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短編小説『フィラメント』第11話
数分間の静寂。
由衣がぼーっとタイムラインを眺めていると通知が入った。
「基本がなってない」
「もう少し考えて描けよ。絵を舐めすぎ」
「これラフ以下の落書きだろ(笑」
どこから湧いてきたのか、心無いリプライが続く。
由衣の頭にかあっと熱気が昇ってくるが、熱くなったところで何の得にもならないのでぶんぶんと頭を振り、頬を手で打って冷静になるように言い聞かせた。
無反応より何倍もマシだと。
「絵が好きなことだけは伝わった」
「身体の描き方を立体的に意識してみるといいかも」
「好きな絵柄だ」
どこかで拡散でもされたのだろうか。次第に好感的なリプライも届き始め、あの時以来達成できていなかった高評価二桁台も再び達成できていた。
「がんばれ、がんばれ、がんばれっ」
「上のコメ、お前は美少女なんだろうな?」
「アンチコメあるけど無視しなよー」
八木が気付かせてくれたことだ。
たったワンタップで染まる安いハートだが、その数字の先には紛れもなく人がいた。
由衣にとってそれはアンダーグラウンドなインターネットで光輝く道標のようだった。
「だけどまだだ。学校にちゃんと行かないと」
幾分か勇気を取り戻した由衣は呟く。
その目は幼き日の彼女と同じ光を携えていた。大海原へ漕ぎ出さんとする希望と不安の入り混じったきらきらと輝く純粋なる瞳。
彼女は決意を新たに顔と歯を洗い、ぼさぼさだった髪にクシを通して整え、制服に袖を通す。綿埃をさっと払い、階段を踏み固めるかのような決意で以て下る。
リビングで彼女のことを心配していた母親に「もう大丈夫だから」と深々と頭を下げて玄関に向かう。
革靴をぴかぴかに磨き上げて写し鏡で完璧な自分を信じて外の世界へ飛び出して行った。
いつもの通学風景が違って見えた。
いや、違ったのは由衣自身だ。
彼女の一生抱えていくであろうものが気付かせてくれたこと。
それは想像以上に痛みを伴うものだが、今まで知ることのなかった側面を見た気がした。
駅前に着いた由衣は、その一端を担ったギター弾きの男性の姿を探した。
彼は確かにそこに居た。だが姿格好は何処にでもいそうなビジネスマンで、スマートフォン片手に何やら頭を何度も下げている。いつもの浮いた洋服とは大違いだ。
「あの」
由衣は何を思ったか、その男性の電話が終わるタイミングで話しかけていた。
「いつもやっている演奏、もうやらないんですか?」
すると男性は嬉しそうに顔を綻ばせ「お、ファンなのかな?」と返した。
「いいえ、全然」
由衣はきっぱりと言い切る。
「そうだよなぁー」
意気消沈する男性。
「ギターをただかき鳴らすのが好きなんだけどね。仕事との兼ね合いが難しくて、活動したり休止したりの繰り返しさ」
彼は由衣が聞いてもいないのに一方的に語りだす。彼女はそんな年上の男性に眉一つ動かさずに静かに佇んでいた。
「君、好きなことはある?」
「はい」
「それで食べていきたいと思っている?」
「……はい」
「それは実に尊いものだ。だが、その選択は時として自分というものを捨てなければならない。その覚悟が君にはあるかい?」
「まだ、分かりません」
由衣は俯いて絞り出すように返す。
なぜ初対面の人間にここまで言われないといけないのか、という厭らしさは不思議となかった。
「それでいいんだ。今は自分を大切にしなさい」
男性はそう言い残し、雑踏の中に消えて行く。由衣はそれを幻でも見たかのように呆けた表情で見送った。
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