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フロッタージュから見える世界

フロッタージュという絵画技法があります。耳慣れない言葉だとしても、誰でも幼少期に一度はやったことがあるのではないでしょうか?

硬貨や葉っぱなどの上に紙を乗せて、少し柔らかめの鉛筆やクレヨンで擦ると、下にあるものの表面の模様(texture)が浮かび上がると言うもの。

フロッタージュ(frottage)はフランス語で「こする」を意味する(frotter)に由来します。シュールレアリスムの画家、マックス・エルンスト(Max Ernst, 1891年4月2日 - 1976年4月1日)が用いた技法でもあります。

おうちの中を探検隊

僕はこの技法が好きです。フロッタージュを用いて作品づくりと言うことはあまり行いませんが、フロッタージュを用いて遊ぶことは頻繁にやります。特に外出を自粛していた期間中などは、娘と一緒に「おうちの中を探検隊」と称して、あちこちフロッタージュして遊びました。

僕は硬貨や葉っぱを採集して、テーブルの上でフロタージュするよりも。むしろ紙と鉛筆を携えて、家の中(外でも)を移動していく先々のものの表面をフロッタージュすることを好んで行います。

例えば、壁のざらざら、畳、テーブルの木目、フローリングなどなど。外ならばマンホールやタイルなども楽しいです。

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視点を変える

さて、ここには2つの狙いがあります。1つはシンプルなもので、思うように外出ができない状況で、家の中をいかにして楽しむかと言うもの。2つめ、こちらが大切で「視点を変える」と言うものです。この2つは密接に関係しています。「視点を変える」ことで日常である家の中が、違って見えてくると言うことにつながるからです。

フロッタージュという手法を用いることで、家は違った風景を与えてくれます。擦り出した模様は「こんなふうに出てくるなんて!」と驚きとともに表れることも少なくありません。幼児に至ってはその驚きは一入(ひとしお)でしょう。大人は経験則からある程度の予測が立ちますが、子どもたちはやってみるまでどんな模様になるかわかっていません。いや、模様は想像を超えた綺麗さで表れることもあるので、大人だってわかっていないと思います。この「やってみる」というスタンスも重要です。

とにかくまずはやってみよう

やってみると上手くいかないこともしばしばです。擦る対象が柔らかい、表面の凹凸が少ない、などの理由で上手く模様が浮かび上がらないのです。こう言った失敗も遊びには含まれるもの。子どもたちは失敗を通じて「何か」を感じとっているはずです。小学生くらいになると失敗から「なぜ?」を思考するようにもなるでしょう。模様が浮かばなかったとしても、子どもたちにとっては「失敗」ではないのだろうと思います。成功も失敗もどちらも遊び。

ものの見方、情報の知り方

この遊びにある「視点の変化」にはいくつもの側面があります。フロッタージュできそうな場所を探す、フロッタージュするために対象に目を近づける、などという行為は物理的な変化と言えるでしょう。また、視点を変えるのは目で見るだけとは限りません。フロッタージュをするときには、対象を手で触れることになります。手から伝わる情報は膨大です。

赤ちゃんはハイハイができる(自ら動ける)ようになると、たくさんのものを触れ、口に入れようとします。視覚が未発達な赤ちゃんでも触覚は十分に発達しています。触れることで世界を把握し、自ら成長していくわけです。フロッタージュはたくさんのものに触れます。冷たいもの、ざらっとしたもの、ゴワゴワのもの、たくさんのテクスチャに触れることは、家の中を「目」以外の感覚器で知ろうという行為だとも言えます。

まとめると、フロッタージュで模様を採集するという目的があるから、家の中を違う視点でみることができ、かつ手で触れることで普段は見逃しているたくさんの情報をキャッチすることができる。それにより毎日を過ごす家の中を新鮮に感じ取ることができる。というのがこの遊びの魅力だろうと思います。

ちなみに、僕は視点を変えるということは、創造性の原点(のひとつ)だとも思っています。何かを生み出すためには、ある事象を様々な側面から眺める必要があります。イノベーションとは皆が当たり前と思っていることを、別の側面から眺めることで生まれるのかもしれません。

いつかフロッタージュを使ってひとつの街を丸ごと写しとるということをたくさんの子どもたちとやってみたいと考えています。しかもそれを色んな街でやってみる。すると日常とは異なる視点で見える、いわば"魚拓の街版"みたいなものが見えるのではないかと考えています。

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