少女☆歌劇レヴュースタァライト 第9話 星祭りの夜に 分析

今回は第9話です。


完全ネタバレ有りで書いて参ります。


既にアニメ本編を通しで1回以上ご覧になった方向けの解説となりますのでご了承下さい。


◇◇◇


それでは参ります。

この第9話は展開としては第7話で明かされた大場ななのエピソードに一区切りがつけられます。
ただ私の分析としてはそれ以上にこの話に重要な事があると考えており、それは戯曲 スタァライトの全容が明らかにされる事です。

これまでは各話のアバンタイトルを中心に断片的に描かれてはいたものの、第一幕から結末に至るまでのストーリーはここで初めて語られるのです。
この構成はかなり思い切ったものだと思います。

私は最初にこのアニメを観たとき、戯曲“スタァライト”はどんな物語なのだろうと序盤から気になっていました。
クレール、フローラ、天に瞬く星、そして女神たちといった事がキーワードになっていて、最後は切ない悲劇で終わる戯曲である。ということは折に触れ描かれていましたが全体像はこの時点までは分からなかったため、もしかすると戯曲の脚本は視聴者の想像に委ねる形式を取るのだろうかとも第8話までは予想していたのを覚えています。
そうした中で満を持して答え合わせがなされた構成に私は引き込まれました。

戯曲の全体を説明しないまま第9話に至るまでストーリーラインを走らせるというのは、一歩間違えると何故視聴者への提示が無いのかという疑念や不満を抱かれる危険性も内包した進め方であっただろうと思います。そのリスクを負ってでも尚、本作のプロット構成を選択された所に決意が見られたと考えました。

上記の理由、そして何よりスタァライトという戯曲そのものの素晴らしさから、私が全12話中で最も好きな話はこの第9話であり、一番好きなシーンを訊かれたならば私は第9話における第99回聖翔祭 スタァライトの回想シーンと答えます。
第100回で華恋によって解釈し直されたハッピーエンドの結末も良いのですが、私個人としては王道解釈の悲劇で終わるスタァライトの方が物悲しさが胸を強く打つと感じるのです。

他に特記したい点として純那の特徴に、シェイクスピアを始めとした偉人の言葉を引用するという印象を持っている方は恐らく多いと思いますし、二次創作等でもその点が強く打ち出された描写が取られる事が多いと感じます。実際、少女☆歌劇 レヴュースタァライト -Re LIVE-(スタリラ)でもそうした様子は散見されます。
しかし実はアニメ本編では第9話のアバンタイトルとラスト以外では偉人の言葉を引用しているシーンはあまり多くありません。
ここでも限られた時間にあってもキャラクターの性格、印象を強く示しているのが本当に上手い演出と思います。

最後にもう一つだけ、この回のラスト、ななと純那とのシーンでの劇伴にロンド・ロンド・ロンドが使われているのは溜息が出るほどに心を動かされる演出ですね。劇中で(劇伴としての)ロンド・ロンド・ロンドが用いられるのは第7話でななが同じ1年間を繰り返していた場面と第9話のラストシーンのみです。
ここでようやく、なながいつの間にか自らに課していた呪縛から開放される事が出来たのだと、その感慨に私は浸らずにはいられないのです。

以上、第9話の分析でした。

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