あの日と同じ日本料理店で発表会の仲間と食事をした。
先に帰るふりをして,同じ時間にひとり,17階にあがる。
妻には打ち上げがあると連絡してある。
外は雪ではなく雨。
来るはずのないドアから窓の外に目を移す。
銀と青のツートンカラーの電車が去っていくのが見えた。
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note を始めてから5日目の「バラライカ」をリメーク。
きっかけは,昨日フォローしたNoah Hanaokaさんの文章。
ちょっと刺激されて,#以前から書き直したいと思っていた「バラライカ」を書き直し。描写力ではとうてい敵わないけれど。
磨け感情解像度 非参加作品。(#をつけると,何度消してもタグがついてくる)