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2021/05/20 深夜徘徊記録・近所

 課題をやりもせずオンデマンド講義の進捗も芳しくないままに夜が明けようとしていた。ただでさえ詰まった状況であるのに部屋までしけていちゃどうにもならないので、南の空を望む掃き出し窓を開け、水のように流れ込んでくる外気をせめてもの清涼剤にしていた。真夜中が好きな人ならわかるであろう、ひっそりとした、煙のような、かぐわしい夜の匂い。それも、五月半ばを過ぎた、若々しく陽光を吸い込む新緑さえも寝静まった、初夏の夜がどんなに濃密かは想像に難くないと思われる。


 眠れる気はしない。というか、課題が終わってもいないのに寝るなんてできるはずがない。かと言って、やる気が全く起きない。こうして私は、午前3時に高校時代なけなしの貯金を切り崩して買ったカメラとボディバッグを手に取り、裏口から家を出たのだった。


 砂利を踏み締める音で親を起こさないか肝を冷やしつつ庭から正面側の道路へ回り込む。そうするとどうだろう、白い外灯のスポットライトと炭のようなアスファルトの他に視界には何も映らない。冷たくも熱くもない霧のような空気がベールとなって私の体を覆う。どれだけ深く息を吸い込んでも、空気は無くならない。閑散とした住宅街、よるべない私の足音がことこと耳に届く。響くほど街は狭くないが、しかしこの足音は私以外には聞こえようもないし、何より、誰の目もない。宙で掻くように両腕を広げくるりと回る。静まり返ったとろみのある夜の空気が私の手で掻き回され、波紋が広がる。誰も入っていない鏡面のようなプールに飛び込むかのような快感。たぶん、これが自由ってやつだな、と鼻笛を鳴らした。

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 結露したミラー。車やポストは、みんなこんなふうだった。帰ってくる頃には水滴に塗れている。

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カラーで撮るよりも白黒の方が明暗が浮き立つ

 歩道に沿って、小学生の頃の通学路をなぞるように通り、産業道路まで出る。この産業道路は昼夜問わず大型トラックが行き交う。午前3時とはいえ、昼とさしてかわらぬ量の大型トラックがこの道路のアスファルトを擦り取っていく。

 歩道橋を渡ればいよいよ小学校へ続く道になる。しかし、そちらへ進むと道が狭くなることもあり、怖くなってこの産業道路沿いを進むことにする。

 実は、深夜徘徊は安全性のために以前は自転車に乗って行なっていた。そのため、徒歩での徘徊に慣れず背後を警戒して360°異常がないか見回すために時折一回転しながら歩いていく。背後から見知らぬ人間に捕まえられるトラウマもあるので。

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まだまだ暗い。交差点の歩行者ボタンや白線、信号機が好き。車や人がいないとより好ましい。

 途中、自販機でチョコミントアイスを買い、齧りながら行く。このくらいの季節はアイスがすぐ溶け出さないので、好きなペースで食べることができる。おいしい。

 私の住んでいる街は工場が多い。再生紙の工場、年末バイトに行ったことのある食品工場、流通センター、挙げればキリがない。産業道路が通っているのもこのためであるし、当然、私の通る道は工場が立ち並ぶ区域へと様変わりしていく。

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 大通りは橋に差し掛かった。この橋を越えてから、街並みがすこし変わる気がする。

 この川を見るたび、私は嗚呼人の飛び込んだ川だと思う。確証はないが、そう思ってしまうようになった。

 ある雨の日、用があってこの川に沿って整備された遊歩道を歩いていた。川の淵は当然ガードレールやらがあり、心理的には丈の高い雑草をずかずか分け入って水面までたどり着き難いような構造になっている。また、川沿いはすこし盛り上がっていて、これに対し遊歩道はいくらか低い位置にあり、川側はコンクリートの壁になっているところもあるのだが、その日何気なく濁った川(晴れていても黒く濁っているのだが)を眺めつつ歩いていると、気にかかるものが目に入った。

 爪先を川に向けるようにして革靴がぽつんと置いてある。かかとは揃っていた。二足いずれも欠けることなくすまし顔で雨に降られていた。

 こんなところで革靴を脱ぎ捨てるなんてことがあるだろうか、それも、サラリーマンが履くような大きな靴…釣り人かとも思うが、川辺を見渡せど人影はない。一応の敷居はあるものの、物好きが、というより、暇を持て余した人間が釣りをするために大袈裟なものではない。行こうと思えば容易い。

 川は普段より水嵩を増している。私の他に通行人はない。このあたりは交通量こそ多いが、人気はない方であった。流れる人影はないか覗き込むも、当然何も見つからない。それだけの話。

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 工場はこのような真夜中でも動き続けている。連立する工場のうちのどれかから、「シャッターが……………します。ご注意下さい」というサイレンが繰り返し聞こえてくる。このあたりは昼でもあまり通行人はいないが、夜になると化けるようだった。緑がかった街灯がケミカルに暗闇に沈んだ工場の不夜城の鼓動を妖しく照らし出す。

 このあたりから、アレ、もし万が一のことがあったら不味いんでは?と深夜徘徊のDiscordで音声を流し始める。トラックの排気音、シャッター音、たまにくしゃみや水たまりを踏み抜く音だけが流れる。生存確認してくれた某氏には感謝。

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 工場を抜けた先の住宅街沿いを行く。自販機に目を止め、結露した商品展示に指を滑らせる。ふとその脇を覗いてみると、これが面白い。

 雑草の生茂る中にコーヒーの空き缶が小鳥の卵のように埋もれていたり、口をつけたとは思われないペットボトルが転がっている。プラスチック製のゴミ箱は無残に割れ、自販機の裏に追いやられた挙句残骸を吐き散らしている。

 「インモラルだ!」テンションが上がってシャッターを切る。良くないですか?こういうの。

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 道脇に佇む公衆電話を見つける。公衆電話、可愛い。特に夜は狭いガラスケースの中に一人ぽっちで閉じ込められているのが、無機質な灯で強調されているのがどことなく哀れで孤独で愛おしい。きっと行く場がなかったのなら私は公衆電話と一晩一緒に眠ることだってできる。醜悪なショーケース。たまにつがいで並んでいるのも違った風情がある。ガチャガチャで引いたフィギュアが家にある程度には好きです、公衆電話。

 ここから折り返し。時刻を確認すると、公衆電話を撮っていたのが午前3時56分。もうすぐ4時であるのと、夜明けの空気を俄かに感じとり、横断歩道を渡って、来た道の向かい側を通っていく。

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 夜が薄れていく。空は藍色に染まり、それもまた美しい。ボーッとした脳味噌で、トラックこそが夜の闇を打ち倒す英雄であるというような妄想をしている。

トラックが闇をハイビームで裂き、攪拌し続けたために朝が来て、彼等なしに朝は訪れないのではないかという錯覚 (ツイートをそのまま引用)

 以前の深夜徘徊でも同じようなことを考えていた。要するに二番煎じである。だけども、深夜の散歩におけるトラックのハイビームの灯りや身を揺らす振動は、すこし特別に写る。

 なんとなく「夜明けと蛍」を口遊んでいる。深夜徘徊同好会の方で深夜徘徊プレイリストを作りたいという方があったが、自分の中では「夜明けと蛍」が入っているらしかった。是非完成してほしいプレイリスト。

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 そうこうしているうちに、東の空が紅色に染まっていく。厚い雲に覆い隠されて鈍く発色している。なんだか痣を思わせる。「明けない夜はない」などと望ましいものとして希望として捉えられる朝が、キャンバスを汚していく。夜を追放していく。あの藍色は面白味のない水色へ上塗りされる。

 家路を歩くと、自然と朝日に背を向ける格好になる。意識的ではないにしろ、おかしくて笑ってしまう。そうして、4時過ぎに家に帰り着いて、裏口からリビングに戻る。スニーカーを摘んで玄関にそっと置く。しっかり戸締りをして、自室に帰り着く。一度閉めた窓を開けると、今度はさっぱりとした朝の混じった停滞の夜の味がした。茜色の空を見たくないかのように、ノートパソコンの電源をつけ、課題に手をつけ始める。