京都 後編 幕末とドラマの世界
2023年9月2日〜3日。
2日目(3日)の事。
前編は↓
中編は↓
2日目はホテルから朝散歩(とは言え9時半過ぎ)を兼ねて出発。
本当に古い家がたくさん残っているので、散策も楽しい。
多くの家の玄関先にぶら下がっている
こちらは何?と思ったら、夏の風物詩「祇園祭」の際に各山鉾の会所や八坂神社で販売される粽なんだとか。
食べ物の粽ではなくて、疫病 災難除けのお守りで、それぞれの会所によってデザインが違うそうです。確かに、2つの所と1つの所があったりしました。
軒下の朝顔も古い家並みと良く合います。
さて、最初に歩いて向かったのは
元離宮二条城。
写真を見てわかるように、前日とは違って、太陽サンサンの良い天気。
良過ぎちゃって、暑い。(日傘を持って来れば良かった)
東門から中に入り
唐門を潜ります。
10年前の修復で建設当時の姿を見る事が出来るのですが、絢爛豪華で徳川家の繁栄ぶりが伺えます。
唐門は三代将軍 家光の時代に後水尾天皇の行幸に備えて、特別に造られたもの。
日光東照宮が今のような豪華なものに改築したのも家光。
だから、どこか似ているのかも知れません。
二条城なので✌️で記念撮影
二の丸御殿を見学します。
二の丸御殿は徳川家康が京都御所の守護と将軍(自身)が上洛した際に住む場所として建築されました。
完成したのは1603年。こちらの二の丸御殿が出来ました。
その後、大坂の陣では二の丸で軍議を開き、この場所から出陣。
1626年には本丸、天守閣も完成。現在の規模となったそうです。
二条城を利用した将軍は家康、二代将軍 秀忠、三代将軍 家光の後は十四代将軍 家茂まで使われる事なく、二条在番(江戸から派遣された武士)が守っていました。
家茂、上洛の際に結成された浪士組がその後新撰組となり、十五代将軍 慶喜が二条城で大政奉還の意思を表明。幕末の大きな舞台です。
明治には皇室の別邸(離宮)となり、昭和に入ってから京都市に下賜となりました。
内部は撮影禁止なので、ホームページよりお借りします。
とにかく、広い。
↑図の右下の一角(遠待)は来訪者が控える場所。
次の式台では将軍への用件や献上物を取りつぐ場所。
大広間が将軍との対面の場所で
将軍の座る一の間が1段高くなっています。
大河ドラマとかで将軍に謁見するシーンの場所ですが、ドラマで見るよりも遥かに広い部屋です。
そして、この場所で大政奉還の意思が示されました。(部屋にはその様子を伝える人形が置いてありました。)
その奥の黒書院は
大広間よりもこじんまりしていて、徳川家に近い大名や位の高い公家が将軍と対面する場所。
最奥部の白書院は将軍のプライベートスペースだったそうで、他の部屋は金地に動植物の障壁画であるのに対して、落ち着いた水墨画が描かれていたのは、安らぎのためだったのかも知れないと感じました。
とにかく凄い!ので、実際に中の見学をおすすめします。
広い庭園をぬけ内堀を渡り、本丸御殿や天守閣へと順路にそって進みます。
天守閣は1750年に消失。石垣だけが残されています。
そんな天守閣跡から見た本丸御殿↑。
現在の本丸御殿は3代目。(1代目は火災で消失、2代目は明治時代に取り壊し)
京都御所内にあった桂宮御殿を移築したもの。
だから、二の丸御殿よりも地味な感じなのですね。
阪神・淡路大震災の影響で歪みが生じたため、現在も耐震、保存修復工事中。
二条城を後にし
暑いので2駅ほどバスに乗り、とりあえず
給水。
四条大宮界隈…あまりお店が無くて…ガストですけど、ビールが美味いっ!
お昼ご飯の後は昨日のリベンジ。壬生寺へと向かいます。
ママの傘、返してね!
本当に陽射しがギラギラ。給水した分が流れ出ます。
壬生寺へ到着。
こちらも特別公開をしています。
通常は非公開の本堂。
平安時代に造られた「延命地蔵菩薩」が本尊で「壬生狂言」(説法、講和を広く伝えるために始まった)が今も続いています。
今回は土方歳三の所持したものと同じ刀剣も特別公開。
新撰組との縁は、こちらの境内を兵法調練上として使用し、狂言を見たり、子供達と遊んだり、相撲の興行を企画したりと密接なもの。
通常から公開されている壬生塚には近藤勇、芹澤鴨など多くの志士が祀られていました。
壬生は二条城から約20分。屯所を構えるのにはちょうど良い距離だったそうです。
前日に行った旧前川邸とこの後行く八木邸は壬生寺の目の前。
八木邸は新撰組の発祥の地。
将軍 家茂が上洛する際に清川八朗により集められた浪士が江戸から京都へとやって来ましたが、清川は幕府の守護ではなく、尊皇攘夷(天皇を敬い、外国勢力を排除する)が目的だったために、芹澤鴨らの水戸藩浪士や近藤勇などの浪士達は袂を分かち壬生に残り、この八木邸で新撰組を結成したのでした。
そんな新撰組も内部でのいざこざ、分裂がありました。
初代局長 芹澤鴨はかなりの酒豪な上に酒乱気味。女好き(は関係ないか!)
真実はどうなのかは不明ですが、こちらの八木邸で刺客(新撰組のメンバーらしい)に襲われ、命を落とします。
そんな部屋が
こちらで襲撃を受け、隣室へと避難。
窓側に置いてあった文机に躓き、倒れた所で絶命したそうです。
その時に付いた刀傷も
残されていました。
こちらの八木邸は通常から公開されています。
八木家は元々この地で農業を営む郷士(身分は武士)で、現在も住み続け、建物の保存 公開をして下さっています。
「○○跡」という石碑が立っている所が多い中、こうやって当時のまま残されているのは貴重だと感じました。
ガイド付き入館料にはお菓子とお茶が付いているのですが、この冷たい抹茶がね。ホッとする味。
夏の特別公開。少しだけ行けました。
9月末までですので、ご興味のある方は↓を。
次に向かったのは
2時間ドラマの聖地?
の近くの
八坂庚申堂。
この丸いのにお願いを書いて奉納するみたいです。
ジャジャーン!八坂の塔。
The京都!2時間ドラマで良く見る景色を散策します。
実は、今年になるまでの数十年(中学の修学旅行以来)、京都に来た事が無かったんです。だから、テレビの旅番組や2時間ドラマで見る景色がここにあるのに、ちょっとテンション上がります。
二年坂
スタバも京都仕様
産寧坂(三年坂)
お店はどんどんと新しくなってるみたいです。
映えるお菓子やソフトクリームのお店が目につきました。
そして、幕末を訪ねる旅の最後の場所へ。
霊山歴史館と霊山護国神社。坂道を登ります。
霊山歴史館の入口で…坂本龍馬のように手を入れてるつもり…なんですけど、何だかわからないですね。
館内は撮影禁止なのですが、幕末を辿ってみるのには貴重な資料がありました。
特に↑の刀剣は欠けている部分があったりして、ゾクゾクっとしました。
こういう所って、大人になって来るから、じっくりと見れるんですよね。
撮影コーナーで土方歳三と新撰組になりきって。
そして、護国神社。
こちらには多くの幕末の志士の墓所があるのですが…入山は17時まで。
時計を見ると16時54分。
急いで入ります…階段の登り…キツ〜ッ!
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓所は訪ねる事が出来ました。
こちらでは、龍馬の命日に龍馬祭(11/15)、その近くの週末に龍馬よさこいが行われています。
墓所前から眺める京都の街。
維新の道を下り
再び
二年坂
そして
産寧坂
そして、帰る方へ(まだ、帰りません)。
とりあえず、京都駅まで行き
夕方とは言え、ギラキラ暑い!道路を渡って、京都タワーへ。
そんなに高い塔ではないのに、かなり遠くまで見えるんですね。
こちらの写真では大阪のビル群がくっきり。あべのハルカスもニョキッと見えます。
ちなみに、5月にハルカスから京都方面を撮ったのが↓
曇ってるし、わからない〜!
こうやって高いところから見るとね、また来るよ〜って思います。
タワーから降りて来たら
これ?
それともこれ?
みたいになっちゃいました。
夕暮の京都を後に…しません。
駅から程近い新撰組の不動堂屯所にも立ち寄り
2日間、お疲れ様でした & 本当にありがとう!
美味しいおばんざいをツマミに
美味しい日本酒。
幸せ〜な夜。
ここのお店、仲良しさんは10年振りくらいだとか。
日本酒をオススメしてくれる女の子も可愛らしくて、心地良いお店。
また、来たいな。
さて、帰ります。
幕末や新撰組の本を読み、その場所を訪れた事で多くの想いを募らせ、古い物が残る街並みに愛する気持ちを感じ、苔や竹林に癒された素敵な旅となりました。
京都、まだまだ行ってみたい所がたくさん。
また、行かなくちゃ。
おしまい。
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