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正しく悲しむ方法

母が亡くなり、毎日母のことを考えています。

ただ、母が亡くなった直後から全ての事務仕事をしてくれた私の中の別人格が居座り、感情が凍りついたまま悲しみを感じません。
無表情で、涙1つ見せずに、子どもを抱っこ紐でくくりつけ、母の写真を子どもに邪魔されながら抱えて喪主挨拶しました。
母の棺に花を入れるときも、淡々と飾り付けました。
母の骨を見たときも、拾ったときも、全く感情が動きませんでした。
小さな箱に入れられてやっと帰宅できたときも、それが母だと認識できませんでした。

買い物に行くと、元気な高齢者とたくさん出逢います。買い物客にも、お店のスタッフにも、母よりひと回り以上高齢であろう方々が元気に動いています。
大変失礼ながら、なぜうちの母はああじゃないんだろうと考えてしまいます。
テレビをつければ高齢のタレントが元気にマシンガントークしています。
なぜうちの母はああじゃないんだろうと考えてしまいます。

夜、子どもたちを寝かしつけた後には母の命を奪った病気についての本を今更読み漁っています。
あのときこうすれば、ああすればとぐるぐる考えながら眠りにつきます。

大事な人を亡くしたときに読む本を読むことにしました。たくさん買いましたがなぜか読む気になれずそのままにしています。
おすすめに、一度しかない人生を大事に生きようというような内容の本が出てくるので、Amazon Unlimitedで覗いてみました。
母を失った直後には辛い内容でした。母にとってはもうどうすることもできない内容ばかりです。傷が抉られるだけでした。

大事な人を亡くした経験のある人のnoteやブログを読むことにしました。
悲しみたいから悲しんでいると書いている人がいました。だから悲しむのをやめると。
私は実は悲しみたくないから悲しんでないのでしょうか。
そうかもしれません。悲しむというのは、少なくとも起きた現実を現実として受け止めている状態ですから。
でもやっぱり悲しみたくて、正しく悲しむ方法を探しています。
どんな本を読めばわかるのでしょうか。

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