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理想と月夜の蒼い情動

何かをどうにか表現したい。

そう思うことが以前にも増してよくある。何なのかは分からない。頭の中にごちゃごちゃになってる思考なのか、心の中で混沌としている感情なのか。

とにかく今自分の内側で溢れそうになっている、半分は衝動のような、理性で押さえていなければ泣いてしまうか物に当たってしまうかのような、そんな「何か」を形あるものにしたい。


PCを立ち上げillustratorを開く。新しいアートボードを目の前に手が止まる。何を描きたい?何を作りたい…?
何か違う気がする。

ノートを開いて鉛筆を持つ。何となく鉛筆を動かして女の子の絵を描いていた。・・・下手すぎて嫌になる。

表現するなら人物画じゃなくてもっと抽象的な絵が描きたい。そう思っても、じゃあ何をどう書こう?やっぱり手が止まってしまう。

PCにMIDI鍵を繋ぎ、DAWを開く。適当に旋律を弾いてみる。
違う、こうじゃない。この色じゃない。私が表現したいのはもっと…。


もっと…何だ?

それはどんな色? どんな形? どんな音?

分からない。


トランペットに手を伸ばす。自分が思うような音が出ない。始めたばかりのギターは当然まだ上手く弾けない。しばらく真面目に練習していなかったホルンとピアノは、頭の中で鳴るの音とかけ離れてて聞くに耐えない。

じゃあ言葉にしよう。そう思って文章に綴っている今も「何か違う」感覚は消えない。文章力の乏しさが我ながら残念で仕方ない。


・・・もどかしい。
何をしても、どんな形でも、自分が今思っていることを上手く表せないことが。表現する力がないことが、もどかしくてたまらない。

絵を描こうにもイラストの勉強なんてしてないから上手く描けない。
音楽を作ろうにも、理論と知識でがんじがらめの頭が、下手に積み重ねた経験が邪魔をする。そもそも思う色を表現できる力が、まだない。
楽器を吹こうにも出したい音とギャップが大きくて嫌になる。

表現したいものを表現できるだけの力がないことに幻滅してしまう。
何もかもが中途半端で。どれをとっても誰にも勝れない。


ここまで考えてふと気づく。
「なにか」を表現したいのに、その「出来栄え」ばかり気にしてることに。力がないばかりに「理想」を表現できないことが嫌だってことに。

この「感情」を表現したいだけなのに、周りに届かない「実力」を気にしている。

小さな頃は周りの目なんて気にせずに好きに表現していたのに。
大きくなった今、その「出来栄え」を気にして何もできなくなっている。

本当はわかってる。その情動に任せてしまえば、何かの形にはなるってことは。小さな子供の癇癪のように、手が動くままに表現してしまえばいい。

でも、それができない。できたものを見て、自分の才能のなさに、実力の乏しさに苦しんでしまうから。大学に入って、才能と実力に溢れる人たちに囲まれるようになって、自由な表現ができなくなっている。

小さい頃川柳教室に通っていたときよく褒められていたのは、きっとあの頃の私は表現に自由だったからなんだろう。


「よくそんなに絵が描けるね」「一颯の作る曲好きだよ」
「自分は一颯の歌い方も好きだけどね」
「ちゃんとトランペットの実力があるからあのバンドに呼んでもらえたんでしょ」「オケ戻ってきてよ、あなたのホルンが必要なんだよ」


今でも、自分が認められてないだけで、私の表現を認めてくれている人たちもいる。私が気にしているのは匿名の多数の「評価」。顔が見えないどこかの誰かからの評価。だったら、もっと自由になっていい。はずだよね。


だから、とりあえず「評価」は気にせずに好きに表現してみよう。


たぶんこの衝動のような感情は、秘めておくにはもったいないから。
「なにか」を作りながらちょっとずつ実力もついてきたら、それでいいか。

当然、表現できないもどかしさは練習や勉強を積まなきゃ消えないだろう。どんなに苦しくて、つらくても、そのもどかしさから逃げてたらずっとこのままだろうから。

自分の「理想」を表現できてこそプロなのか、プロでさえ「理想」通りにはならないのか分からないけど。というか本当に実力つけたいならどれかひとつふたつに絞れって話なんだけどね。笑


…うん、ひとまず、あと少しあがいてみるよ。諦めるのはその後でいい。











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