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【恋愛哲学】禅とオートバイ修理と少子化対策

どうも、悪猫です。

適当にTwitterをしていたら、いつのまにかモテの仕組みを語るプチアルファとして注目されるようになりました。昔はナンパをして腕を磨いていましたが、最近はすっかり丸くなりました。

こんなツイートが物議を醸しているようです。

どうも、政府が奨学金を出産で減免しようとする政策に一部の女性が「グロテスク」と表現している状況でした。

男脳論理からはなぜそうなるのかは分からない。そもそも福祉が必要だったやんけ!と色んなところでツッコミが入って味噌味噌ポイントが溜まっておりますが、今回は一回深呼吸して、この件について解説していきます。

本当に、恋愛、結婚、出産は金で解決するものでしょうか?

以下の話を掘り下げていこうかなと思いますね。結論から言えば、少子化対策自体がグロテスクなのは仕方ないことですね。

禅とオートバイ修理技術

世界的な大ヒット哲学書に『禅とオートバイ修理技術』があります。

すごく簡単に言うと、主人公が家族息子連れてオートバイでアメリカ横断の旅に出ます。しかし、オートバイが故障するので修理しないといけない。一方、BMW高級車なのでパーツがないので修理できない状況に悩むわけです。

「なんか、オートバイで米国横断する時点で無謀でロマンなのに、オートバイの故障にイライラするの意味なくない?もう、直しやすい古い型で旅した方がよくない?でも、それはそれでロマンがないというか。もう、これでやるっていうのが男の夢であって、それだと旅の意味自体がねーというか」(意訳)

みたいな考えを色んなメンバーの体験を通じて作者は脳裏を巡らせるわけです。そして、人間の二つの思考方式「古典主義」と「ロマン主義」について辿り着きます。その後、何が「質の良さ悪さ」とは何かと哲学思考実験していくわけです。

「古典主義」


これは、合理主義、設計主義なのですよね。予測不可能なものを予測可能にする人類の叡智です。科学、合理性、経済性の世界です。常に未来を考えて行動します。植えた苗が作物になったら嬉しい。バイクが治ったら嬉しい、旅が成功したら嬉しい、旅行が上手くいくと嬉しいみたいな話ですね。「全てが計画通り」という話ですね。

デスノート第24話「復活」 大場つぐみ

「ロマン主義」

=刹那的な価値なのです。予測不可能なものを予測不可能なままにして受け入れる。禅とご縁と運命の世界です。未来とは関係なくその場のありのままを最重要とします。もう最高のバイクで旅をする。壊れたことまで考えない。この時が最高の瞬間だというものですね。桜木花道の「親父にとっての全盛期は全日本の時か?俺は今なんだよ!」の場合ですね。もう、怪我した背中のこと、未来のことなんてどうでも良い。

スラムダンク第270話 井上雄彦

で、ロマン主義の人にとって古典主義的な人は醜いのですよね。合理性、計画性、予測可能性にこだわったら、人生何が面白いの?今も楽しめないのに、どうせ予測しても思い通りにならん、今を楽しめ、という野郎でも共感できる話なのですよね。

損得のことなんて、未来のことなんてどうでもいい。俺は、今やりたいことをやる。それが俺の美学。という天竜人をぶっ飛ばすルフィみたいな生き方です。

あと先考えずに天竜人殴るルフィ『ワンピース』

恋って「ロマンの世界」なんじゃ…?

結論から言えば、少子化対策が古典主義(設計主義)で、自由恋愛、結婚、出産がロマン主義なのですよ。

恋のロマンに現実を持ち込んだら興醒めです。恋人は必ずスペックで選ぶわけではない。自分だけの「好きになった物語」があり、代替不可能なトキメキがある。恋のロマンというのはこういうことを意味します。

松本零士 短編集

俺が私がそう思うからこの人は世界一の人なんだ。

その情動では「設計された人生」「代替可能な感情」「予測できる未来」を蔑視します。だって、そんなものに人生の美しさなんてないじゃないですかと。偶然だから運命なのです。

奨学金という生々しい利益は運命の恋と天からの授かり物と代替できないというわけです。素敵な人とは一瞬で謎の恋の火花が生まれてこそご縁。その人と何が起こる分からない、どこで出会うか分からない。それが恋愛の世界であるわけです。

婚姻も少子化対策もグロテスクな古典主義

一方「恋愛は非日常であり、婚姻は日常である」と言われるように、婚姻も少子化対策もゴリゴリの設計主義なのですよね。

婚姻で言えば、お互いの家柄、職業、育ち、慣習、価値観、金銭感覚がズレていると上手くいかない。どんなに特別な人だと付き合い初めに感じていても、そのうちすれ違いあって別れていく、最悪、子供がいるまま離婚していく。それを回避するために過去にはお見合いがあり、現代はマッチングアプリで傾向分析していくわけです。(この時点でグロテスクだけれどもね。)

恋愛から「この人の子供を産みたい」という御縁までロマンを掻き捨ててやるのが、スペックでお互いを選別する婚姻であり、お金で性資源を交換する少子化対策であるわけです。

奨学金の件とは言わず、少子化というのも、別に個人の御縁なんて関係ないのですよね。「特殊出生率」はただの数字です。この出生率の背後にある幸せや不幸は何も問題ではない。素敵なご縁からレイプによる妊娠まで同じ数字であり、分析ツールでしかないわけです。

少子化対策に人間の感情なんて持ち合わせていないのですよ。

婚姻では「金で愛は買えないけど(ロマン主義)、お金がなければ愛を持ち続けることはできない。(古典主義)」と、人間は夢と現実を行き来しながら、人生が進んでいくわけですが、

国や共同体の運営も同じ感じで、人権は国民国家よりも重要な概念だけど、(左翼ロマン主義)国民国家がなければ人権を持ち続けることができない。(右翼古典主義)というジレンマを常に抱えながら、政治議論が進んでいくわけです。集団知によってこの社会を楽園に近づかせながら現実を設計していくわけですね。

「ご縁」の世界で少子化を対策できない。

詰まるところ、人間任せ運任せご縁任せの「恋愛脳」では、少子化は対策できないのですよ。だって、いい人は分配されないのですから。いい人がいなければ子供なんて欲しくない。そもそも、子供だって天からの授かり物というロマンチックな表現まで存在します。

大体、未来のことを考えないのが恋なのですから。この離婚率であり、この少子化問題であり、この不倫社会であるので、人間が恋を続けている限り、共同体を設計することなんて不可能なのですよ。刹那的なロマンを求めて恋をするわけですから。

利害で設計してくること自体が的外れなわけです。

人は理性だけでは動かない、感情で動く。では、どうすれば良いか、自由に恋して謳歌する世代がゆっくりその文化ミームと共に滅ぶのを待つしかなさそうです。「未来を計算する理性」と「ありのままの感情」を行ったり来たりしながら、人間は進んでいくものですから。

お国様が他人様の人生を設計して従わせる。元々、ご縁という神秘なものを第三者の設計でぶっ壊す。今の時代ではそんな少子化対策はできない。とてもロマンチックで人間らしいではありませんか。


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