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読解力をつける(3) 「読む力」はこうしてつける

「「読む力」はこうしてつける」(吉田新一郎 新評論 2010)を読んだ。
「はじめに」に次の記述がある。『Strategies That Work(効果的な読み方の方法)』というタイトルの本に出会い,

「まったく,その通りだよな〜」と,うなってしまったことを今でもよく覚えています。少なくとも,私自身が過去において体験した国語教育では,まったくと言っていいほど欠落していたことばかりですし,日々本を読むことを通して,自分自身が実感していることばかりだったのです。

と書く。続いて,

本の中で紹介されていた「優れた読み手が使っている方法」は,以下の七つです。
 1. 自分や,他の読み物や,世界とのつながりを見いだす。
 2. イメージを描き出す。
 3. 質問をする。
 4. 著者が書いていないことを考える(つまり,行間を読む)。
 5. 何が大切かを見極め,他の人に説明する。
 6. 様々な情報を整理・統合して,自分なりの解釈や生かし方を考える。
 7. 自らの理解をチェックし,修正する。

これで,この本の方向性はだいたいわかる。読解力をつける(2) で紹介した,「小学校全体で取り組む「読書活動」プラン」 に近いものだ。
著者は「なぜ,小・中学校時代に教えてくれなかったの」というが,1. や 5. は「小学校全体で取り組む「読書活動」プラン」にもあるものだ。
しかし,筆者が思い出す国語の授業は,小学校低学年では順番に音読させられるために,内容を味わう余裕はなく,高学年から高校にかけてではつぎのようなものだったらしい。

教科書に載っている作品を段落ごとに読み,指示語は何を指しているのか,作者の言わんとしていることは何か,またこの段落の要旨は何かなどを細かく解釈するといった授業でした。ただ読むのであれば数分で終わってしまうのに,何時間もかけたこと,そしてどこの誰が決めたのかも分からない解釈を押し付けられたことに価値を見いだすことができなかった私は,読むと言うことが嫌いになりました。
問題の大きさは,「いかに読むか」という内容の本や雑誌の特集が後を絶たないことでも分かります。私だけでなく,多くの子ども達や大人達を「読むこと嫌い」にするだけでなく,まったくと言っていいほど読み力をつけないこの教え方(読解の教育)が長年主流であり続けている原因はいったい何なのでしょうか。

とかなり手厳しい。
読解力をつける(1) で紹介した「やさしい 国語読解力」が,「いかに読むか」という内容の本」にあたるだろうか。
 しかし,このような本が「後を絶たない」ということは,学校では「いかに読むか」が実はちゃんと教えられていないか,教えられていても少しも身についていない,ということでもある。

 著者はさらに次のように言う。

 テストや試験は「答え」(それも一つの正解)があることを前提にして成り立っているものです。そうなると,テストや試験に向かって準備をする場が授業ということになります。

そして,次の図を示し

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Aは表面的な理解というか,文字面レベルの理解と言えるのに対して,BとCはより深いレベルの理解をもたらすものです。ご覧になって分かるように,Aは正解があるのに対して,BとCにはほとんど正解が存在しません。〜中略〜 現在行われている読みの教え方は,ほとんどの場合Aのレベルであり,〜中略〜 BやCができるようにならない限りは読むことが楽しくなりませんし,自分のものにもなっていきません。

という。
まさにその通りなのであるが,この,読解力に関するシリーズで私が問題提起しているのは,このAなのである。「楽しく本が読めていない」「本を読まない」ということではなく,レベルAのことができないのはなぜか,ということなのである。

 このあたりで,この本が,私の目指すものとは方向性が異なることがわかる。

 本書では,パート1として,上記のような現状分析を行ったのち,パート2として「優れた読み手が使っている方法」を紹介し,実際のレッスン形式を示している。
その方法とは,冒頭に述べた七つの方法に「批判的に読む」を追加したものだ。
 したがって,「文章が読み取れない」ではなく「本が(楽しく)読めない」ということの対処法としては,本書はいくつかの処方箋を示していると言えるだろう。
タイトルの「読む力」は「読解力」ではなく「本を読む力」というわけだ。