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愛情はすべて歌詞に刻まれている / 「ロケットマン」

はてなブログからの移行記事です。

 「ボヘミアン・ラプソディ」の製作を混乱の中から救い出し特大ヒット&アカデミー賞にまで導いたデクスター・フレッチャー監督が手掛ける新作は、エルトン・ジョンの半生を描くミュージカルドラマ。

「ボヘミアン・ラプソディ」とはまた異なる、素晴らしい伝記ミュージカルが誕生しました。

監督:デクスター・フレッチャー
キャスト:タロン・エジャートン、ジェイミー・ベル、リチャード・マッデン、ブライス・ダラス・ハワード
あらすじ:イギリス郊外で両親の愛を得る事なく育った少年・レジー。音楽の才能に恵まれていた彼は、“エルトン・ジョン”という名前で音楽活動を始める。後に生涯の友人となるバーニーとも出会い、レコードの発売も決定、その道のりは順風満帆に見えたがー。

正直、鑑賞前までのエルトン・ジョンについての認識は、「物凄く音楽の才能を持った、ちょっと変わった人」というものでした。著名な楽曲はいくつか知っていたけれど、50年にも渡る活動やその楽曲制作の詳細については全くといっていいほど知らなかった私がなぜこの映画を観たいと思ったのかというと、それは本作の製作にまつわる愛と敬意に溢れた繋がりの構図が素晴らしいなと思ったから。

本作の製作の情報が出たのは恐らく2013年頃。この頃はトム・ハーディが主演予定で、しかも監督予定は後に「グレイテスト・ショーマン」を監督することになるマイケル・グレイシー!

そこからコトが具体的に進みだしたのは2017年夏頃、タロン・エジャトンが主演候補に躍り出た所から。

この頃には監督候補が「キングスマン」のマシュー・ヴォーンに変わっていたわけですが、彼が監督しタロン君が主演する「キングスマン ゴールデン・サークル」にエルトン・ジョンがまさかのカメオ出演することになり、この3者が繋がる事になります。

そして、実際に監督することになるデクスター・フレッチャーもこの時製作として関与しており、彼は「イーグル・ジャンプ」(日本未公開)でタロン君を主演に据えて映画を撮ったばかりでもありました。

さらにちょうどその頃、2017年夏にはイルミネーションスタジオ製作のミュージカルアニメ「シング」で、タロン君はエルトンの「I'm Still Standing」をカバーして素晴らしい歌唱力を披露。

この「シング」で見せた実力と、「キングスマン ゴールデン・サークル」撮影現場での本人を見て、エルトン本人がマシュー・ボーンに「タロン君でどうよ?」と言ったそうな。(マシューが推薦したという説もあるけどこの際どっちでもいい!)

企画があがっては流れていく映画業界で、既に4年動いていない企画は塩漬けコースを辿るのが常ですが、エルトン諦めていなかったんだね。

そして、彼が見つけてプッシュした才能=タロン・エジャトンを、マシュー・ヴォーンもデクスター・フレッチャーもよく知って信頼していたからこそ、一気に企画が動きだしたわけです。

映画の企画や製作の立ち上がりを横目に見ていた経験がある身なので、いくら素晴らしい企画であろうと、それを実現しようとする人や会社が集まらない限りその作品が世に出ることはないという事実を知っています。

だからこそ、登場人物が見えるからこそ、こうして実力と信頼で輪が繋がって作品が出来上がったという過程自体が既に最高のエンターテインメント!
そして、作品自体もそんな製作過程のドラマに引けを取らない素晴らしい内容になってます。


※ここからネタバレあります※


どうしたって「ボヘミアン・ラプソディ」と比べられがちな本作ですが、観てみれば一目遼前でそんな比較が意味をなさない作品だとわかるのではないでしょうか。

内省的な歌詞が物語と相互作用する、理想的なミュージカル映画

初めてエルトンの曲をちゃんと聴いたのですが、ここまで内省的な楽曲だったことに驚き。

作品の構成上「歌詞」が果たす役割が非常に大きくなっていたことでその事実に気づいたわけですが、だからこそそれが「ボヘミアン・ラプソディ」とは全く違う印象、全く違う作品となったのかなと。

嘘もなく、自己弁護もなく、ゲイであること、ドラッグ中毒、セックス中毒、買い物依存症……etc. 自分を全てありのままに出し切り、愛に飢えていた少年が音楽の才能を開花させ、もてはやされてもなお孤独を感じ、愛されたくてもがき苦しんでいる様を描くという内容。

エルトンの楽曲の「歌詞」は、そんな赤裸々な内容や心情をダイレクトに表現する作品内の表現手段としても完璧に機能しており、その歌詞と物語との絡み合うようなつながりの深さに感嘆しました。

楽曲を使い、ミュージカルという表現手段を取る意味を、ここまで感じさせる映画も久々。

そしてそれ自体が「パフォーマンスという目に見える華美さに包んで、個人の内面と物語を歌詞として届ける」という、エルトンの楽曲とパフォーマンスをミュージカル映画という形にトレースしたかのようになっているのが、非常に面白かったです。

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作詞家バーニーへのラブレター

そんな本作の超キーポイント「歌詞」。これもまた全く知らなかったのですが、エルトンの楽曲の歌詞は50年来作詞家バーニー・トービンがパートナーとして書いているんですね。

そんな2人が、たまたまレコード会社に応募していたバーニーの歌詞をきっかけに知り合い、逢ったその日から意気投合して楽曲を共創していく過程はとてもエネルギッシュ。

そして、そんな積み重ねの先に、あまりに自然に出来上がる名曲「Your Song」の素晴らしいこと!

悩みに悩んで出来上がった曲ではありません。

家を追い出され、エルトンの実家に2人で転がりこんだ翌朝。朝食を食べる家族に囲まれながら、筆を進めていたバーニーがふとエルトンに渡した一枚の紙きれ。

それを見るなり「卵があった」とつぶやいてピアノに向かうエルトン。

ありのままの自分とエルトンの姿を見ながら綴られたバーニーの歌詞と、それを見るなり、溢れ出るかのようにピアノを叩くエルトンの指から紡がれる美しいメロディ。

「創作」において、わかりあえるパートナーとの共創、そしてその存在がどれだけ素晴らしいものかが一瞬で伝わる美しいエピソードであり、歌うエルトンの姿をそばでみながら思わず微笑んでしまうバーニーの笑顔の切り取り方に、どれだけ制作陣の愛情が込められていたことか…珠玉のシーンです。

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そう、今回の影の主役は作詞家・バーニー。結局、「彼氏」という形でバーニーの愛情を得ることはできなかったエルトンですが、バーニーはその事実をしっかり伝えながらも、エルトンの人となりと才能を愛し、一番近くでエルトンの心を受け止めて歌詞を書き続け、何かあればサポートしてくれていました。

そして、エルトン自身もただ性的な意味でバーニーをみていたわけではなく、人として、創作者として、様々な意味を含めて愛しているのであり、このふたりを繋いでいる「敬愛」「兄弟愛」「片割れ」的な関係性への描写の力の入り方には、エルトンをここまで支え、そして彼の「愛されたい」という呪縛を解き放ってくれたバーニーへの賛歌のような意味合いを感じました。

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「愛されたい」呪縛からの解放、自己肯定の物語

本作は、83年の「I'm Still Standing」発表までという、エルトンの半生にしてはだいぶ早い段階でエンディングを迎えています。その後に控える大きな成功などはエンディングでさくさくっとすませてしまうあたり、そうした偉業を描くことが目的ではないことは明白。

そう、これは幼少期のトラウマ(愛の無い毒親)から「愛されたい」願望に雁字搦めになっていたエルトンが、「自分自身を愛してあげることが出来るようになるまでの物語」。

それが結実した瞬間がこの83年の「I'm Still Standing」なのではないでしょうか。

I'm Still Standingの本編/MV比較動画付きエンディングシーン!

誰もがエルトンと聞いて一番に思い描くであろうあのド派手な衣装は、そんな愛を渇望する孤独な自分を隠して戦うためのある意味戦闘服。そんな戦闘服を着せられて、ステージ裏からステージへと飛び出していった際の、あの変わりよう!

2,3回ほどその様子を長回しで描くカットがありましたが、その嫌味の無いシームレスな演出とタロン君の演技のなめらかさに見入りつつ、そんな戦闘服を着てステージに立って道化のように振る舞うことがまるでベルトコンベアのように行われていたら、そりゃ自己認識のバランスも崩れるわ…と胸がぎゅっとなった瞬間でもあります。

でも、この「I'm Still Standing」では、まるで全てをリセットするかのようにまっさらな白いスーツで、華美な装飾を取り払っています。様々な出会いと別れを経て、自殺未遂さえ犯したエルトンでしたが、リハブ施設に尋ねてきたバーニーから「自分で立ち直れ」という言葉と共に渡されたのがこの「I'm Still Standing」の歌詞。

Don’t you know I’m still standing better than I ever did?Looking like a true survivor, feeling like a little kid And I’m still standing after all this timePicking up the pieces of my life without you on my mind
いいかい? 僕はこうして立っているんだ、今までよりもずっと確かにまるで真の生存者みたいに、ちっちゃな子供の心をしたまま いろいろあったけど、僕はまだ立っている 君のことを頭から追い払って、人生の欠片を拾い集めているのさ           - I'm Still Standingの歌詞から抜粋

これだけ自身のことを知り尽くした相棒から渡された「僕はまだ終わっちゃいない」と謳う歌詞に、どれだけ奮い立たされたことか。

そうして、幼い日の自分自身=レジーを抱き寄せ、ハグをしてあげることの出来たエルトンは、「自分自身を愛する」ことを手にして人生の第二章を歩み始めました。

エルトンがタロン君に口をすっぱくして言っていたという言葉があります。

「僕のコピーを演じるな」

そう、この「ロケットマン」が伝えたかったことは、エルトンの半生の偉大さではなく、自分を肯定してあげることの尊さ。

「愛されたい」と思う全ての人の気持ちを受け止めながらも、「自分で自分を愛してあげること」をこうも優しく刻んでくれる作品はなかなか無かったのではないでしょうか。

その過程をこれほどビビッドに体現してきたエルトン・ジョンという人のキャラクター、物語、そして楽曲が持つ力に、タロン・エジャトンの不思議なほど引力のある歌声とつい愛でたくなってしまう魅力。

本作は、「彼を演じるために生まれてきた」と言っても過言ではない主演を得たことで、モデルと演者のケミストリーによって作品のメッセージが拡張された稀有な作品になったのではないでしょうか。


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