雨の日、歌えないシンガー

 論理的に考えて、気持ちを整理しようとするなら、まず大前提として今日は雨だということを言及しなければならないだろう。なぜなら、ニンゲンっていうのは弱い生き物で、低気圧で心がしんどくなるとあっという間に死にたくなったりするものだ。

 でも時に、低気圧の影響だとわかっていたって、ダークサイドに堕ちそうな時、あるよね。なんだか嫌なことが全部重なってしまうことも、あるよね。
 人生の全ての出来事やイベントが、遠いことや小さいことのように思えて、今自分がここで息を吸って吐いていることが不思議で堪らなくなる。夢とか、頑張ってた理由とか、全部よくわからないなって思ってしまって、すぅっと目に見えないくらいのちいさな穴の中に、わたし全部が吸い込まれていってしまいそうな気持ちになる時がある。あの時感じたあの幸福感って、幻だったのかなぁ? わたしは今、幸せだろうか。自分の追いかけてる夢が全部叶ったら、じゃあ幸せになれるのか? 満足できるのか? きっとそんなことは無くて、どこまで行ったとしても、本当の意味で心が満たされることなんてないんだよなぁ。

 それはもしかしたら、度を越すと自殺願望になるものかもしれないし、もしかしたら人間がみんな持ってる健全な感情なのかもしれない。

 周りの人がみんな、自分よりは輝いて見える。周りのクリエイターの作品が全部、自分のよりずっと素晴らしいものに見える。それがもやもやと、次第に嫉妬に形を変えていって、なんだか禍禍しい感情の闇から出て来れなくなりそうな時、あるよねええええええええ。

 *

 先週の木曜日、友達と都内で会う予定で朝起きたら、何故だか異様に寒かった。最近は暖かい日と寒い日が順番に巡ってくる変な気候だから、今日は寒い日なのかなぁと思いながら支度。頭もぼーっとしてるのか、きびきび支度ができない。
 様子がおかしいなと思って、熱を測ってみたら微熱だった。ガーン。友達に連絡して、キャンセルしたほうがいいかも〜〜〜と伝えて、ベッドイン。夜まで寝たけど38.5℃まで熱が上がってしまった。

 その日から5日が経ち、風邪は完全に治ったと思ったのに、今度は喉がやられてしまって、声がぜーんぜん出なくなってしまったのである。しかも、お医者さん行ったら、鼻からカメラを突っ込まれ、喉まで管を通されるし!! 結局薬を飲んで、まあ一週間くらいはかかるでしょうねとのことで、歌の仕事はやむを得なくキャンセルすることになってしまった。つ〜ら〜〜〜〜

 しかも辛いのが、去年個人事業主になってから、一番一気に仕事の依頼が来てたタイミングだったということ・・・・。やりたいお仕事がどんどん手のひらからこぼれ落ちていく感覚・・・・瀕死。。。。。。

 そして一緒にもっとお仕事してみたいなぁと思ってた人がせっかく振ってくれた仕事も棒に振り。
 そのタイミングで女の子の月のものがやってきて、メンタルまでボロボロに・・・・・!!!

 そして今日。。。。。

\!!!!!低気圧!!!!!!/

 無事に喉と共に、ゆりかはメンタルまでお逝きになられたわけです。


 でもね、病んで、「もうわたし可哀想すぎて無理、本当に可哀想、可哀想なわたし、ぴえぇ〜〜〜」ってなってたんだけど、そんな時にちらりと聖書の言葉を思い出したのです。それはねえ、神様は自己憐憫を喜んでいないっていうこと。
 神様が自己憐憫を喜ばないっていうのは、だから自己憐憫になっちゃダメ!!!とかいうことではなくて、そこにずっといても、幸せじゃないし良い気分になれないよってこと。だからとりあえず、「わたし可哀想モード」からは完全にサヨナラすることに決めた。くだらないもんね。

 声が全然出なくて、本当に悲しいしストレスもたまるんだけど、見方を変えてみると、「わたしって歌を歌えて何て幸せなんだろうなあ」って思えた。このまま普通に生きれば人生はまあまあ長くて、きっと歌だって沢山歌える。自分のためにも、人のためにも、神様のためにもきっと沢山歌える。
 声って、歌って、奇跡だよね。人間が世界にいて、世界には空気があって、人間には声帯があって、声と言葉があって、音程があって、リズムがあって。だから歌があって。
 そんなことを思う。

 でも、100歳まで生きられるとして、しぬまで歌うとして、後75年しか歌えない。人生は限られてる。わたしはその、限られた期間に何を歌いたいんだろう。何を残したいだろう? この、声や歌という奇跡みたいな神様からのプレゼントを使って、伝えたいものがあるとしたら一体それは何なのか。
 わたしはそれを何のために、使いたいと思っているのか。

 自分の名前が知れるため? いい歌歌うなぁって言われたいから? 人を感動させたいから? それで生活をするため?
 じゃあ名前が売れて、わたしの歌を好きになってもらって、歌や作詞で満足な生活が出来るようになったら、わたしは満足するんだろうか。きっとしないだろう。それは結局見せかけだ。見せかけの成功だ。

 わたしは本物になりたいし、真実を掴みたい。それは小さい頃からずーっと変わってない。この混沌とした世界で、本物でありたいし、真実が何か知っている人でありたいとずっと思っているし、「Genuine」に対する憧れがすごくある。

 だから、目先の目標や目に見える成功みたいなものを追いかけたりするのは完全に筋違いだなと、なんだかふと、心の底から気づいたんだ。
 でもわたしが、今回声が出なくなって悲しんでるのは、いろいろ悲しかったけど、目先の成功や目先の金銭に繋がりそうなものがポロポロと溢れていったような気がして、それがなくなったことが悲しかったんだな。と気付いた。

 そしたら、わたし、すっごいくだらねぇな。と思った。笑

 こんなにくだらないことを大事にしようとしてたなら、わたしは音楽を仕事にしようとすることを一旦止めるべきだなってくらい。
 大事なのはそういうことじゃない。ぜんっぜん、そういうことじゃないのだ。
 完全に筋違いなのだ。

 わたしにとって音楽や、歌うことは、わたしが神様から貰ったと感じている愛や平安を音に昇華することで、わたしが追求していくのはそこで、それは絶対変わっちゃいけない。なんか最近、それがブレてたんだなあ。

 だから、いつも見つめるのはもっともっと大きいこと。もっともっと大きな次元で生きる。進んでいく道がブレないためにね。

 そんなことがわかったのでした。声を失うのも良い経験だね。感謝かんしゃ〜〜〜〜〜〜うっほっほ〜〜〜

 ユリカでした。

(あ、2月の15日に、イスラエルで作ったシングルデジタルリリースしまぁす)

サポートしてくださるとユリカが今日一日ニコニコします。(*´`*)笑