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見たくないものと向き合う覚悟

世の中には、自分から積極的に動いてまで見たいもの、経験したいこともあれば、反対にできれば目を背けていたいものがあるなと最近とみに感じます。

私にとって、見たいものとは、

① 子供の成長

② 自分の趣味である、アロマやコスメの類、

③ いわゆるきれいなもの(きれいな人だったり、花だったり、景色だったり、食べ物(これは美味しそうか!)

反対に私にとって、見たくないものとは、

① 自分の老化した部分の身体や肌

② 夫の老化した態度

③ 両親の老化した姿

だったらしい。内観して、最近気が付きました。

特に、見たくない③の両親については、このコロナ禍で、しかも連続した我が子の受験のため、実家からは足が遠のくばかり。かれこれ3年ほど会っていない。

会ってはいないのですが、電話やらショートメールやらで、割と頻繁にやり取りはしています。

そこで気が付いてしまったのです!

ちょっと老化してない?と。

何度も同じ話をするというようなことはないのですが、昔よりもやや否定的、かつ自分の意見を強く出す。

昔からそういうところがありはしたものの、ここまで強力ではなかったはず。。

父親は昔からモラハラ。気が付いているのかいないのか、面倒だから今更言いませんが、母はそうでもなかったはず。

でもななんだかちょっと周りに否定的。

昔祖母がいたころを彷彿とさせる口調。(実子ではないのに似るのね)

そんなことをちょろっと子供たちに言ったら、「ママだってババと同じようなこという時あるじゃん」と息子たち。

人のふり見て我がふりなおせじゃないが、ちょっと反省してみたりして。

さらに夫に「自分だって中年なんだから。」とダメ押しされる始末。

そこでふと思う

自分の年齢を言うことがなくなって久しく、自分の意識は一体どのくらいで止まっているのだろうか?

30?いや、40?いやもしかしたら、30前ぐらいの意識でいるのかもしれない。やだ!コワー!!

だから、変わっちゃった、(老化)を見たくないと感じるのか?

もう50手前まできているのだから、本来両親の変化(老化)のみならず、自分の変化(老化)も粛々と受け入れていかなければならないお年頃。

いつまでも変化(老化)に抗うのはなんだかなーなのかな?

年相応、出来れば変わらず(精神的にも、肌的にも)ありたいと願うのはイタイ人なのかな?

そんな思いを抱きながら、コロナ禍で家にいる子供たちと、毎日アニメや漫画、今時の曲など聞きながらせっせとライター仕事などをしています。

今のお気に入り曲は、vaundyやWONK、SIRUPだったりしますが、

yoasobiとか聞いちゃったり、今の推しアニメが怪物(ケモノ)事変だったり、薬屋のひとりごとだったりしてもいいよね。

もちろんワンピースやボルト、僕のヒーローアカデミア(ヒロアカ)、銀魂や夏目友人帳は何度も見るし、涙する。。はたらく細胞は勉強になる。炎炎ノ消防隊 も好き。

異世界転生ものも好きだし、なんなら、Re:ゼロの主人公がクソ!って思ってても、見ちゃうっていう。

子供たち曰く、50前の大人とは思えない状態。

以前会った友人にも、「中学生男子だね」と小馬鹿にされる始末。

でも楽しいし、子供たちと話が合うのでまあいいか!と思っている。

家族で一人置いてけぼりになっている夫には老後に勉強してもらうとして、

そんな私は、見たくないものと向き合う覚悟は未だできていないようです。





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