もしもエレキが弾けたなら
とあるバンドのオタクをやっている。どうしても性みたいなもので、推しているメンバーが1人いる。ボーカルが複数人いるバンドなのだがそのうちの1人である。
推しのことをいつ明確に推すようになったのか、実は覚えていない。そのバンドのファンになって、いろいろテレビで見るようになって、いつの間にかこの人好きだなと思って、目で追うようになっていたと思う。
そんなオタクの、推しに関する今年一の大事件を忘れないように記しておこうとしたら、その衝撃を十分に語るためには実に十数年間の積年の前置きがあったため、とんでもなく長くなってしまった。Twitterで記そうにも方法がないのでnoteに投稿してみることにする。
今年の話をするというのに、まずはわたしが彼らのファンになったばかりの頃のことから話さなければならない。
自分でお小遣いを貯めて初めて買ったCDは、彼らのメジャー3枚目のアルバムで、今でも人生で一番聞いたCDだと言える。当時田舎の小学生だったわたしは、今では考えられないほど爆売れ中で大都市のでっっっけえアリーナをドカドカ埋めていたバンドのライブに現地で参戦することなどできなくて、そのアルバムを引っ提げたツアーの横浜アリーナ公演のDVDを、内容を完全に覚えるくらいに何度も見ていた。
中でも特に心に刻まれている一曲があって、ドライブをテーマにした「HYSTEIRC TAXI」というその曲は、どこか捻くれた曲が多いアルバムの中で、軽快なエレキギターの音が真っ直ぐに奏でられる王道メロコアバンドサウンドをしている。
そして横浜アリーナのライブでそのイントロが流れ始めた時、ボーカルであるはずの我が推しは、シールドの繋がっていないエレキギターをステージ袖から持ってきて楽しそうな顔をしてジャカジャカ爪弾いていた。その頃の彼は楽譜が読めない楽器ができないと公言していたし、実際ネックの部分を弾いているなどしていて、当て振りなのは明らかだった。本当にそのフレーズを弾いていたのは、彼の後ろにいる本来のギター担当、バンドのリーダーだったのだが。
けれどおおよそこの世のバンドマンたるもの、エレキギターをかき鳴らしながら歌を歌って格好良くならない男などいないし、例え弾いている振りだとしても、完全に心を掴まれている人間が相手ならそりゃあもうヒーローである。
だからその推しの姿とその曲は、11歳やそこらのわたしに、強烈な印象を残していたのである。
それが2005年なのでもう今から17年前だ。そのうち楽器ができないと言っていた推しはアコースティックギターを弾けるようになっていた。本格的に弾くようになった一番のきっかけは東日本大震災の被災地支援チャリティ公演などのために、たくさんの機材を持ち込まなくてもできるアコースティックスタイルのライブを始めたことだろうけど、ワンマンのライブツアーなんかでも特定のバラード曲ではたびたび披露している。
そしてそれを見て思うわけだ、いつか本当にエレキギターも弾けるようになってくれるんじゃないかと。あの頃画面の中でしか見られなかったものを、今度はちゃんと弾いている状態で——「推しがHYSTEIRC TAXIでエレキギターを弾いているところをこの目で見たい」、いつしかそれがわたしの夢になっていた。
さらに時は流れて2020年、世の中は新型コロナウイルス感染拡大の影響で「ステイホーム」が叫ばれて、エンタメ業界は壊滅的な状態であった。
そのバンドも例に漏れず予定していたロングツアーもフェスも全部無くなってしまい、活動方法を模索していた時期だったが、その年の春、自由な時間が多くあったためか実家の物置部屋を整理していた推しは、エレキギターを発見したとファンクラブの日記やTwitterに投稿していた。
彼の記憶によればそれは、15年ほど前にリーダーから貰ったものだという。ちょうど例の弾くふりをしていたライブツアーの時期に近い。その時ステージで持っていたギターはサンバーストのレスポールで、彼の実家から発見されたギターはストラトタイプだったので、物は違うけれど。
良いきっかけだからエレキの練習をしようと言う推しの言葉を見て、わたしの頭の中ではあの曲が、あの映像が再生される。何ということだ、ここに来て当時からの幻想が、さらなる進展を見せるとは。だってメンバーからその頃もらったギターで、その頃は弾いていなかったエレキギターを、もらった相手と一緒に弾いている現場を目撃することができたらエモすぎるだろう!
そんなふうに、勝手に描いていた夢にはさらに別の文脈が加わって、より明確な輪郭を持ってわたしの脳裏に住み着いたのである。
そこからしばらくは、推しからエレキギターの練習をしているという報告がしばしば見られた。
けれどいつの間にか彼からエレキギターの話を聞かなくなって、2021年になってライブが再開しても、アコギを弾くことはあってもエレキを携えることはなかった。いつかのレギュラーラジオ番組で、最近はエレキの練習をしなくなってしまったというようなことを言っていた覚えもある。だから、忙しくなって時間がないのだろうか、わたしのあの夢が叶うのはやはりいつになるか分からないな、などと思っていた。
そしてようやく2022年、今年の話である。彼らは5月に横浜のぴあアリーナMMで2デイズのライブを開催した。本来はバンド結成20周年でやる予定だったのだが、コロナ禍の色々があり21年目になってやっと出来る目処が立ったのだという。
それは2日間セットリスト被りなしで全て別の曲をやるという、お祭りみたいな大きなイベントだったので、全国から剛の者が集結する大変な騒ぎとなった。わたしも早々にチケットを取り、クソみたいな仕事を乗り越えてその日を迎えたのである。
狂喜乱舞しながら1日目を終え、大騒ぎした疲れをなんとか誤魔化しながらオタクの仲間たちと2日目の物販に並び、前日やっていないならどんな曲だってやる可能性があるという理論で大喜利めいた「今日やって欲しい曲」の言い合いをした。わたしはその時、どうせ、「推しがエレキギターを本当に弾いて、ツインギターのHYSTEIRC TAXIを見るまで死ねない」とか、もはや口癖のようになったそういう妄言を吐いていた記憶がある。そう、妄言だと、思っていたのだ。
2日目の公演も後半、一つの曲が終わり、暗転。次の曲はなんだろう。まだあの曲もあの曲もやっていない、そろそろ来るだろうか。期待と高揚感で声こそ聞こえないがどことなくざわめいている会場に、突如としてエレキギターの音が鳴り響いた。客席のわたしの位置からは暗転時のステージ上の様子はよく見えない。けれどこの音色、なんだかリーダーのギターとは違うような。
まさか、まさか、まさか。
明るくなるステージ。視界に映るのは、エレキギターを持って鳴らす、推し。
身体が震える。息が止まるかと思った。うそでしょ。練習してるなんて、最近全然言ってなかったのに!
ああ、バンドマンたるもの、この世にエレキギターをかき鳴らしながら歌を歌って格好良くならない男はいないのだ。弾くふりじゃない真のその姿を、ずっとずっと見たかった。
だからこの段階でもう既に、夢は半分叶っていた。保守的だと自己を評価する推しが、この大きな舞台で、新しい挑戦をすることを選んだのだ!これほど素敵なことはない。「エレキギター弾かせてもらってもいいですか!」と高らかに宣言する推しの言葉を聞いて、疲労と睡眠不足でクタクタだった全身には大歓喜による力がみなぎり、この時のわたしは二日間でいちばん無我夢中で飛び跳ねていたと思う。
しかしこの後、更なる衝撃的な展開が待っていた。
勿論、推しがエレキギターを持っている姿を見て、"その曲"を思い浮かべなかったはずがない。けれど、アルバム曲だし、そんなに頻繁にライブでやっているものでもない。この場で初めて弾くならみんなが良く知っているようなスタンダードな曲だろう。少しだけ見えたリーダーの持つギターは確か黒いレスポールだった、あのギターを使う曲でまだやっていない曲だとすると、定番のアレあたりだろうか。
どうしても脳裏に浮かんでしまう都合の良い幻想を打ち消すように、そう無意識に自分に言い聞かせていたのだが、果たして、この時推しが口にした曲振りの台詞は。
「俺たちのタクシーに乗ってくれますか!?」
自分の人生で、嬉し泣きをしたことが2度ある。
1度目は高校3年生の春、第一志望の大学に合格したとき。
そして2度目は、2022年5月15日、この瞬間であった。
ここまで約3500文字かけて描写してきたように、夢だったのだ、2005年のあの頃から、実に17年間。
何度も何度も脳内で思い描いてきたから、この瞬間ももしかしたら幻覚かもしれないと疑った。けれど今、全人類で一番推している人間が確かに指で弾いた音が、この鼓膜を揺らしている。擦り切れるくらい聞いたアルバムの8曲目のイントロ、まさに走り出さんとする車のエンジンのようなそのエレキギターの音が、夢じゃない、現実で。
推しは随分と必死そうに手元を見つめていて、歌声もいつもより上ずっているようで、けれどその様子こそが、間違いなく今、ちゃんと手に持つそのギターを弾いているのだと証明するのに足るものだった。
推しをカバーしてくれるように、思いっきり盛り上げようとする他のメンバーの姿が愛おしいし、推しが今弾いているギターを譲ったというリーダーは心なしか上機嫌な顔で自分のギターを弾いている。それらがすべて眩しい光の中に浮かんでいるように見えて、そしてその光源たる推しは、きっとギターを弾くので精一杯だっただろうけれどそれでも、手元を見ながらふと漏れる笑顔とか、前を向いた時の真っ直ぐできらめく瞳とか。緊張の中にも楽しい嬉しいという気持ちが口に出さずとも伝わってくるような、満ち足りた表情をしていたように思う。17年前のあの映像の時よりも、経てきた時間分、もっとずっと輝いて見えた。
推しをいつ明確に推すようになったか覚えていないけれど、推す理由はいつだって言える。具体的にここに記すには余白が狭すぎるのだが、あの日のあの時間は、わたしが推しを推している理由がこれ以上なく詰まっていて、ずっと好きでいてよかったと心から思ったのだ。
とは言うものの現場ではもうとにかく興奮で頭が沸いており、意識も記憶も杳としていた。けれどライブ後にアップされた写真でも、ストリーミングサイトでやっていた公演の配信アーカイブでも、ライブを収録したブルーレイでも、どれを見ても確かにエレキギターを弾いている推しがそこにいて、そうか本当だったんだなあ、夢って叶うんだなあと、見るたびに胸がいっぱいになって、あの瞬間に全身を駆け巡った血の熱さを今になっても感じられる。
推し本人は勿論、限界オタクが17年も昔のことをずっと引き摺っていようが知ったこっちゃないだろう。彼がアコギを弾けるようになって泣くほど感動したことも、2年前エレキギターを練習し始めたことを知って夜眠れないくらい嬉しかったことも、キモイのでむしろ知らなくていい。
けれどだからこそ、こちらの思いとは全く独立して、紛れもなく彼自身が、エレキギターで最初に弾くならあの時のあの曲だと、そう思っていたことが何より嬉しい。
もうね、いつまでこの話するんだって感じなんですけど、たぶん一生します。
推し本人には、ラジオにお便りを送ったり、読んでいるか分からないけどファンレターにも書いたりしてもうとっくに伝えているし、よく会うオタク仲間のフォロワーには事あるごとにこの話をしているが、この期に及んで年の瀬にこんな読まなくていい文章を書いている。
2022年のそのバンドは、故郷沖縄の本土復帰50年にあたりテーマソングを作成したり、あの夏の苗場のロックフェスにバンド編成で初めて出演して結構な話題になったり、久しぶりにフルアルバムをリリースして細かく全国を回るツアーを開催中だったり、いろいろと大きなトピックスはあったけれど、わたしの個人的な今年一番の大事件はどうしたってこれなのだ。
わたしはこの思い出を胸に抱いて墓に入るだろう。いつかわたしが死んだら、どうか出棺の時は爆音でHYSTEIRC TAXIを流してほしい。あのエレキギターの音で、浄土までドライブできたら最高だから。
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