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原始にかえれー!

『原始にかえれー!』
この言葉は、私の好きな漫画家の水木しげる先生の作品"原始さん”に登場する、その原始さんが言い放つセリフです。

物語は、昭和70年の都会に現れた大昔の巨人の''原始さん''が、ビル群などの文明の象徴を破壊して、都会を水木しげる先生にもゆかりのあるパプアニューギニアのような大自然へと変えてしまうというものです。

突然ですが、私は今年3月に約8年間勤めた会社を辞めました。
現在は、まだ次の進路を決めたわけではないですが、かと言ってダラダラと過ごしていても詰まらないので、とりあえず在職中の時も余暇にやり続けていた、今やりたいことの1つである絵を描いています。
絵を描くことは子供の頃から好きだったり、得意でした。(ここで言うところの好きや得意は、その質が良いか悪いかは別として、絵を描く意欲があり行動をする上で、時間を忘れて夢中になれたり、一定の時間に集中してやり続けることができること、といったニュアンスで捉えていただければ幸いです)

これまでも他者に自分の絵を見てもらう機会が持てたり、その際に多少なりとも褒められたり。他者の似顔絵を描いたりといったニーズに応えることができた際は、『ありがとう』と感謝の言葉を投げかけてもらえたりして、好きや得意が伝わったことの喜びを実感しました。追加で『絵を仕事にできるよ』なんて言われたら、ついその気になったり。
そして、今現在もその気になっちゃってる部分を持ち続けているんですが、絵に関する仕事をしたいと思えたり、その気になる理由を考えた時に、自分の中でもっと他の理由も探るわけです。

そこで、話しはまた冒頭の『原始さん』に戻りますが、私は理由を『原始さん』からも見つけてその気になっています。

それはどういったものかというと、仮に現在その原始さんの出現により、文明が退化した場合、私は果たして絵を描くのだろうか、という想定をするのです。

現在だと、PCをはじめペンタブレット、インターネット、というように、絵を描いたり、発信するにあたっては、非常に便利なツールや手段があります。私もその恩恵を少なからず受けている身ですが、幾分心配性なので、たまにもしそれらが突然使えなくなったりしたらどうしようと考えるわけです。現在使ってるツールが''もし壊れたり、無くなってしまったら''といった具合です。

まあその場合はしょうがないので、紙媒体へ移行し、手描きで絵を描くだろうと、まだ素直に思うことができるのですが、一方で、それを理由に絵を描くことをやめてしまうという場合も想定としてはあるわけです。
そして、さらに心配性に拍車がかかると、紙や鉛筆さえも無くなった場合、つまり例の原始さんが『原始にかえれー!』と言い放つくらいの文明の退化に見舞われた場合でも、自分は絵を描くのだろうか、と思い巡らすのです。

結論としては、私はそれでも絵を描くだろう、絵を仕事にしたいだろう、とその気になることができました。

学生時代に、ふと図書館にある美術大全集を読破しようと思い、その最初の章のページを興味深くめくると、目に飛び込んできたのは、鹿や牛などが描かれた洞窟の壁画、旧石器時代の原始美術と呼ばれる絵画でした。
文献的には、美術の起こりとしての位置付けとなっていて、洞窟壁画は狩りの成功や獲物となる動物の繁殖を願う気持ちが込められているとされています。

あくまで『仕事』という概念が発生するコミュニティありきの話しではありますが、原始に帰った際の絵を描く仕事となると、''これをやれば良いのか''と単純に思うわけです。
洞窟という環境だから保存状態が良かったのかはわかりませんが、おそらく当時の人物も絵を描くことが可能な様々なツールを利用し、地面や木などいろいろな場所にも絵を描いていたと思うので、活躍する機会も割とあったかもしれません。

●例:原始の村のシチュエーション●

〜原始時代のとある村で、村長を中心に多くの村人が何やら重苦しい雰囲気を抱えながら集まっている。〜

村長『最近、日照りが続くせいか、皆の食料となる獲物もとれん。誰か獲物の繁殖を願う壁画を描いてくれ』

私『はい、私が描きます!』

村長『おー、お前は確か数年前も絵を描いてくれたな。当時は人手不足で狩りが思うようにできなかったが、お前が木に道しるべの絵を描いてくれたおかげで、それを頼りに村を訪れる旅人が増えた。その甲斐あってか狩りの人手不足を補うこともできたのだ。
よし!任せた!
そして見事その願いが叶った暁には、報酬として3日分の干し肉をお前に与える!』

私『ありがとうございます!任せてください!』


良かった!
ちゃんと仕事がありそうです。

今、原始に帰るとしたら、まず私は壁や地面、描ける場所に絵を描いて、人に声をかけて自分のことを発信します。
このnoteでやってることと同じようなことをするだけです。

いつの時代でもやるべきことが変わらない。
それが、私をその気にさせる理由の一つです。

皆さんの今のお仕事はどうですか?
原始に帰った際もちゃんとやっていける、続けていける仕事ですか?

原始のシチュエーションは、その何もないシンプルな環境の中で、仕事ありきの現代人の頭を一瞬混乱に陥れますが、ふとまた違った角度の新しいアイディアさえも与えてくれるかもしれません。
ミュージシャンは大小の木を叩いたりして音階を作り、美容師は手頃な石を削ってカット用のナイフを作ったり等々、職業ごとでの原始へのアプローチも見ものです。

もし仮に原始に帰り、アプローチもしてみた上で、尚今の仕事に対しての気持ちが揺らぐようなら、少し見つめ直してみてはどうでしょうか。

私も明日を生きるための干し肉を、どうやったら手にすることができるかを引き続き考えながら、やりたいことを進めていきたいと思います。

迷ったらたまには原始に帰ってみるのも、新時代へのひとつの道かもしれません。

それでは、失礼します。









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