02、18、32、48
高校から電話がかかってきた。こういうのは普通、家電にかかってくるはずなのだが、俺の携帯に直接かかってきた。もしかしたら重大な要件があるのかもしれない。
1回目の時は眠っていて、2回目は気づいたものの間に合わず、3回目は折り返し中にかかってきて、4回目でやっと取ることができた。ここまでで5日も経っていた。
何回折り返しても、どの先生も「オレはかけていない」の一点張りで埒が明かない。特定してくれよ。
また絶対に電話がかかってくる恐怖から「オレ、またなんかやっちゃいました?笑」という気持ちが強くなり、少しずつ生活を蝕んでいった。
そしてようやく電話に出ることに成功した。昨日の午後2時とかだったと思う。ようやく強迫から解き放たれた俺の声と気持ちは昂っていた。一体どんな怒られが発生するのか、楽しみで仕方なかった。しかし、とてもしょうもない内容に肩を落とす。
「奨学金申請の選考結果が来たから、取りに来てくれ。」
はぁ?このオッサン何言ってんの?郵送しろよバカがよと思ったが相手は公務員だし、それ以前に教師だった。教師に冗談はダンブルドアにカミソリだと思い、ありとあらゆる思いつく限りの罵詈雑言を心の中に仕舞い込んで、明日行きます、とだけ言って電話を切った。その日の夜は風が強スンギ(強すぎ)で震えながらスヤァ(睡眠)した。
翌日、つまり今日、起きて外見たらバカでかい車が2台止まっていて全然夢かと思った。その一瞬では俺の家庭とその2台の関係性を洗い出すことができず、頭の中が「?」のままリビングに降りると業者がいた。なんでも、風呂を直す業者らしい。先週まで東京にいて、帰ってきたら風呂がブチ壊れていた。風呂を沸かすことはできるのだが、追い焚き機能が死んでいるらしかった。今年の越冬は諦めよう思っていたのでありがとう業者と思った。
着替え、寝癖を治し、顔を洗い、歯を磨き、コンタクトをつけ、原付に跨って祖母の家に向かった。いつも家には全く食材がない(意味不明であろう)ので、祖母の家で昼飯を済ませることが多かった。祖母はずっと話し続ける。おじいちゃんの仕事を手伝え〜とか、スマホが〜とか。すると、ある情報が飛び込んできた。「そういえば、昨日娘(俺の伯母にあたる謎の人物)が受験頑張れって三万くれたよ。」とのことだった。何故実の母は浪人してから一円もくれないのに親戚の方々はこんなに俺に投資してくれるのだろうか。俺は「家庭に金がないのは常識」として育てられたから金に余裕があってさらにそれを他人に渡せる寛容な人間が存在することがいまだに信じられなかった。ありがとう伯母!俺、勉強頑張るでい。
満腹の俺は祖母にお礼を言って家を飛び出そうとした。すると、謎に500円玉を6枚くれた。電車賃とのことらしいが、3000円もあったら東京行けてまうぞ。愛知は電車賃が高いがそんなにかからない。どうして父母以外の人間はこんなにも優しいのだろうか。そして俺は甘えているであろうか。解決しないまま駅に到着した。
高校までは急行に乗れば19分、特急に乗れば17分で着くところにあり、そこから7分ほど歩くといった感じだ。17分で410円。高くないか?愛知の電車賃は高い。本当だからだ。しかも俺は浪人の身で、普通だったら時間を無駄にできない。普通でない俺にとっても、受験まであと64日という事実には目を背けることができなかった。
高校で書類を受け取るときに身分証の確認が必要だと言われた。ドヤ顔で免許証を見せたらちょっと引かれた。確かに大学に落ちた奴が免許取ってたら引くだろうな。あなたは正しい。
校門に向かうまでの坂道で、俺は戦慄した。俺だけがここから進めていない。未だに夢の中で学ランを着ている。標準レベルの普通校だったのでみんな進学をしていった。就職したやつもいたが、そいつも一生懸命働いている。俺と同様、大学に落ちたやつも数名知っているが、一人は電車に突っ込んだし、それ以外だって毎日予備校で勉強している。俺はただ、通過していくだけだと思っていた点が今思うとおっきいブラックホールだったんだなというしょうもない結論を出した。人生なげぇし、明日でよくね?というスタンスを貫き続けて早19年。その明日っていつ来んの?今でしょ。
好きな食べ物は?
これからは毎日頑張ろうと思う。そもそも勉強以外やることないんだし。口だけではなくて、行動に移していきたい。そういえば最近までビッグマウスのことをでかいネズミだと思っていたけど違うらしい。
駅前で一服してホームに入ったとき、全部思い出してエグかった。
02、13、18、25、32、43、48、55。
時刻表だ。俺たちは毎日、02、18、32、48を目指して走っていた。(各駅停車でないため。)人生は長距離走です、ってHIKAKINも言っていたし。好きだった人も「私を通過していけ」と言っていたな。では走るとするか。ゴールは「止まっていいんだ」と納得できるところまで。また進めばいいし。それは諦めじゃなくて、学びだと思う。ゴールテープなんかない。死ぬまで進めるところまで進む。まだ生まれて19年だから、人生は進んで止まって進んで止まっての繰り返しであるということしか分からない。俺は少々止まりすぎたようだ。
家の最寄りに着いて、散髪をした。俺みたいなのが髪をどうこうあがいたところでどうしようもないから、いつもおまかせで頼んでいる。いつもK兄(けーにい)という人に切ってもらっている。中1ごろからの付き合いで、千葉雅也に風貌が激似である。高2のときに家に泊まりにいったら壁におっきいチンポの形をしたディルドがくっついていて、それで遊んでいたら「うちの守り神に触るな」と怒られたことがある。K兄は一錠で余裕で眠れる睡眠薬をニ錠くれて、俺はそれを酒と一緒に飲み込んだ時点から次の日の夜までの記憶がない。何故か髪が茶色に染まっていた。人生ってこういうものだなと思った。
帰宅して業者に直してもらった風呂に入った。冬は痛覚が鈍る分、感情が尖りやすい。風呂と共に、感傷や不安に浸っていた。音楽を流してみたらいつも以上に食らってしまってダメだった。
昔から、冬に熱い風呂に入るときのお湯に浸かっていない部分の肌寒さが、身近で大切な人を失ってしまったときの肌寒さと同じような気がして滅入ることがある。しかし、幸いなことに未だに失って心を病んでしまうほどの人物を失った経験がない。だから、この近似が同じかどうかを確かめる術はない。そもそも確かめる必要もなくて、確かめたくもない。俺は常に皆さんの健康と幸せを願っている。
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