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 宿屋での朝は案外あっさりしていた。

 千歳はまともな宿に泊まるのは初めてだったのでわからなかったが、さっさとバイキング形式の朝食を食べて部屋からはすぐに追い出された。

 篝が言うには清掃員が入るから早めに出るのがマナーとのこと。

 まあ、自宅ではないのだから仕方ないか。

 復旧した駅から電車に乗り、散々な目にあったゴールデンウィークを千歳は終えるのだった。

 明日からまた、日常が始まる。

 家に帰ってネットニュースを見ると、二人がいた駅が爆破されたニュースが何度も流れて来るのだった。

 現場にいた千歳の姿は映っていないが、その場にいた人間として、報道されている内容には多少の違和感を感じた。

 テロが起きたことを一体誰に報道しているのやら。


 先生
「おはようございます皆さん、ゴールデンウィークはいかがでしたか? 巷では物騒な事件が起きていますが、学校は続行です。仕事もありますからね」

 そんなわけで、今日も授業が始まった。

 千歳はスマホで一人大学の講義を受けた。

 内容は、倫理学。

 ほかの生徒は高校の内容をやっているが、千歳はすでに大学レベルの授業を受けている。

 それにしても内容が倫理とは、いったい何を考えているのやら。


 そして、授業の内容は音楽の時間になった。

 千歳は興味ないと言って断り、別室で過ごすことになる。

 が、その場に四季もいるのだった。

 四季
「やあ」

 千歳
「ああ、どうもどうも。どうしたんだい、こんなところで」

 四季
「いろいろあって日本の音楽の授業に参加できないから」

 千歳
「さて、どんな理由があるんだろうね。深くは尋ねないよ」

 四季
「ありがとう」

 千歳
「誰にだって秘密にしたいことの一つや二つあるさ」

 四季
「大人ね」

 千歳
「そうかな?」

 四季
「私も子供でいたいけどね、決まりとか厳しいから、早く大人になって自由になりたいな」

 千歳
「現段階ですでに仕事があるし、自由も何もないもんね。ゴールデンウィークは楽しめた?」

 四季
「共同体の人と一緒に過ごしたかな? あんまり自由な時間はなかった」

 千歳
「俺もあんまり楽しくはなかったかな? ゴールデンウィークといっても大人の都合で作られた休日だし、学生かつアルバイトだと大して楽しいこともないよね」

 四季
「この世界は大人が作ってるから」

 千歳
「言えてる」

 四季
「大人が作ったルール、大人が作った秩序、そこで生きる何も決められない子供、これって不公平じゃない?」

 千歳
「文句を言っても仕方ないさ。俺たちは世界の片隅で生きてる小さな存在にすぎないんだから。大人の作ったルールに従わないと」

 四季
「やっぱり大人ね、千歳君は」

 高校生の考えそうなことだ。

 子供ではないけれど、大人が作った常識にも馴染めない。

 せっかくなのでネットに入り浸って学生同士の集いを作ればいいのではと思うのだが、まあ、学校で友達と仲良くやれてるしな。

 健全ではあるか。


 その日の授業も終わり、千歳は仕事場と化した自宅へ出勤した。

 学校から自宅に出勤するという地獄のムーブだが、これが千歳の現実だ。

 受け入れざるを得ない。

 仮想現実に降り立つと、今日のお仕事が始まるのだった。

 先生
「こんにちは皆さん、さて、朝もお話ししたように横浜でテロが起きました。現実でテロが起きたということは仮想現実でも同様の事件が起きる可能性があります。仮想空間では、死人は出ませんが、ハッカーや小さめの犯行が複数起こるでしょう。不審な人物やデータを見つけ次第報告してください。それから、匿名のアカウントを通じて密輸品の取引が行われているとの情報もあります。しばらく混乱した状態が続くでしょうが、ここが皆さんの腕の見せ所です」

 先生はそう言って各メンバーが担当したい部署を募り、それぞれ警備にあたる場所を決めるのだった。

 千歳が担当したのは銀行のサーバーを見張る仕事だった。

 不正な取引が行われていないかどうかチェックするのだ。

 これも大切なお仕事。

 銀行のサーバーに千歳が張り付くと、取引が開始されるのだった。

 しばらくして、暗号化されたアバターが千歳のアバターを眺めてくる。

 千歳はそれに目くばせをすると、暗号化されたアバターは安心したのか姿を消した。

 銀行での取引や決済は公平に行われ、誰も問題点を指摘することなくスムーズに行われていった。

 強いて言うなら、電子決済に慣れていないクレジットカード持ちたての大学生が手間取っていたのでサポートをしたことくらいか。

 それ以外特に何の問題も起きなかった。

 その日の終わりに、今日の報告会が行われた。

 先生
「では皆さん、それぞれ報告を行ってください」

 
「普通の人たちは普通に遊んでいました。乱暴なことはしていないです」

 
「ネット決済も特に怪しいことはありませんでした。輸送が遅れてトラブルが起きていますが、事件が起きたから仕方ないと多くの人が思っているのか、クレームもほとんどありません」

 
「密輸も、特に問題ありません。平常通り行われている量を超えず、空港や港の警備でチェックすれば問題ないかと。普段通りです」

 四季
「テロをほのめかす宣明も冗談の域を超えないものばかりで本気にしている人は見当たりません。いつもの風景ですね」

 
「でも、事件が起きて不安に思っている人はたくさんいました。無理にスマホやデバイスに接続しないように勧めるなどして対策しています」

 千歳
「銀行での取引も特に問題ありません。爆薬やその材料を購入した履歴等を検索してみましたが、現金で決済されているのか、痕跡は見当たりません」

 先生
「唯さんは素晴らしいですね。物質的な損害よりも人の心に与えられている痛みのほうが大きいはずですから」

 
「そうですね、何か救いの手を差し伸べられたらいいのですが」

 先生
「それはあなたの仕事ではありません。遂行したとしても、職場から給料は出ませんよ。まあ、表彰はされるでしょうが」

 
「お金どころか表彰すらいりません。どうせお金に換えられないものですから」

 先生
「ふむ、唯さんはいい意味で仕事をすることに向いていませんね。いいでしょう、個人の活動の範囲でしたら何をしても大丈夫です」

 
「ありがとうございます」

 今日の仕事は終わった。


 現実に戻った千歳は自宅のポストを確認した。

 仕事が早いなと感心して、千歳は封筒の中身を確認した。

 秘密裏に取引された分の0.5パーセント、おおよそ50万円が入っていた。

 取引される額の1パーセントが手数料として事務所の取り分、働いているのが千歳で紹介しているのは事務所、だから報酬は半々だ。

 しかし、ポストを確認したときノックする音が聞こえた。

 千歳はそれに出ると、マスクをかぶった成人男性がそこには立っていた。

 千歳
「今日は呼び出しですか? スマホは自宅において?」

 マスクの男はうなずく。

 千歳は百々に今日の帰りは遅くなると伝えると、マスクの男についていくのだった。

 そうして、小さな部屋に通される。

 部屋には電源の入ったパソコンが一台机の上に置かれている。

 こちらの音声を拾うためにマイクもあり、千歳は普段ここで雇い主と面会をしている。

 千歳はパソコンの前に座るとそれを確認したのかディスプレイの向こうにアバターをかぶった誰かが現れるのだった。

 千歳
「こんばんは、お疲れ様です」

 物部
「こんばんは千歳君、今日もお仕事ありがとうね。報酬は約束通り払ったから。ゴールデンウィークどうだった? 楽しめたかな?」

 千歳
「いいえ、実はテロの現場に居合わせたのでドキドキでしたね」

 物部
「あー、それは大変だったねえ、元気そうで何より。そんなことより聞いてくれないかい。部下の女の子に夜職を紹介してそこそこ稼いでたみたいなんだけど、ドバイでぱーっと使っちゃったらしくてさあ、今月の生活費もないんだって。お金貸してくれって泣きつかれちゃった。うちは消費者金融とかじゃないのにね」

 千歳
「まあ、そういう人も一定数いるでしょね。お金という概念が肌に合わない人も大勢いますよ。人間のメンタルは数式ではないですし」

 物部
「千歳君はその点しっかりしてて安心だよ。どう、妹さんも元気かな?」

 千歳
「まあ、元気でやってます」

 物部
「それはよかった。何か困ったことがあったらいつでも相談に乗るからね。千歳君はうちの大切な従業員なんだから」

 千歳
「それはありがたいですね」

 物部
「学校でやってるアルバイトのほうはどうだい?」

 千歳
「問題ないですよ。副業との兼ね合いも問題ないですし、アルバイトしている間に副業できますからね」

 物部
「そうだね、千歳君にはそういう仕事を任せてるし。無理があるようだったらすぐに言ってね。仕事内容変えるから」

 千歳
「しばらくは現状で問題ないと思います。周囲にもこの仕事をしていることを悟られていないですし、問題ないですよ」

 物部
「だったら大丈夫だね。今後もこの調子でお願いするよ。でもまあ、たまには休みの日にどっか旅行にでも行ってみたらどうだい? 気分をリフレッシュして仕事したほうがはかどるし、千歳君もドバイとかどうだい?」

 千歳
「遠慮しときます」

 物部
「そうかそうか。自分はネットに貯金がたんまりあることを悟られてるのか、ドバイ旅行の広告がガンガン出てくるんだけどね。まあいいや。それじゃあ元気そうで安心したよ、ほかに何か相談したいことはあるかい?」

 千歳
「そうですね、人間関係で、少し悩んでいますね」

 物部
「ふーん、どんなことだい?」

 千歳
「学友が全員変わり者なので、付き合い方がよくわからないです」

 物部
「そうかそうか」

 千歳
「それから、自分の稼いだ分がまだ支払われてませんでしたよね、いくらか」

 物部
「なんだい、自分の稼ぎを主張したいのかい? まあ、それは正当な理由だと思うので拒みはしないよ」

 千歳
「いいえ、ドバイで破産した人にプレゼントしてください」

 物部
「いいのかい?」

 千歳
「お金には困っていないので。それに世界は善意で構成されるべきです」

 物部
「はー」

 アバターはため息をついた。

 物部
「世の中、君が思っているように誰もが正しいことをするべきだ、と主張するだけで成立するほど簡単なものじゃない。君もそろそろ大人なんだからそのくらい理解しなさい」

 千歳
「どういうことですか?」

 物部
「よく考えてみたまえ。学生を労働に駆り出すというのがどういうことなのか。千歳君の場合は私がこうして目をつけて高いお金を払ってグレーな仕事を任せているけれど、普通の子供が青春を奪われて仕事をするというのがどういうことなのか。学生の青春という心の発達に欠かせない時期に労働をさせれば、将来どんな大人が世に送り出されるのか。それを考えれば学生に労働をさせるというのは悪手中の悪手だよ。だから、君が働くというのは本来なら悪いことなんだ。だけど、この国の偉い人が一部の大金持ちのために労働者人口増加を目標に千歳君のような学生を働かせている。これが一体どういうことなのか、君にはわかるかい?」

 千歳
「そうですね、大人の事情なのでしょうね。世の中のルールは権力者の都合のいいように作られますし、自分が声を上げたところでどうにもならないのはわかります」

 物部
「それがわかるなら多分平気だと思うよ。そうさ、正義というのは権力者のわがままでしかない。それが理解できているなら大丈夫だ」

 千歳
「憤りのようなものは感じますが」

 物部
「言っても変わらなさ。残酷だけどね。嫌なら君もテロなり暴力革命を起こしたまえ。最近の裏社会はそういう動きも多い。横浜で起きたテロもその一環だろうけどね」

 千歳
「まったく、恐ろしい話ですね」

 物部
「そうかな? 一昔前は学生たちが東京大学で暴動を起こしたそうだが? 平和は偽り、戦争こそ真実だと思うよ」

 千歳
「何を言ってるんですか?」

 物部
「古い映画の一節さ」

 千歳
「やれやれ、老害の古の知識ですか」

 物部
「老害ではないよ、単なる懐古趣味さ」

 千歳
「映画なんてずいぶん昔に廃れた文化じゃないですか。そんなもの見て何になるんですか?」

 物部
「映画はいいぞ。一つの映像作品を多くの人と共有できる。映画館そのものが一体になるんだ。ディスプレイが大きいから没入感も凄まじい。千歳君も今度どうだい?」

 千歳
「まあ、考えてみます」

 そんなわけで、千歳は今度映画を見に行くことを決めるのだった。

 千歳が住んでいるのは都会なわけで、廃れているとはいえ細々と経営を続けている映画館はいくつかあるだろう。

 懐古趣味……千歳からしてみたら歌舞伎者のやることだな、というのが素直な感想だ。

 が、たまにはいいだろう。

 仕事を始めて金はある程度あるんだから。

 ゴールデンウィーク前にもらった給料も手を付けずに残してある。

 たかだか5000円の視聴料を払っても懐は痛まないだろう。

 だから、次の休日は誰かを誘って映画を見に行くことにした。



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