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大きな絵画もたやすく完成させる子どもの表現力

大人になって絵を描いてみると、「完成」させるということがとても難しいということを思い知る。

序盤は良いのですが、途中からどう進めれば良いのかわからなくなるのです。そして完成などできないままの落書きで終わってしまうようなことがあります。

たやすく完成させる子どもたち

5歳の娘はかなり大きなキャンバスでもなんの躊躇もなくサラーっと完成させます。こんなのとか。自分の身長近くあるサイズのキャンバス。

あるいはもっと小さいとき、3歳の頃の写真ですが、こんな大きな画面にも向かっていました。

別の記事でも書きましたが、画面を大きくすることはそのまま絵が大きくなることに繋がるのでオススメです。小さな子どもの場合には体いっぱいに使って絵を描く機会につながると良いなと思っています。

さて、しかし画面が大きいことと「完成力」は別なところにある気がします。もちろん、気が乗らない時などはいつまでたっても着手しないのが5歳の特徴。しかし一度やり出すと早いです。自分の体より大きな画面でも数時間で完成させるということが少なくありません。

何を持って完成とするのか?

完成させるためには、完成の基準がいります。その基準が曖昧だといつまでも完成しません。しかし子どもたちはおそらく完成の基準など持っていません。塗り終わったら完成ということでもなさそうで、いつまでも重ね塗りをしている時もあります。

絵と言葉とセットで完成

知人の幼稚園教諭はこの時期の子どもの絵画表現をさして、「絵と言葉とセットで完成する」と言います。確かに4〜6歳くらいの子どもたちは頭の中にあるイメージを言葉で説明しながら、絵を描くということがよくあります。
「これは〇〇のおうちなの」
「木がたくさん生えているの」
「おばあちゃんはお外にいるの」

などなど。頭の中の設定が描き終わると完成を迎えるということがありそうです。ただし、「絵と言葉とセットで完成する」時期の特徴として、頭の中のイメージが目まぐるしく変わっていくということも言えます。しかも、自分が描いたものが、別の何かに見えたりすると、設定がそっちに引っ張られて変わっていくのです。なので、必ずしも描き切ったら完成ということでもありません。逆に言うとこの時期の子どもが絵を描いていたら、「それは何?」とたまに声をかけるのも楽しいです。思いもよらない答えが返ってくることもしばしばあります。

完成のタイミングは急にやってくる

結局のところ、なんかのはずみで完成のタイミングは急にやってきます。それが外的要因による場合もしばしばあります。お腹が空いたとか…。

ただ、完成するには一定以上の満足が必要そうな感じもしています。「やり切った!」と言う達成感が作品の完成に繋がるのです。そのためには大人の手助けもあって良いと思います。これはもちろん子どもによりますが。

傾向的には子どもの集中力は大人に比べると短いものです。継続して大きな画面に向かうためには、ちょっとした変化が必要です。この変化は心地よい刺激になります。変化は大人(例えば僕)のちょこっとした提案だったりします。別にやらなくても良い。でもこうすると楽しいかもしれないと言うことをたまーにポロッと呟くのです。

大人によるサジェスト

「こうしよう!」と言うことは言いません。「こうするのはどう?」「こういうこともあるよ?」と言う程度のつぶやきです。具体例を出します。ある程度まで描いている段階を想定してください。子どもは集中すると一つのことをずっと継続しがちです。そこでこんなことを口にします。

「他の色を使ってみるのはどう?」
「太い筆を使ったらたくさん塗れるんじゃない?」
「(おうちを描いているとしたら)家の横には何があると楽しいかな?」
「そのピンク色のかたまりは何?」

と言うような感じです。質問でもよくて、質問すると子どもは答える場合と、そこから考え始める場合とがあります。考え始める場合にはそれが契機になって別の絵に繋がるということもあります。

これは実際にはかなり臨機応変にやります。画面を見ながらボソボソと言うわけです。やると楽しいです。

そんなこんなで十分満足がいったり、お腹が空いたり、手の汚れが気になり出したりすると絵は完成となるわけです。一番はこの「やりきる」と言う部分かもしれません。躊躇がないからやり切れます。躊躇がないと言うのは、イメージと表現する結果のギャップに対する躊躇です。大人の場合には技術的な不足を想像して躊躇してしまうのかもしれません。頭で考えすぎたり。

アール・ブリュット

フランスの画家、ジャン・デュビュッフェは芸術の教育を受けていない者による表現をさして「アール・ブリュット」と呼びました。加工されていない生(き)の芸術と言うニュアンスです。子どもたちの表現はその意味ではアール・ブリュットに等しく、彼らの姿勢はある意味では真のアーティストだと言えるのかもしれません。

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