見出し画像

子ども自治体という発想

先日、街づくり事業をしている友人と話をしていてあることを思いついた。それはこんなこと。

子どもたちと自分の住む街のリサーチを多角的に行って、そこで得た知見から街に必要な機能を考え、市長にプレゼンテーションさせていただく、というプロジェクトはできないか?

この発想は先述の友人との会話の中で、街づくりと遊びを融合して新しい取り組みができないだろうか?というものがベースになっている。きちんとリサーチをすれば、先行事例はたくさん出てきそうだけど、自分の関心と合わせながら、どんな展開が可能か考えてみています。

僕の関心「表現遊び」

僕は以前から子どもたちと表現遊びをする時間を増やしたいと考えていた。大きな野望としては、観賞することと表現することがセットになっているミュージアムの設立と思っているくらい。

表現することと同じくらい大切なのが、「知ること」だと考えている。いわばインプットとアウトプットが循環して初めて、表現活動は充実したものとなると考えています。

画像1

りんごを描こうと思うと、りんごを知っている必要があります。それは記号として知っているだけでは物足りず、手触り、匂い、色、味、重みなど多角的に知って初めて「知っている」と言えます。また、りんごと言えば、赤色ですが、よく見るとたくさんの色が表面上では混ざり合っています。黒っぽいところもあれば、黄味がかっているところもあります。五感を使うことで、より深く知ルことができます。

表現活動が支える現代の生活

人間の社会的な営みというのは、多くの表現行為によって支えられていると考えています。現代人は多くの場合、何かしらの団体に所属しているものです。その代表例の一つが会社組織や学校。会社の中ではたくさんの会議が行われるわけですが、会議で自分の意見を伝えることも言語を介した表現活動です。

学校も教育の方法が変わってきています。前回の学習指導要領の改定では、「主体的・対話的で深い学びの実現」という言葉も出てきています。

どちらの場合も、支えるものの一つに表現行為があると僕は考えています。表現というのは専門的な行為ではなく、誰にとっても必要なものであり、故に子どもたちにもたくさんの表現活動に触れてもらいたいと思っているのです。

街づくりがなぜ表現活動になるのか?

では、街づくりと表現活動の接点はどこにあるのか?これを説明します。大前提としてあるのはこの活動自体が楽しいこと。つまり子どもたちにとっては遊びと同義くらいの活動でありたいと考えています。そして、街づくりは表現と同じように自分の住む街のことを知ることから始まると考えています。

街づくりと表現活動を掛け合わせたこのアイデアの大きな流れはこうです。
①多角的なフィールドワークを通して街を知る
②街に足りないもの、必要な機能をディスカッションして合意形成する
③実現してくれるであろう人に、自分たちの考えを伝える

①多角的なフィールドワークを通して街を知る

街を知るという①のフェーズでは、子どもたちとフィールドワークやりたいと思います。それは徹底的に楽しく、参加する人たちの視点を変えてくれるようなものが良いと思っています。大人と子どもが一緒にやるのであれば、子どもの気づきから、大人の視点が変わるということもあるでしょうし、子どもにとっても普段見慣れたはずの街が違って見えてくる、というような経験になれば良いと思います。代表的なところだと、インタビューや視察を行うというものです。例えば、
・街の良いところを地元の人にインタビューする
・徒歩20分圏内の公園がいくつあるか調べる、またそれぞれに行ってみる
・この街の遊べるところをみんなで探す

また、遊びを通したフィールドワークだと例えばこんな感じ。
・街の表面を採取する、フロッタージュで街を探査
・街の音を採取する
・街の看板、サインなどのマークをハントする

画像2

②街に足りないもの、必要な機能をディスカッションして合意形成する

②のフェーズではそのアウトプットから始めます。大きなマップを作ってフィールドワークの結果をマッピング。あるいは昔ながらの壁新聞みたいなものも楽しそうです。マップはよくある地図の形でなくとも良いと思います。フロッタージュしたもので地図を作ってもいいし、「音の地図」なども考えられます。そしてその地図を元に「子ども会議」につなげていきます。

地図に落とし込むという作業はまさに一種の表現活動です。フィールドワークで観察したものを、地図というフォーマットに可視化する。どうしたら、自分の見たものを伝えられるか?そんなことを考えながらやってみたいところです。

「〇〇の絵を描こう」「〇〇を作ろう」というタイプの、作るものがゴールにある活動と異なり、ここでは、表現することはプロセスになっていることは特徴的な部分かもしれません。あくまで表現行為は日常的なものとして捉えます。また、その全て(仮)を共同作業という形でやりたいと考えています。共同作業はそれだけも学ぶことの多いものです。「子ども会議」と書きましたが中身はまだ何も決めていません。ただ、参加する皆でどうするか、どうしたいかを話し合いながら、一つのものを作り上げるということを体験してみたいと思います。

③実現してくれるであろう人に、自分たちの考えを伝える

最後はプレゼンテーションです。表現行為はやって終わりではなく、他者に意見や感想を言ってもらうことがとても大切です。つまりは批評です。このプロジェクトでは、その批評の機能を大人にやってもらいたいと考えています。そして、これは叶うのかどうかわかりませんが、街のことを調べ、考え、表現したのですから、街の人に聞いてもらいたいと思っています。ご迷惑にならないようにしなければいけませんし、子どもが言っているのだから聞くべきだ!なんてことでもいけません。

荒唐無稽な部分もありそうですし、前述の通り先行事例を調べる必要もあります。例えば目的は異なりますが、「政治検定」という活動をされている方たちがいらっしゃいます。

ところでこれは実現できれば、社会のなかでやられていることのトレースであり、実体験を伴うという点において、とてもユニークな経験になるのではないかと妄想しています。

ということでしばらく考えてみようと思います。どこかでやってみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?