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「遊び」と「表現」① 「遊び」と「表現」は構造的に似ている

表現とはOUTPUTだけでは成立しない

「遊ぶこと」と「表現すること」は似ている行為だと良く感じます。何事も自己表現と言えるのだとしてしまえば、当たり前だと言われそうですが、「遊ぶ」と「表現する」は構造的に似ていると思うんです。

その1つがINPUTとOUTPUTの循環構造

表現するという言葉は英語でexpressionです。exは「外へ」という意味を持ち、pressは「押し出す」ですから、英語の語源から推測すれば何かを外へ出していくことなのだろうと言えます。そしてその何かという部分が表現の対象ということになるのでしょうけれど、これはその時々で様々。

出すことだけでは成立しない

こうして書くと表現=出すことと捉えてしまいそうですが、「出す」ためにはやはり「入れる」ことが必要です。うんちと一緒。食べなきゃでない。

絵を描く場合、描くことに全意識が傾きがちですが、見ること・観察すること(つまり理解すること)は描くことと同じくらいに大切です。場合によっては描くこと以上に大切だろうと思います。これは抽象的な自分の心情や心象風景を描くという場合だって同じです。観察するというのは目の前の対象だけではありません。自分の心情だって観察の対象です。

あるいは何も考えずに思いのままに描くんだ!ということだってあるでしょう。でもその場合だって一緒。何も考えずに描いたその最初の軌跡が次のアクションを生じさせるわけですから、自分の描いた結果を観察して、あるいは感覚的にキャッチして次の自分の行動が決まるとも言えます。

僕は「大人のお絵かき教室」と題して、たくさんの”自称” 大人の皆様と一緒に表現することを楽しむ機会を得ています。そこに参加してくれる方は「絵を描くことが苦手だ」という方も多いのですが、そんな人たちに向けて例えばこんなお題を出すわけです。

・綺麗な正円を描いてください(フリーハンドでね)

すると大抵は嬉しいことに苦手意識たっぷりな反応をしてくれるわけです。それでもどうにか描いてもらうと当然、正円とは言い難い何かが描かれます。でも次はその上からより円に近づくようにもう一度描き足してもらいます。すると最初の円よりも明らかに正円に近づきます。そんなことを4〜5回繰り返せば、誰でも綺麗な円が描けます。ここにもINPUTとOUTPUTの循環があるんです。

絵が苦手な人は正円を”一発で”描こうと意識するあまり、「できない」という思考に陥りがち。でもとりあえず何かを描いてみれば、それを観察することでより正円に近づけることは比較的容易です。

先に描いたものが次の自分の行為にとってのINPUTになる

これは絶対音感などなくても、比べれば2つの音がどちらがドでソかは誰でもわかるということに近いかも。

遊びも同様に循環が支える

そんなわけでOUTPUT(表現すること)とINPUT(観察すること)は絶えず循環しているというわけです。

そして話は戻りますが、子どもたちの遊びを観察しているとこの構造が遊びととても似ているということがよくわかります。

遊びはそれ以外に目的を持たず(数字を覚えるために遊ぶとは言わない)、義務的に行うことではありません。楽しいから自発的に行うものが遊びです。そして3〜5歳くらいの子どもの一人で行うごっこあそびなど観察していると、遊びの中で 出た自分の言葉や、自らイメージしている設定に影響されて次の行動や言葉が出てくるという場面を頻繁に見てとることができます。

遊びとは…
・それそのものが目的
・自発的に行うこと
・何よりも楽しい!

井出考

これは集団で遊んでいる子どもたちをみていても同様です。最初は鬼ごっこをしていたと思いきや、そこにたまたまあった高い場所(岩とかね)を安全ゾーンに設定してルールが変わったり、鬼ごっこに何らかの設定が加わって正規軍と反乱軍の争いになったりとにかく凄まじく変容していきます。

ちなみにこの時期の子どもたちは「繰り返し遊び」という言葉があるくらいに同じことをずっと繰り返して遊びますが、それもINPUTとOUTPUTの循環に支えられています。同じことを繰り返しているようで、子どもたちが繰り返しているものは小さなチャレンジです。最初の行為を自ら観察し(理解しようとする)、次の行為に繋がっていると言った方がいいでしょう。ミクロにみれば同じことを繰り返しているわけではない。

きっと数多の挑戦があるに違いない

よく考えることがあります。未来の大人になるであろう子どもたちにとって遊びがどれほど大切だろうかと。そしてそれと同じくらいに表現の時間も大切だろうと。学校教育において表現といえば、図工、音楽、(個人的には理想の体育は表現に近くて良いと思っている)という時間ですが、決して十分とは言い難いだろうと思います。地域の学習、プログラミング教育、英語学習…やることは増えているわけですから、図工や音楽の時間が増えることはないでしょう。

僕はお誘いいただき9kidslabというオンラインスクールで講師をしています。そこでは遊びを通じてデザインという思考法を体験的に学習するということにチャレンジしています。ひとまず子どもたちの体験として残るものは「楽しかった」ということで良いのだろうと、僕自身も紆余曲折を経て考えています。

遊びはINPUTとOUTPUTの循環。言い換えれば"事象を観察し自分なりの形に変換してアウトプットする作業"だとも言えると思います。遊びを媒介に学習することがうまくいくかどうかわかるのは子どもたちが大人になった時でしょう。それはきっと今から10〜15年後くらい。15年経てば現在の正論などほとんど全て昔話。ならば知るべきは正論ではなく自ら解答を導き出す観察の力と表現の力なんじゃないかとふと思うわけです。

マジメに遊んで暮らしてみたいと思っています。

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