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感情の正体

きょうだいが生まれると上の子が赤ちゃんのような振る舞いをして親に甘えたり、下の子にちょっと意地悪なことをしたり、きついあたり方をするといったことがあります。極端な言い方をすると自分の妹や弟に対して「嫌い」という感情を抱いてしまうのです。この「嫌い」という感情はいったい何なのか、保育園の先生と話をしていてちょっと気づくことがありました。

未分化で未熟な感情

きょうだいが誕生するまでの子どもたちはママやパパを独占し、自分を中心とした世界で生活しています。ところが下の子が現れると急にその日から姉、兄として振る舞うことを強いられます。統計を見るときょうだいのいる家庭における、第一子と第二子の年齢差は3歳未満という場合が7割を超えます。「おにいちゃん、おねえちゃん」といっても、まだまだ小さな子どもたちです。いやいや、急に言われても〜ってなってもおかしくない。

仮に3歳以上だとしても子どもたちの感情はまだまだ未発達。はっきりとした喜怒哀楽は感情の区分が曖昧であることの裏返しでもあります。細かく見れば未分化なまま発露している感情がたくさんあるのだろうと思います。

ついさっきまで泣いていた子どもが次の瞬間ケラケラと笑っているなどということも珍しくありませんから、感情というのはどこかでは繋がっている部分もあるのかもしれません。

さて、下の子に対して抱く「嫌い」という感情ですが、細かく観察していけば、親に対する独占欲、生活の変化に対する戸惑い、きょうだいに対する嫉妬、きょうだいへの愛など、たくさんの感情が複雑に絡み合っているのが分かります。子どもが感じるものはそこから現れるドキドキや不安感だったりするかもしれませんが、ドキドキや不安の正体(原因)がわからないままに、自分の知っているものだけで判断すると「嫌い」という発言につながったりするのかもしれません。

そんな時はゆっくりと、焦らず時間をかけて、子どもが感じているものを分解しながら一緒に味わっていくと良いかもしれません。じっくりと対話をしながら「違い」を感じます。

例えば、ジェットコースターが嫌いな子どもに弟が生まれたと想定します。すると嫌いと言ってもジェットコースターを嫌いな気持ちと、弟を嫌いな気持ちって違うはずです。その違いを思い出してもらいます。すると自分では同じ「嫌い」として区分しいた感情がまるで別のものとして浮かび上がってきます。

ジェットコースターに感じる嫌いは高さやスピードに対する「怖さ」。別に無理してやらなくても良いもの。弟に感じる嫌いはまるで違うもので怖さではなく、ママに甘えたいとか、パパともっと遊びたいというものだとします。モヤモヤと感じていた自分の感情が「嫌い」というものではないのだと、初めて認識する瞬間です。

あるいは「量」も様々です。本当に嫌いなジェットコースターの「嫌い度」を10とすると、下の子に対する「嫌い度」はどうだろう?答えてもらいます。2とか3程度かもしれません。もっと言えば、たまに2になるけど普段は0ということも多いのではないでしょうか。

ほんとは嫌いなんじゃなくて、別の気持ちを「嫌い」と言ってしまったんだねー。

そんなことを対話を通じて思い出してもらいます。少しナビゲートするくらいのことがあっても良いかもしれません。途中で親も気づいていない感情を吐露することもあるかもしれません。そんな時は「そっかそっかー、そうだったんだねー」でまずは良いと思います。解決を考えずにまずはじっくり聞いてあげることが大切です。

これらは、とある保育園の先生が実際に子どもたちとの会話の中で行っていたものです。時折楽しい思い出の会話なんかも織り交ぜつつ、短時間の間に起きた子どもの表情の変化に目を見張りました。

感情に蓋をするものではない

当然のことながら、これは感情に蓋をして無理強いをすることや、強引に子どもを引っ張るようなことではありません。未熟ゆえに子どもたちは自分の感じている感情を正確に把握することができない場合がありますから、その曖昧な感情を細分化しつつ顕在化させるようなものです。

別に特別なテクニックではないだろうと思いますが、子どもを信じていなければできないことかもしれません。

大人にもありえること

ところで、感情を自分で正しく把握できずに、漠然としたものとして感じてしまうことって大人でもありえるような気がしませんか?「なんとなく」というやつです。何となく不安、なんとなく好き、なんかムカつく。何が?と聞かれても「なんとなく」。

漠然とした不安を感じていたにも関わらず、何かのはずみでその感覚も、どうしてそう感じていたのかすらも忘れてしまったり、緊張していたのに誰かの一言でスーッと体が軽くなるのを感じたり。そんな経験誰でも多少はあるのではないでしょうか?

「吊り橋効果」にも近いのかもしれません。見知らぬ異性が一緒に吊り橋を渡ると、その恐怖心のドキドキと恋愛感情のドキドキを同一視してしまうというもの。逆に言えば、人間の認知は何かと誤作動を起こしやすいということでもあると思います。

大人だって子どもたちと同じくらいに日々たくさんの感情の変化が起きているはずです。大人はそれを常識や社会性をもって鈍化させているとも言えます。ですが、その振れ幅が大きければやはり不安や怒りとして現れる。

そんな時は自分を観察、自分と対話するのが良いかもしれません。感情を自分の知っている言葉にはめ込もうとせずに、自分なりに味わうとどんな感じだろうか?それは他の似た感情と同じか、あるいは違うのか?その感覚はどのくらいの大きさだろうか?などなど。

「わからない」ということは不安を生み出します。だから正しく把握する。それによって漠然とした不安から曖昧さはなくなり、自分で理解できるものへと変わっていきます。そして次第に不安もなるなくかもしれません。

ある日突然「上の子」になる子どもたちに無理があるように、大人だって考えてみれば、急に「大人」になれるものではありません。思いもよらぬ未熟な部分があったって良いじゃないですか。未熟だからこそ、わからないこともあるし、わかろうともがくこともあるってものです。

ゆっくり深呼吸して自分の感情を味わってみましょ。子どもたちを見習って。

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