自炊

一人暮らし大学生。私たちに課せられた試練はいくつかある。そのうちの一つに「食」が入ってくることは間違いない。これに関しては異論を認めない。自分の所持金と腹と頭の奥片隅にある「健康志向」とを照らし合わせ続けながら、今宵もメニューを考えなくてはならない。時に楽しくもあり、いやほぼほぼめんどくせえ。死ぬほどめんどくせえ。腹よ減るな。頼むから減らないでくれ。特に自粛期間中はそう思う。なぜ家で寝ているだけなのに腹が減る。自分の腹に恨みを持つほどである。

とは言え腹の減りに対抗して、無視して過ごすことなどできないわけで、嫌々でも食という行為は実行せねばなるまい。別に得意でもない料理。たまりにたまる洗い物。ふと天国のような実家生活を思い出す。「あの頃は良かったなあ。帰りたいなあ。」手ついた泡を水で流しながらそんな事を思い、呟く。


旨い肉を頬張りたい

外出自粛を受け、人は外に出なくなった。各地で店もシャッターを下ろし始めた。外食の消滅である。学校帰り仕事帰りに何気なく入っていたあのレストランもラーメン屋も今はほとんどやっていない。週一、週二位でしていた外食。時には奮発して行っていた焼肉屋。今はどこにも行けない。確かに今の生活、お金はかからず節約には申し分ないのだが、体がそれに満足していない。やはりあの旨い肉を、あの味を、追い求めてしまうものである。奪われれば、その価値に気づく。食いてえ。食いてえなあ。


「金×健康志向×量」の極小値が自炊であることは分かっている。

コスパ、ヘルシー、ボリュームすべてを兼ね備えているのが自炊である。その事実は古来から決まっている原理原則である。だがしかし、その行為自体を為すためにはいくつもの試練を乗り越えなくてはならない。私の中でトップクラスにめんどくさいのが洗い物だ。コンビニ弁当はその容器から箸に至るまで全てまとめてポイっでいいのだ。だが自炊となるとそうはいかない。ましてや自分が今後使っていくものだ。他人が使う食器なら見た目さえ白くなればいいのだが、自分が使うとなるとそこに妥協は許されない。諸々含めてクソめんどくさいのだ。

あとはシンプルに料理だ。やろうとしていたこと、食べたいと思っていたものが理想通り完成する方が珍しい。たまにゲロみたいなものができる。おかしいだろう。こちとらクックパッド通りのプロセスを経ているはずなのに。向いていないのだろう。「金×健康志向×量×ストレス」の計算式を立てるのであれば、話が変わってくる気がする。



サラダの存在など、もはやない

正直な話をすると、サラダなんて食うはずがない。いや僕はシーザーサラダが大の好物ではある。しかし、シーザーサラダをコンビニで買おうとするならばゆうに一食分の金がかかる。そーーーこまではしたくない。旨いけど。健康にいいんだろうけど。野菜なんて気持ち取ればいいと思っている。野菜ジュースで満足する人間もいるし、キャベツ太郎で自己暗示かけるやつもいる。要はいかに自分に「野菜は取っているな」と思い込ませれるかだ。まあ取る努力をしないから、それすらもできないんだけど。



以上が大学生おうち時間の真相である。そんなものである。お母さんの偉大さに気づかされるのだ、皆。仕事終わり家事終わりに料理を家族分作るなんて、並の基礎体力では不可能だ。本当に頭が上がらないが、心の奥底で「早く、早く実家に帰りたい!!!!」と強く願っているのはその優しさに強さにまだ甘えたいという気持ちなのだろう。本当に、本当に帰りたい。寂しいし。これも大学生おうち時間の真相である。


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