「ハンチバック」はあらゆるマチズモを暴き出す

遅ればせながら「ハンチバック」を読んだ。うすーくだが、下記はその内容を含むので、ご注意ください。

こうした感想を書くのも試されているような、緊張感がある。しかし、そうした緊張感を特別に感じること自体が、「マチズモ」なんだろうか。

読書について、想像力のない「文化的知識人」のマチズモや、そうした人々をさらに絞りかすのようなヤフコメにおける「息苦しい」というコメントへの嫌悪感を、つきぬけたユーモアで暴いてくる。

厚木の街のマイルドヤンキーな地元の女の子たちの、その人たちの人生のまねごと、その背中に追いつきたかった、せめて下ろすところまでは、といったような、かなりパンチがきいたラインに表れるように、怒りや見下しを主人公自身も持っている。

そして田中さんといういわゆる「弱者男性」から受ける見下しを、彼の弱い部分であるお金という別フィールドに引きづりこんでパンチをぶつける。

一方で涅槃にいながら、一方でお金の面では優位劣等を持つある種社会的人間のようなところがある。

そうしたマチズモを、田中さんを共犯にして中絶しようとすることで達成し、まさしくマイルドヤンキーな女の子たちの「人生に追いつこう」とするのだが、田中さんは小切手を受け取らずいなくなり、自身も再び涅槃に戻る。結局追いつけなかったのだろうか。

聖書の引用がはさまれ、もう一つの「シャカ」の物語が描かれる。

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