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パブリックビューイング用 "店内チャット機能" を勢いで作った話 (ヒント編 その2)
前の記事はこちら↓
パブリックビューイング用 "店内チャット機能" を勢いで作った話 (序章)
パブリックビューイング用 "店内チャット機能" を勢いで作った話 (背景編)
パブリックビューイング用 "店内チャット機能" を勢いで作った話 (ヒント編)
持ち前の飽きっぽさを遺憾なく発揮して、前の記事から早4ヶ月🤦♀️
カーリングで言うところのコンシードのような状態になっていましたが (誰の勝利を認めたのかは全くもって不明)、
一方で持ち合わせている気分屋特性をこれまた遺憾無く発揮して、どういうわけだか、なんとなく再開してみます💦
前回のおさらいと今回のテーマ
前回は、パブリックビューイング用 "店内チャット機能" を作る上でのヒントとなった "カーリング裏解説" がどういったものかという、いわゆる概要的なものでした(ほんとはもっと書くつもりが力尽きた、というのが正確なところ🤦♀️)
今回は、その裏解説が、なぜ生まれ、どう言った点が素晴らしいのか、というあたりを書いていこうとおもいます🫡
なぜ生まれ、定着した?
この点については、完全にぼくの私見オンリーです!
裏解説が生まれて定着した背景にはいくつかの要素があり、それらが相互に作用した奇跡の産物だとおもっています
裏解説が始まった当初、Covid-19に端を発する、社会情勢におけるいろいろな抑圧もありましたし、そもそもの話として、当初のカーリング視聴体験自体も、今に比べるといろいろと満たされていない状況がありました
ただ、ネガティブな状況がある時こそ人々は団結しやすくなるもので、そういった最中に登場した裏解説は、まさに人々の求める "連帯感" を生み出す最高のツールとして、バシっとハマったわけです
抑圧されていた "コミュニケーション欲" の解放
Covid-19の影響で、諸々の自粛が余儀なくされ、おうちに籠る日々で、テレビなどで映像を見るにしても、おうちで1人、静かに見ることしかできずに悶々としていた人が多いことでしょう
また、配信者の側も、現場でのコミュニケーションがないことから、ファンと交流する機会に飢えていたと予想しています
そう言った中、裏解説は、配信者の解説をただ聞くだけという一方通行なものではなく、youtube liveのチャット欄を介して、配信者と視聴者の会話であったり、視聴者同士の会話が発生し、共通の話題について話ができるという連帯感が生まれました
共感したい欲
言葉のキャッチボールである "会話" とはまた違った方向性のコミュニケーションとして、"共感" があります
自分が感じていたことを、他の人も同様に感じていたと知ると嬉しい
自分が感じていたことを、他の人に同意してもらえると嬉しい
といったものです
試合中に発生した素晴らしいプレーに対しての賛辞や、推しチームがミスをしてしまった時の悲しい感情などをチャット欄に書き込んだ際、同じような感情が他の人からも書き込まれていたり、自身の書き込みに対する同意の書き込みを見たりする、といったものが具体例でしょうか
"共感" は、個々が同じベクトルの考えを持っていることが判明した時に発生するもので、まさに "連帯感" を生む大きな要因になるかとおもいます
初期の視聴体験 (試合映像すらなかった)
前回の記事で、裏解説のフォーマットについて、"公式映像に、独自の解説をプラスする" ものであるといった由の説明をしましたが、
じつは、裏解説の黎明期である2021年あたりは、日本チームが海外で試合を行う際、テレビはおろか、youtubeなどのネット配信もなく、日本にいる我々にできることといえば、curl itなどによる、shot by shot (盤面の絵面のみがリアルタイムで更新されるページ) を見ながら得点状況を追うことくらい、という状況があったのです
海外との時差のある中、1人で夜中に盤面やらスコアだけを追うのって、めちゃくちゃ寂しいんです🥺 やったー、とか、やられたー、とか独り言をいうくらいで🥺🥺
前述の山口さんがこういった時期にしていた裏解説は、映像がない中でも、curl itなどをソースに状況を解説するといったもので、配信者/視聴者全員の中で、"制約がある中でも一緒に楽しもうよ" といった類の連帯感が生まれた嬉しさを今でも鮮明覚えています
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公式映像にはない "ゆるさ"
公共の電波に乗せた番組は、放送局のコンプライアンス規範であったり、スポンサーがいる都合上、言葉遣いやノリなど、どうしてもフォーマルな体裁が求められてしまう側面があるとおもいますが、
youtube liveでは、そういった制約もなく、あくまでも配信者個人の裁量で、より砕けた配信が可能でした
特に海外の試合については、時差の都合で日本時間の深夜に行われることが多かったので、いわゆる深夜ノリのようなものも生まれやすかったと考えます (卑弥呼ネタなど🤭)
例えるなら、修学旅行での "消灯時間がすぎてて、騒いだら先生に怒られるといった状況下でのギリギリの悪ノリ" を楽しむような連帯感にも通づるものがあるかもしれません
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配信者のキャラ/熱量/カーリング愛
いくら、ツールとしてコミュニケーションだったり共感だったりがしやすいものであっても、肝心のコンテンツが面白くなければ、また、継続的な配信がなければ定着はしなかったはずです
しかしそこは、前回の記事でお伝えしたような、配信者それぞれのキャラクターによる楽しい解説、そして献身的かつ持続的な活動により、着実に定着へと進みました
キャラクターが各々違う一方で共通であるのは、各配信者が献身的な活動をする上でのモチベーションとして、大好きなカーリングに対して貢献/恩返ししたい、というものがあり、そういった点もファンの心を揺り動かしたのかなあ、とおもっています
パブリックビューイングが実は苦手とする点?
感情を伝える上で、文字のみのやりとりに比べ、やはり対面でのコミュニケーションに分があります
表情や声のトーンがあることで、よりその人の感情が正しく伝わりやすく、同じ場にいて表情や声がダイレクトに伝わるパブリックビューイングは、その点で優位であり続けるでしょう
一方、弱点のようなものもあるのでは、と考えますが、これがわりと厄介で、いままで "そもそも弱点であるとはされてこなかった"、"当たり前の制約として不満や疑問もなくみんなが受け入れていた" 、と思えるのです
会話/共感できる相手の制約
リアルな場で人が集った時、特に、騒がしい場所であったならば、その場には多くの人がいるのにも関わらず、会話ができるのはせいぜい隣同士 or 正面のみです
場で大きな歓声が上がるなど、ハイレベルな共感はありますが、一方で、より詳細に言語化された情報をもって会話をしたり共感したりすることは困難なことが多いです
声が伝わる/伝わらないという話もありますが、話が合う/合わない、といった難しさもあります。
多様な人、知り合い以外が多く集まる場では、たまたま隣になった人と話や感覚があう可能性もありますが、お互いに感覚が合わない事も往々にしてあります
感覚が合わない人との会話であまり共感できない内容であっても、それを無碍にするわけにもいかず、気を遣ったやり取りが必要になったりもします
そして、耐えきれずに席を移動するにしても、その場にいる人とのコミュニケーションを遮断する事の後ろめたさであったり、移動先の誰と感覚が合うのか、全くわからないといったギャンブル的な懸念もあります
ただ、こういった距離の制約や、巡り合わせが運に左右されることなども、当たり前の制約として、"まあそういうもんだ" という感じで、みんな、特に大きな不満も持つ事なく受け入れていたのかなとおもいます
運営側が声を吸い上げる時のリスク
参加者目線だけでなく、運営の側にとっても難しい点があるのかなと思っています
パブリックビューイングにおいて運営側のモデレーターが、観客からのコメントや質問を募るケースもよくあるとおもいますが、そう言った場合に、一番簡易な手法として取られるのは、観客の挙手に対して、モデレーターが指名をするといったやりかたです
このやりかたは、準備のコストが低いのですが、あるリスクをはらんでいます
基本的に、同じコンテンツを楽しもうという意志の元で集った同志ではあるものの、現実問題として、場の趣旨や空気にそぐわない、対処に困るコメントが出てきてしまう可能性があります
この問題の要因は、コメントの内容を事前に確認することができないまま指名をするという流れにあります
これは電話の着信と似ているかもしれません
電話の着信は、なぜか割り込み優先度が高く、かつ、受けてみるまで何の件なのかがわかりませんが、受けた時点で会話をスタートせざるを得ず、結果として望まれない会話が発生する事もあります
一方、例えばメールであれば、相手に対してのリアクションをする前に内容の確認ができ、場合によっては会話を発生させる前に無視することもできます
カーリング裏解説がもたらした革命
会話/共感のマッチングがしやすい
youtube liveのチャット上で、もちろん、特定の誰かに対して発言をする事も可能ではありますが、"場" に自分の考え/思いを投下する、という使い方のほうが多いかとおもいます
じつは、このコミュニケーションのあり方が、先述の "パブリックビューイングが苦手とする点 (会話/共感できる相手の制約)" の解になっていると考えます
同じ思いを持っている人、というのは、仮に物理的に隣にいなかったとしても、ある程度の人がいれば、わりとどこかにいるとおもうのですが、チャットという "場" に思いを投げかけると、物理的な距離に関係なく、誰かに共感してもらえたり、リアクションが得られたりします
もちろん、誰にも共感してもらえないこともあるかもしれませんが、その場合は一切リアクションがないという状況になるだけで、物理的に隣にいる相手から気を遣ったリアクションをされるということもありません
一方、逆に、誰かが投下した想いについて、特に自分にとっては共感できる内容でなかったとしても、それはそれで多様な人がいるのだな、と尊重して受け流す事もできます
モデレーター(≒ 配信者)に、会話の選択権がある
先述のような、パブリックビューイングにおいての "運営側が声を吸い上げる時のリスク" も抑えることが可能です
観客からのコメントや質問を、チャット欄に投稿してもらえば、投稿されたものを拾うか否か、読んでから決められますし、リアクションするタイミングも自分で決められます
互助コミュニティが発生する
解説の配信者は、ストーンの配置を確認したり、それを自身の配信画面にて再現したり、それについての解説をしたりなど、
いろいろとやることが多く、リアルタイムに他の情報を収集/共有することも難しいケースが多いのですが、
それを見かねた視聴者がチャット欄にて、ショット率などのスタッツ情報、他のシートの得点状況などなどを持ち寄って補足する、そして、それに対しての感謝も出てくる、といった現象が自然発生的に出てきたことは非常に興味深い点です
配信者とのコミュニケーションがあったことにより、信頼関係、協力関係を築きやすかったのだろうとおもいます
そしてなんと大野さんの配信においては、その互助的コミュニティの進化系 (?) として、大野さん不在でチャット欄だけでもなぜか配信が成り立つという、もはや何と説明していいのかよくわからない奇跡の自律的な形態も出来上がりました 😂
※こちら↓は、配信途中から配信者の大野さんが不在になり、1時間半以上もチャット欄(通称チャットランド)のみで配信が盛り上がったケース
まとめ?
相当だらだらと書いてしましましたね、、
一般的に、
リアルはバーチャルよりも上位にある
バーチャルな体験は、あくまでもリアルの代替である
とされているように感じますが、裏解説について考えてみることで
パブリックビューイングがバーチャルに必ず勝るというものでもない
バーチャルな体験だからこそできる良さがある
パブリックビューイングにバーチャルな体験における良さをmixできないか?
という気づきになったというのが今回のまとめです (まとまってるのかこれ?)
次回?
こうしたヒントを踏まえて、実際にイベントに向けてどういった提案をしたか、というあたりを書こうとおもいます〜
続編: パブリックビューイング用 "店内チャット機能" を勢いで作った話 (提案編)
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