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出会う大人で子どもは変われる

もし、不登校で悩んでいたら・・・
中学受験したいけれど、成績が・・・
そんな方に読んでいただけたら嬉しいです。
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合格発表を待っている間の息子とのやりとり。
「俺、今回、落ちるかも。」
「なんで?」
「俺、今までなんでもうまくいってきてんだよね。だから1回くらいどっかで失敗すると思うんだよ。今日だったらどうしよう。」
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弱気になったからこそ飛びでた言葉ですが、私からすると「は?」の一言です。不登校で1年間学校に行かなかった子のどこが順調なんでしょう。でも、本人はこれまでを振り返って順調だと思っている。

運動会の練習が始まれば校庭の隅で縮こまり、バスケをしにいっても会場に入らない、でも帰らない。学校にいっても上履きをはかずに抵抗。

順調って何?

大人の決めた枠組みの中にいて、その範囲内で進めば順調で、そうでないとダメな子だったのでしょうか?
自分の規定概念や思い込みに、ガツーンと衝撃が入りました。でもなぜここまで、彼が前向きなのかわからない。

そこで夫婦で振り返ってみました。彼の小学校生活を振り返ると、

「素敵な人に出会え続けている」

ということに着地します。彼は、友達関係で苦しんだことだけはありません。学校にいっていないときも次から次へと遊びに来る友達も増えるし、とにかく楽しそうに遊ぶ。大人と接すると受け答えはおぼつかないけれど、帰ってくればその人とのやりとりをマシンガントーク。(じゃぁ、もっとしゃべればいいのにw)

彼の周りに、彼を否定する言葉をかけるのは私くらいなものです。

バスケを通して接してくださるコーチ、スタッフ、チームメイトの保護者
個別指導塾で担当してくださった先生方
私と一緒に行った先で出会う、楽しい教育関係者の皆さん
私のバスケ仲間たち
私の職場の皆さま
家族、親戚一同
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出会った大人は、誰一人として「否定」をしません。

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それじゃだめだとか甘いとか、そんな甘やかしたらわがままになると捉える人もいると思いますが、彼が出会った大人は誰一人として、後ろ向きな言葉をかけなかった。

前向きな言葉をかけてくださる。いつもニコニコ接してくれる。
なんと彼は幸せなんだろう、親が嫉妬するくらい。

教育の世界に一応いて、学校で「学ぶこと」=学習、勉強 でしたが、「学ぼうとして生きる」のではなく、彼は「生きることの中にたまたま学びがあった」という気がします。

まったくもって「学ぶために生きる」感覚はない。
でも「生きるために学ぶ」のでもないのです。
「学ばなければならない。」という概念が存在しないイメージです。
その分、気が乗らない日は受験勉強ですら、一切やりませんでした。

「学び」は絶対になにか目的や目標がないといけないのでしょうか。

名誉、合格、賞賛、順位、・・・
そればかりクローズアップされるから、「学ぶ」と成功や失敗、優劣のような評価を結び付けてばかりで、それが一人歩きしていると思います。
それに、親も振り回され、素敵な感情を失って子供に接する。

そんな小さな枠に我が子を閉じ込めそうになっていたことを、彼の受験終盤になって初めて気づかされました。

彼の中では、「友達とやる野球」も「競技としてのバスケ」も「受験勉強」も「大人と接する時間」全部、学びの場なのかもしれません。ただし、学ぶためにやっているわけではないのです。
大人から見れば「学んでんなー。」と思いますが、学ぼうとしているわけではなく楽しそうなのは確実です。

結局「学ぶ」をイコールで言い換える言葉は見つからなかったです。あえて言うなら、感じることすべてが結果的には学びだと思うので、量や質、優劣をつけてほしくないなぁと思いました。

子供が出会う「大人」の影響力はでかいのです。だから、親以外の大人とこれからもたくさん出会ってほしい。楽しい時間をすごしてほしい。

息子に接してくれた全ての大人の皆様のおかげで、彼は人と過ごす時間を楽しめるようになり、楽しそうに生きています。
彼とこれまで接してくださったすべての大人の方に心より感謝しています。そのおかげで私たち親子や夫婦はたくさん救われてきました。

そんなわけで、今日も息子は楽しく生きています。

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追伸
無事、合格をいただきました。
難易度も高くないですし、2教科。でも、彼が決めたたった一つの志望校。ご縁があって本当に幸せです。
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