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グスタフ・マーラーとの出会い 交響曲第1番

マーラーと出会ったのは高校1年生のときである。それまでマーラーという名は聞いたことがなかったか,聞いても意識になかった。
ある日,ラジオから流れる曲にひきつけられた。
「あ,これこそ求めていた音楽だ」
何がその理由だったのかは定かではない。単に「気に入った」ではない,何かがあった。
そのとき,テープレコーダーに録音したかどうかも記憶にはない。
覚えているのは,その「印象」だけである。第1楽章冒頭だ。

第1楽章の冒頭,朝霞を思わせるヴァイオリンのフラジオレットに,クラリネットのファンファーレが遠くから聞こえる。クラリネットであるにもかかわらず狩のホルンの音のようにも聞こえる。続いてクラリネットのカッコウが鳴く。
いわゆる描写音楽ではないが,そのようなイメージを想起しやすい。

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第2楽章はレントラーという舞曲。いかにもマーラーらしい,アクセントの強い舞曲だが,今は特記することはない。

第3楽章はなんとも悲しげな旋律である。コントラバスからファゴット,チェロ,チューバとカノンで続く。

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ここは,東京大学の学生オーケストラを1度だけ聴きに行ったときの,コントラバスのソロを今でも覚えている。
しばらく行くとオーボエがスタッカートのリズムで,揶揄するようなメロディーを吹く。

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etwas hervortretend は 少し目立って だろうか。3小節目の装飾音符つきのDへの跳躍をどう演奏するか。悲しみに沈むような歌に,冷やかすような音で対比させるか。ワルターのものはこのオーボエのメロディさえも悲しく,慰めるように聞こえるから不思議だ。Youtubeでいろいろ聴くと,まさに諧謔的に吹いているものもある。指揮者の解釈だろう。

第3楽章が静かに終わると,第4楽章,いきなり挑戦状が叩きつけられる。ベートーベンの運命の第3楽章から第4楽章への展開に似ていなくはないが,運命が高らかな勝利の賛歌であるのに対し,こちらは挑戦を告げる音楽だ。第3楽章が悲しみの音楽であるならばこれは反撃ののろし。軍隊の進撃を告げているかのようだ。

 なお,以上は個人的な印象であって,一般的な曲の解説,たとえば,「巨人」というタイトルを付けたとかとりやめたとか,第3楽章が葬送の音楽であるとかいう話はあとで知ったことである。

 初めに聞いたのが誰の演奏であったかはまったく覚えていない。記録もない。しかし,買ったレコードはワルター・コロンビア交響楽団のものだ。本などを調べて買ったものと思われる。月々のこづかいを何か月か分貯めて買った。2番目は第9番。次が,多分第2番。ともにワルター・コロンビア交響楽団。少しずつ買っていくことになる。
 大学生になり,東京のアカデミアミュージックを知り,上京したときにスコアも買った。輸入譜である。1番,9番,3番。当時は音楽之友社や全音ではマーラーのスコアは出ていなかった。

第1番は,いわばマーラー入門となった曲だが,聴いた回数は他に比べると少ない。こころを休めるために聴くにはちょっと物足りないからだ。そこはやはり2番,3番,6番,9番,となる。マーラーでこころを休めるというと,意外に思う人もいるかもしれないし,ここに5番のアダージェットが入っていないのを不思議に思われるかもしれない。どういうことかは,これから順次書いていく中で見えてくるだろう。