感謝

勘三郎さんが亡くなった2012年12月の日記。本葬が27日に行われ、そのときに書きました。亡くなってから今までの時間はありきたりすぎる表現ですが長かったような、短かったような…。このまま、歌舞伎から足が遠のいていくかもしれないなとうすぼんやり考えていたこともありましたが、今のところ、私はまだ歌舞伎を観に劇場に通い続けています。

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今日は勘三郎さんの本葬でした。
あの日、訃報を知ったのは起き抜けのベッドのなかで、携帯でみたツイッターのTLに流れる文字でその事実を知りました。しばらく携帯を握ったままぼうっとし、会社に行かなきゃ、と思った瞬間に堰を切ったように自分の口から叫び声が溢れてきて、ひどい、ひどい、と繰り返しながらしばらく私は叫び続けてました。それでも、会社に行かなきゃ、と再び思い、いつものようにシャワーを浴びて、そのあとはまるで何事もなかったかのように出勤して、上司のつまらない冗談に笑い、ご飯を食べて帰ってきたのです。自分でも抑えきれない衝動のような泣き方をしたあとでも、人間というのはあんなにもいつもの通りにふるまえるのだからおそろしいものです。

その4日前に南座で夜の部の公演を拝見したとき、私は最後の幕を見ずに劇場をあとにしたのですが、楽屋口のちかくにタクシーが横付けされていて、それを見たとき「ご兄弟がこのまま帰られるのだろうか」と私は一瞬考えました。つまりそれは、勘三郎さんの身になにか、ということが私の脳裏にはあったわけで、けれどそこまで考えていたにも関わらず、ほんとうにそうなってしまうことを、私は実際にはわかっていなかったんだなと改めて思い知らされた気がします。

私が最後に勘三郎さんの舞台を拝見したのは、平成中村座7ヶ月連続興行の最終日、追加公演となった昼の部の「め組の喧嘩」です。もともとは、この千秋楽を見に行く予定ではありませんでした。当初見に行く筈だった日程の昼の部の切符が手違いで取れておらず、慌ててチケットを探すも土日の松席はその時点で売り切れ。しかしその手違いに気がついた2日後に、この追加公演のチケットの一般発売がある、というタイミングだったのです。発売日の朝PCに貼りついてようやく押さえた松席のチケット1枚。

だから、あの日の千秋楽を拝見したのは、偶然や虫の知らせというものではなく、ひたすら自分の執念と、執念が呼び込んだ運のなせるわざだったわけです。今でもあの千秋楽のこと、鮮やかに思い出します。役者も観客もあの相撲甚句を聞きながら涙したこと、橋之助さんが「言葉にならない…」と仰って勘三郎さんと抱擁を交わしたこと、七緒八くんを抱っこした勘九郎さんの笑顔、染五郎さんが「お兄さんすごいです、でもボクも負けないもん!」とかわいらしく仰っていたこと、あの場にいたすべてのひとに祝福の拍手で讃えられていた勘三郎さんの姿。

けれど、その美しい日が私の記憶に残る最後の勘三郎さんとなったことはもちろん大きな慰めではあるけれど、逆に言えば慰めでしかないのだなということを痛感します。私はこの10年、自分の時間とお金と体力の許す限り、勘三郎さんの舞台を追いかけてきました。日本国内はもとより、NYにも足を運びました。地方で行われる平成中村座の公演も欠かさず拝見していました。この10年間でもっとも数多く拝見した役者さんが勘三郎さんでした。

でも、言ってみればこれだけ「後悔のないように」足繁く通っても、やっぱり後悔は残るのです。数多く見れば観た分だけ、観られなかった舞台への思いが募る。すごした時間の長さが長い分だけ、後悔の深さも増しているような気さえします。結局のところ、これだけ観たからもう十分です、満ち足りました、後悔はないですなんて心境になれることなんてないのではないだろうか。いつだって、観られたかもしれない舞台に、そして、観るはずだった舞台への思いを募らさないではいられない。

私たちには何よりも生活がある。だからすべての制約をなくして、「いつ最後がくるかわからない」と切迫した気持ちを抱えて、ひたすらに追いかけ続けるなんてことは不可能です。もちろん、見られるときに見ておかなきゃ、こんな風に自分の好きなものが奪われてしまう前に、というのは大事な気持ちですが、けれどどれだけ追いかけたとしても、喪ったときの後悔が消えるなんてことはない。勘三郎さんのことで私は何よりもそのことを思い知らされました。

それでも、結局のところ私にできるのは見続けていくことだけです。あるものを選び、またあるものを選ばず、自分の生活に身を浸しながら、できるかぎりの選択を重ねて観客でいつづけることだけです。選んだことに、また選ばなかったことの先に後悔が待っていたとしても、それを恐れずに、自分の制約のなかで劇場に足を運び続ける。

それが私にできるたったひとつの、勘三郎さんへの恩返しです。

勘三郎さん。あなたの舞台が好きでした。舞台のうえのあなたはいつも理屈ではない力に満ち満ちていた。劇場を一瞬で飲み込むあの興奮、熱狂、静寂、悲哀。手の動きだけで、目線ひとつで、足さばきで、衣ずれの音で、そしてあの声で私たちを違う世界に連れていってくれた。
あなたについていけば、きっと、今までと違う景色が見られるにちがいない。
私のその勘は正しかった。
見たことのない世界をたくさん見せて下さってありがとう。
ありがとう
ありがとう
ありがとう

ほんとうにありがとうございました

紅葉を見ても、雪が降っても、桜が散っても、夏祭の太鼓の音が聞こえても、
きっとあなたを思い出します。

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