オーストラリアでの出来事

オーストラリアに1年間住んだ結果、

大きく分けて2つあった。

1つ目は、現地の人はなんてストレスフリーなのだろうと思った。

もちろんストレスを受けていないわけではないだろうが、いつもニコニコしていて、ストレスフリーのように"見える"。

もちろん彼らも私たちと同じように悩みがあり、どうしたらもっと財産を増やせるかなど同じような考えをしているかもしれない。インスタ映えを気にして写真の角度にひどくこだわっているかもしれない。

でも日本と大きく違うところは、初めて会った人への接し方だ。

ある時私は公共機関の電車に乗っていた。当時はマスクをしていなかったので、思いっきりくしゃみをした。(母に似て、かなり大きめのくしゃみである。)

すると近くに座っていた若い男性がblessyouと言ってくれた。

ここではくしゃみをしたら幸運が逃げると言われているので、そうならないようにbless you (あなたの幸運を願うと言う意味だと思う)

とても些細な出来事ではあるが私がオーストラリアを好きになった出来事の1つである。

全く知らない人の、幸せを願うことなんて安易であるだろうか。(よほどの美人であったりナンパしようと思っていたらまた別の話ではあるかもしれないが)

またこの国は子供と女性に優しく、電車などでベビーカーを持っている母親がいたら、男性の皆は率先して手伝う。列に先に並んでいても、譲る。

初めて会ったのにも関わらず他人に優しくする文化が私はとても大好きだ。

もちろんアジア人の差別をしたりする人もいるだろう。

実際に私も中国語でシェイシェイと見知らぬ小学生に言われたことがある。(笑)

私の韓国人の友達はキャッツアイ(猫の目)とすれ違いざまに言われたことがある。もっとひどい暴力事件もあるだろう。

しかし私は当時この国の良いところばかり目に入っていた。(ワーホリまで行って、いい経験をたくさんさせてもらって、批判はあまりしたくない。)

2つ目は、大自然が良いところだ。

私の地元は北海道で18年以上住んでいるが、北海道も自然を自慢する地方であると認識している。

しかしこの国に行ってからは自然への認識が少し変わった。やはり1番スケールが大きいのは、海。

私は国内にある5カ所の都市に訪れた。その中でも忘れられない海は、メルボルンのグレート、オーシャン、ロードと言う海岸線だ。(下写真)

画像1

”自然に飲み込まれる”なんて表現はこの時以外に使う事はなかった。

青く透明な海。心地よい風。自然の力によって作り出された岩、アートである。

オーストラリアの海を8カ所ほどを訪れたが、どこもハズレはなかった。

職が無い時も海に行ってはぼーっとし、夕焼けになるとまた景色が変わるので、海にもいろいろな顔があるのだなぁと、ロマンチックな比喩をしてたりもした。

現地で38度の猛暑を経験したときは、街中で口端を手で押さえながら歩いた。そうでないと熱い空気が気管に入ってしまう。ただ、まだ幸いなところは空気が乾燥しているため、

日本のようにじめじめした気分の悪い夏ではなかった。それが救いだった。

番外編で、

やはり顔が私好みである。

二重、鼻が高い、背が高い。渡豪して元の三日間は映画の中にでもいる気分だった。

特にシドニーなどの大都市ではそのような外見に加え、サラリーマンがスーツも着ているので、特に用事もないのにうろちょろしては、ずっとニヤニヤした思い出がある。

もちろん体格が大きい分、肥満率も無視できない。個性も様々であり、

忘れられないのが、寿司をお持ち帰りした際についてくる醤油の入れ物をイヤリングにして歩いていた市民を見たことがある。(下のイラストは、本気の20%程度のみ振り絞った)(伝わりやすいようにイラスト化してみたが、不快な気持ちになった方がいないように願う。)

画像2

私にはそのタレビンはゴミに見えたが、違った目線で見ればおしゃれに早変わりするのだと感心した。偏見は本当に良くない。反省。

子持ちで息子を中国に置いてきて、GOOD NIGHTも言えない程度の英語の実力で、

全財産をもって観光ビザで仕事を探しに来た33歳の中国人のおばさんと友達になった出来事を思い出した。

この方との出会いで大きいショックを受けた。

次回はその話にしよう。


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