大産業に新風を吹かせる。ナイル自動車産業DX事業担当執行役員 久米田 晶亮 氏が行き着いた経営者像とは。
“幸せを、後世に。”をミッションに複数事業を展開するナイル株式会社(以下、ナイル)。同社基幹事業の一つ、ネットで完結する車のサブスクリプションサービス『おトクにマイカー 定額カルモくん』を運営する自動車産業DX事業の担当執行役員 久米田 晶亮(Shosuke Kumeda)氏のキャリア形成、企業選択の軸に迫ります。
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“ニューエリートをスタートアップへ誘うメディア” EVANGEをご覧の皆さん、こんにちは。for Startups, Inc.のヒューマンキャピタリスト中村 翔太(Shota Nakamura)と申します。
私たちが所属するfor Startups, Inc.では累計650名以上のCXOを含むハイレイヤーや経営幹部クラスのご支援を始めとして、多種多様なエリートをスタートアップへご支援した実績がございます。
EVANGEは、私たちがご支援させていただき、スタートアップで大活躍されている方に取材し、仕事の根源(軸と呼びます)をインタビューによって明らかにしていくメディアです。
久米田 晶亮(Shosuke Kumeda)
2008年、オプト(現 デジタルホールディングス)に新卒入社。2014年に完全子会社としてコネクトムを創業し、代表取締役として経営全般を管掌。有店舗事業者のデジタルシフト支援として来店促進ツール/SaaS開発の立ち上げ。2021年1月に同社代表取締役を辞任、同年9月に取締役を退任し、2022年3月よりナイル入社。
「幸せを、後世に」ナイルの事業内容とは
-- まずは、ナイルの事業内容そして久米田さんの役割について教えてください。
ナイルは「デジタル革命で社会を良くする事業家集団」としてマーケティング支援、メディア運営、自動車の3領域で事業を展開しています。毎月定額で好きな車に乗れる、マイカーのサブスクリプションサービス「おトクにマイカー 定額カルモくん」は、2018年のサービスローンチから累計で10万件以上のお申し込み(2022年3月末時点)を頂くまでに成長しています。
私は執行役員として入社し、その中で主にマーケティングやセールス領域を中心として事業全体をグロースさせる役割を担っています。
就職活動時「経営者になりたい」と抱いたおぼろげな気持ち
-- 就職活動の軸とオプトに決めた理由を教えてください。
父親が大手広告制作会社で経験を積んだ後、独立して広告会社の経営をしていたこともあり、私自身も自然と広告業界に興味を持っていました。そのため、新卒の就職活動では広告会社に絞って進めていました。
加えて、就職活動時の2006年は『テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0』(翔泳社)が出版された年であり、学生ながら広告業を俯瞰してみた時に、マス広告だけでは無くオンライン広告も含めて複数の広告を扱う代理店業やメディアの会社に可能性を感じ、さらに的を絞って活動をしました。
また、当時はぼんやりと「経営者になりたい」想いがありましたが、私は想いが先行するタイプでしたので、並行してビジネス基礎力をつけるためにも未熟者の私を鍛え上げてくれる環境を求め活動をし出会ったのがオプトでした。
社員とは何度も面談を重ねましたが、お会いした方は歳が近くもイケイケな方が多く刺激になりましたし、だからこそ「経営者になるため成長したい」私の想いを、彼らは理解してくれるだろうと考え、最終的には環境とそこで働く人に一番惹かれたオプトを選びました。
-- 「経営者」への想いはお父さんの影響でしょうか?
いえ、大学時代のアルバイトでの気づきが経営者への興味の源泉です。学生のアルバイトでは異例ですが、私は居酒屋の店長代理を任せてもらい、オリジナルメニューを考案するなど周りと比べ良い経験をしていて、成長している実感が強くありました。一方で、当時仲のよかった友人はアルバイトの話をしても不満だらけ、将来の話をしても明るい話は出てこず、つまらないことばかり話していました。
その時、スタートは同じでも、アルバイトの経験は良くも悪くも人を変えると思ったのです。当時、アルバイトを探すには求人雑誌を見るのが主流だったのですが、求人媒体は払った費用によって掲載順やフォントサイズが変わるなど、法人側の論理で動いており学生の将来は考慮されていない。この構造があるからこそ友人のように将来へ不安を抱き、悩む学生が生まれると思いましたし、それがひいては日本の未来も運命づけると思い、アルバイト・キャリア選択の仕組みを変革するため「起業しよう」「経営者になろう」と思い至りました。
-- 素敵なお話しですね。当時すぐに起業する選択肢は無かったのでしょうか?
正直、すぐ起業するほどの気概は持ち合わせていませんでした。綺麗なストーリーに聞こえますが、今振り返ると就職活動で語るための聞こえの良い作文に過ぎなかったのではと思います。本当にキャリア選択の構造を変えたいと思っていたならば、すぐ人を集めまずはトライしてみることも出来たのでしょうが、いつか叶えられれば良い夢として実行はしませんでした。一方で、新卒当時に仕事を頑張ることができたのもこの夢があってこそだと思っており、オプト入社後、奮起するには十分な理由となりました。
他人と同じでは勝てない、まず量からはじめ戦い方を磨く
-- オプトに入社してからギャップはありましたか?
入社後のギャップは特にありませんでした。ビジネスパーソンとして鍛え上げられるために選択したオプトでしたが、期待通りの環境でした。高学歴で優秀な同期や先輩が沢山いたので、彼らと同じ土俵で戦うのではなく、「このエリートたちとどう差別化してチャンスを勝ち取るのか」を考えていました。加えて、私を指導してくださった上長は厳しくも徹底的に指導してくださり、後にMVPをいただく一つの大きなきっかけとなりました。
-- MVPを受賞したのですね。入社当時仕事を進める上で意識していたことは何でしたか?
とにかく量をやり切ると腹決めしていました。学歴に差はあれど、誰しも社会人経験は初めてなので、生産性にそれほど差は無いだろうと考え同期の誰よりも働いていましたし、仕事上関係を持つ先輩の飲み会に同行して気に入られる努力もしていました。やった方が良いとわかっているのに、やらないのは余裕の現れとすら思っていたので、「雑草魂」を持ち成長するために出来ることは全てやっていました。
一方で、時間が経つにつれて量だけでは勝てないことも徐々に分かって来ました。なぜなら、当時担当していたモバイル広告の領域は覚えることがそれほど多くなく、成長の限界が1年くらいで来るのです。その折に、当時主流では無かった「成果報酬モデル」のサービスを展開するプレイヤーが同業界に参画し、お客さまの多くがそちらに流れるタイミングがありました。社内は落胆ムードの中、ルールを根本から変えることで大革命が起きる点で「いいやり方だな」と私は思い、他人と同じ土俵で戦うことを避け、「戦わずして勝つ」考え方に徐々にシフトしました。
-- 2年目には大手ソーシャルゲーム会社への常駐も経験されていますよね。半年間でどのような学びがありましたか?
当時、MVPを獲得して調子づいていたタイミングでしたが、経営者になるために登る山はまだまだ高いと実感したことが良い学びです。その会社では、今やスタートアップ界隈では名だたる経営者となっている方々が、事業を牽引していました。
当時社会人2年目の私は、局地的な戦術を変えることで同期に勝つ戦いをしていましたが、彼らは現状を根本から変える戦略を打つことで、ほぼユーザーがいない状態からDAU(デイリーアクティブユーザー)を一挙に数千万人まで伸ばしたのです。その様子を見て、ビジネスで勝つためには、時に打ち手をダイナミックに変える必要があるのだと視座を引き上げてもらいました。
オプトに帰任、自ら経営者の道を切り拓く
-- オプト帰任後、すぐに部長就任しています。経緯を教えてください。
元々、帰任するタイミングには新しい挑戦をしたいと思っていましたが、オプトには部長職を含め、役員以外の自分が挑戦したいポストに挑戦できる「エントリー制度」がありました。基本的には既存部署のポジションを争って手を挙げるものですが「戦わずして勝つ」を大事にしていた私は新規部署の立ち上げを提案し部長に就任しました。当時立ち上げた部署が、後に代表を務める株式会社コネクトム(以下、コネクトム)の前身です。
-- 部長からはじまり、創業のタイミングで代表取締役社長に就任しています。部長時代と代表時代で何か違いはありましたか?
当然ありました。創業時に社内規定を作るところから全て担いましたし、契約を締結する最終決裁はもちろん、メンバーの入社から退社もすべて私の責任なので意思決定の重みが全く違いました。もちろん、ずっと求めていた経験が出来ていたのである種楽しんではいましたが、それでもメンタルがおかしくなりそうなタイミングがあったほどです。大学生の私が漠然とイメージしていた経営者像とは大きく違い、現実は厳しいものでした。
-- それでもなお、久米田さんが7年間にわたり経営者を続けられた原動力は何だったのでしょうか?
事業成長をともに支えてくれた「人」の存在が大きかったです。創業のタイミングで「一緒に頑張ろう」とスタートしたメンバーも、時には折り合いがつかないこともあります。ただ、私は代表取締役だからこそ基本的には外に出る選択肢が無く、望まずして仲間と別れるなど、創業してから何度も社として乗り越えるべき壁にぶちあたりました。その時は周りから色々言われたりもするのですが、辛い時だからこそ、熱い想いを持って手を差し伸べてくれるメンバーも増えると実感しました。その姿にとても勇気付けられましたし、ここで自分が折れてはいけないと思わせてくれました。今でも共に働く人を大切にしているのは当時の経験が背景にあります。
ただ経営者になるだけで無く、むしろあり方が重要
-- 実際に「経営者になる」というかねてからの目標を実現してから、何か心境の変化はありましたか?
せっかく経営者を務めるのであれば、「大きなことに挑戦しなければつまらない」と考えが磨かれていきました。振り返ると、コネクトムの事業は社会への影響が局所的だったと思います。もちろん、お客さまにとって必要なサービスだと信じて事業を展開していましたし、今ないものをゼロから作る観点では、相当な苦労だったと自負しています。ただし、同じ苦労であれば、大きな産業で長く続く、自分にとって周りにとって、ひいては社会にとって大きな価値を提供できる事業を作ることができる経営者になりたい、と経験を積むにつれて考えるようになりました。
志を一つにできると実感しナイルへの転職を決意
-- このタイミングで弊社ヒューマンキャピタリストの上條と中村に出会ったのですね。
はい、そうですね。当時、転職を考えている私自身や紹介する会社の理解度を上げようとする真摯な姿勢やコミュニケーションをしてくれたおかげで、キャリアを考える時間を濃密に過ごすことができたと感謝しています。ベタかもしれませんが私にとっては非常に大事なポイントで、クリアに検討や決断を出来たのはお二人のお陰です。
-- その後、なぜ転職に踏み切ったのでしょうか?
実はグループ会社でも社会に大きなインパクトを残す文脈で、産業DXに挑戦する話は何度か話に上がっていましたが、難しすぎて前に進んでおらず、私も何度か事業を考えてみたのですが、どれも上手くいきませんでした。一方で社外を見渡すと、産業DXで事を為している同年代や同業界の人がいる。それならば、思い切って外に出る事で社会へ貢献する道もありだと思い転職活動を始めました。
-- ナイルに意思決定した理由は何でしたか?
当時、大事にしていた観点は、会社の方針として大きな産業を変革しようと考えているか、自分が組織にどれだけ価値貢献できるか、信頼をおける「人」が揃っているかどうかの3点で、その軸に一番フィットしたのがナイルでした。特に、高橋(ナイル 代表取締役社長)は外から見ると完璧な人間に見られがちです。ただ、何度か選考中にディスカッションを重ねるなかで、自分自身や組織の弱みを率直に話してくれたうえで、力を貸して欲しいと言われました。また、選考過程で会った他の役員もほとんど同じことを言っており、裁量の大きい役割を任せてもらえるイメージがつきましたし、この人たちであれば一緒に働けると確信出来ました。結果、入社するまでの不安も特に無く、すんなりと意志決定出来ました。
既存事業にこだわらず、「後世に残る事業」を仲間とともに創り続ける
-- これからの久米田さんの挑戦をおしえてください
現在、事業の柱の一つである自動車産業DX事業の担当役員を務めていますが、良い意味で自動車にこだわる理由は無いと思います。そもそもミッションに掲げている「幸せを、後世に」に共感したからこそ入社しましたので、大きい産業を舞台に後世に残る事業を複数作っていきたいです。一方、自動車領域で自分達が挑戦中のサブスクリプションサービスは、始まって間も無いサービスで全体需要の数パーセントのシェアにしか過ぎないため、利用者のカーライフをより良くするために出来る事をまだまだ仕掛け続けることが目下のテーマです。
-- さらなる挑戦を支えるためにどのような仲間に集まって欲しいですか?
本音として、社内にいるメンバーが引き上がってくることがベストだと思っています。私が今、事業担当役員を担っていることが好例ですが、まだまだ社内にはホワイトスペースが多く新規事業を立ち上げる機会が十二分にあるからこそ、機会を取りに来る若手が育つと嬉しいですね。他方、新しく入るメンバーにも成長機会を準備できるので、私たちの強みも弱みも全て共有した時に「自分が意思を持ってやり遂げるんだ」と思ってくれるメンバーが集まると嬉しいです。
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中村 翔太(Shota Nakamura)
広島大学教育学部卒。入学時より政治の世界に興味を持つ。若年投票率向上を企図するNPOに所属し広島支部の代表を務める傍ら、県議会議員、国会議員のもとでの鞄持ちを2年間経験。大学3年時に政治以外の道を知りたいと休学。決裁者マッチングプラットフォームを提供するベンチャー企業にインターン入社。ビジネスによって社会を前進できると感じ、設立1年目のスタートアップに入社。1人の入社が会社を大きく変えると、人の可能性に触れフォースタートアップスに入社。現在は、WEB3.0やカーボンニュートラルなど新産業を牽引するスタートアップ支援に力を入れる。
EVANGE - Director : Koki Azuma / Creative Director : Munechika Ishibashi / Writer : Shota Nakamura / Editor:Koki Azuma / PR : Megumi Miyamoto / Photographer : Takumi Yano
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