インフルエンザに罹って修学旅行に行けなかった話

私が通っていた高校の修学旅行は、1年生の12月初旬に行くことになっている。大阪奈良京都を巡る関西コース、和洋中の文化が混ざった長崎を中心に観光する九州コース、真冬でも夏の気分を味わえる沖縄コースの3つから選ぶことができ、私は沖縄コースを選んだのだった。ちなみに一番人気は関西コースであり、次点で沖縄コース、マニアックな少数派が九州コースを選んでいた。

「沖縄」という地は、冬でも観光客が海に入り、半袖姿で人々が街中を行きかう常夏の島という印象を私は抱いており、生まれてからずっと東北地方で生まれ育った身としてはチャンスがあるのなら絶対に行きたいと小さい頃から憧れていたものだ。そういうこともあり、行き先として上の三択を提示された時は真っ先に沖縄を選んだ。さらに当時仲良くしていた友人たちがこぞって沖縄を選択していたこともあり、私はこの旅行を本当に楽しみにしていた。

しかし出発の4-5日前の朝、目覚めると明らかに身体が重かった。何となく身体が熱を帯びている。起きた瞬間にインフルエンザに罹っていることを悟った。だが、ここで学校を休むと確実に修学旅行に行けなくなってしまう。なぜならインフルエンザ(ほか定められた数個の感染症)に罹った場合は解熱後3日間は出席停止となり、万が一回復が遅れて出席停止の期間が出発日に被ってしまうと、自分は修学旅行の一行に混ざることができないからだ。

当時は周囲への迷惑など考える余地もなく、何とか修学旅行の出発まで体調不良を隠し通し、平然を装うことにした。明らかに火照った顔は、顔全体を覆うほど大きなマスクでカモフラージュした。また、のども痛めていたので声色で気付かれないようにできるだけ人との会話は避けた。とにかく周りに自分の体調不良を気付かれないよう、ない頭を捻っていろいろ工夫したのを覚えている。

なんだかんだ1日は学校生活をやり過ごすことができた。2日目、生活している分には(多分)まだ気付かれていなかったが、この日の午後に修学旅行の最終確認の学年集会?(←記憶が曖昧)があった。ただでさえ高熱で体調も絶不調の中授業も普通に受けてきたので体力は限界に達していたのだろう。集会で立っている姿を不審に思った担任の先生に保健室へ強制連行され、その後そのまま病院送りになった。医者からは予想通りの宣告を受けた(ショックだったのか、ここも記憶が曖昧)。結局、あれほど楽しみにしていた修学旅行には行けなかった。

私は順調に回復し、きっちり翌日には熱が収まり、3日後には元気になっていたと記憶している(ここら辺は記憶が曖昧)。本来ならば翌日から学校に行けるはずだが、あいにく同級生はみな修学旅行の真っただ中なので、学校には誰もいない。当時高校の教員をしていた私の父は非常にまじめな人間なのだが、衝撃的な言葉を私に与えてくれた。「修学旅行は授業日だから、人がいなくても学校に行って勉強してなさい」

いろいろ思うところはあったが、私は父の言う通り、翌日から同級生が一人としていない学校に行った。その日はひどい吹雪で窓の外が真っ白だった。あまりにも激しい吹雪だったので写真を撮ったくらいだ。教室にぽつんと一人で座って、正規の6時間目の授業が終わる時間まで、私は黙々と数学の問題集を解きまくったのだった。6時間目が終わると部活に直行し、一人先輩に混ざってきっちり活動した。

悲しく、寂しい時間を過ごした。同じ班で、一緒に沖縄に行くはずだった友人からは「○○がいなくて寂しいぜ!」という励ましのメールが、青い海の写真付きで送られてきたものだった。私はガラケーの小さい画面に映った美しい青い海と、窓の外の厳しい吹雪を見比べ、私はほんの少し元気を出して「みんながいなくて寂しいぜ!」と、真っ白な吹雪の写真を添えて送ってやったものだ。

修学旅行の期間は4日程度だった。結局私が回復して学校に通ったのは修学旅行の2日目くらいだったので、まる3日間程度は一人で勉強したことになる。お陰でそれを境に成績は急上昇し、卒業するまで成績上位をキープすることができたのだが、失った思い出は二度と帰ってこないのだ。

おわり

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