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子どもが学校を休んでからしばらくが経つ頃。

「きっと、これまで無理をしてきたのだろう。
 今はゆっくりと休ませよう。」

休み始めたころは、自然にそう思えた気持ちにも変化がやってくることも。
この週末は、学校がある朝の様子とは打って変わって、元気そうにスマホを見たり、ゲームをしたり。

「こんなに元気なら、学校に行けるのでは?」

ふと、こんな思いがよぎるかもしれません。

「でも、言わない方がいいのだろう。」

そっと、胸に閉まったまま、1日が始まります。
子どもが家にいることは平日も休日も一緒なのに、なんだか心が落ち着きません。

一方、子どもにとっては、平日と休日とでは大違い。
「学校を休んでいるのか」、「学校が休みなのか」、心の重さはずいぶんと変わります。

だからこそ、休日は「学校を休んでいる」という罪悪感を忘れられる束の間の時。

ついつい、楽しんで過ごしてしまいます。

そんなときに、家の中のぴりついた空気を感じて、ハッとします。

「学校を休んでいるのに、楽しんでいいのかな」

急に後ろめたくなり、なんだか具合が悪そうに、元気がなさそうに過ごします。
「不登校の子らしく」、過ごすために。

「心がつらくて、学校を休んでいるのであれば、相応の過ごし方となるだろう」
親が今の状況を受け止めるためにも、理由が必要となるかもしれません。

「学校に行けないということを分かってもらうためには、心がつらいことを分かってもらわないと」
親に今の状況を分かってもらうためにも、理由を示す必要があるかもしれません。

心は目には見えません。
だからこそ、

「理解をするために、目に見えるもので示してもらわないといけない」
「理解をしてもらうために、目に見えるもので示さないといけない」

そんな思いも浮かびます。

どちらの頭の中にも、「不登校の子」らしさは離れず、意識すればするほど、心はいつまでも晴れぬまま。

本当の「その子らしさ」は一体どこにいったのでしょう。
「不登校の子」から離れることも大切に。


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