短編小説『フィラメント』第8話
「おい、小桜。お前のアカウント教えろ」
「え?」
八木に突然詰問されて由衣は間の抜けた声を出す。
「いいから教えろって。スマホ奪い取るぞ」
「ま、待って」
圧倒的な体格差の前に由衣は為す術もなく取り押さえられてしまい、羞恥の色に染まった顔で「教えるから放してよ!」と叫んだ。
他のクラスメイトたちからは女子同士でじゃれ合っているようにしか見えず、これを虐めだと認識しているこの場には人間は由衣一人しかいない。
「笑わないでよ……?」
由衣はSNSを覗かれるのは嫌だったので、スマートフォンに映し出された投稿サイトのマイページを二人に見せる。
八木といつきは素早くそれを検索し「あったあった」と嬉しそうにタッチスクリーンを流していく。
由衣は何を言われるのか戦々恐々としており、目を瞑ってただ待った。
「ふーん、上手いじゃん。高評価ポチっと」
八木が空白のハートを赤く満たす。
「私も」
いつきもそれに倣う。
「これで高評価十件か。このクラス三分の一がアンタのこと誉めてんだよ。おめでとさん」
八木がにぃっと口角を上げて言った。
彼女らの言葉に由衣は強張っていた身体の力を抜き、目を開ける。
それで新世界が開ける訳ではないが、確かに世界は変化し続けていた。
小さく、小さく。誰かによって変化し続ける不確かな世界。
観測者によっては混沌とした世とも、希望溢れる世ともとれる不条理。
夜明けの光をどうとらえるかも人それぞれだ。
「ありがとう。でも、ごめんなさい。わたしには教えるなんてこと出来ない」
由衣は夜の終わりを恐れ、朝日から逃れるように歩き出した。
――それでも。
わたしは前に進みたい。
朝にも夜にも染まり切れない半端者だけど、停滞は死を意味するから進み続けたい。
由衣はそう思い、弱々しい表情で口を結ぶ。
まずは年頃の女子としては大幅な減点対象の散乱した室内の掃除からだ。と彼女は重い吐息をこぼして取りかかるのだった。