価値観について。

価値観について

私は私なりの価値観がある。そりゃあ、みんなある。みんな価値観はあるにしたがって違いもある。
困っている人がいて、助けている人を見るとAさんは、いい人だなぁという。Bさんは偽善者と言う。さらにCもDもEもいる。
どれかが正解では無い。でも皆、自分が一番正しいと思う。正解は誰が決めたのだろう。
多数は力持ちではあるだろうが、正解でない時もある。少数は孤独ではあろうが奇跡を呼ぶこともある。
生きていくのは常に成長であると思う。その成長は、まわりの人との共存から生まれる。なので、周りに誰を置くか、とても大事だと思う。

ただ家族は選ぶことができない。犯罪者である親のもとで育っても、近くにいるので、よくも悪くも、たくさんのことをその人たちから吸収する。

私の母は海のように心が広い。近所の人にものを分け与えすぎて、自分のもとに残るものがなくてもヘラヘラしている。
貧乏だった私は、そんな母をみて、なんてバカなことをしているんだと思った。
15年前の私だった。
25歳になった私は今はそんな母を尊敬している。
もっと広い目線で見てみれば、母は分け与える以上に、返ってくることがとても大きい。物質的なものであったり、信頼などの目に見えないものであったり。
目の前に見えているものだけを重んじるのは間違っていると習った。まさにこのようなことがあるからだ。
自分の損得だけを考えていては、それ以上の発展につながらない。すべて一時的で、計画的で、何の進展もない。
もちろん私の母は、いずれ遠い未来、こうなることを予想して、貧しい中でもものを分け与えていたわけではない。誠実に、人に優しく、人のために生きていたら、自然と母の周りには優しい人が集まり、たくさんの人との信頼関係を築いていたのだ。今の私には到底できない。いずれかはしたいとは思うが。
25歳無職。クレジットカードの審査にも落ちた。生きる意欲がない。したいこともない。コロナを言い訳にしたくはない。ただ私の気持ちの問題である。
ビジネスをずっとしたかった。いまそれを、手にかけてはいるが、中途半端な状態である。失敗を恐れているわけではない。昔から怖いものはなかった。歯医者も泣かなかったし、海にも入ってズカズカと深くまで行ったものだ。海外にも1人で留学に行った。
私にできること、なにがある?

したいこと。なんだろう。

熱心が欲しい。
過ぎた時間は戻らない。今から出来ること。

明日ではなく今日から。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?