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夜明けは天使とうららかに 2-1

第二章

 学校を休んでいる間に、別室登校をしよう、ということに決まった。僕にとって新しい環境に行く方が怖かったのが理由だ。お父さんは僕でも行けそうなところを探してくれたけど、友達を作れたことがない僕にとって、新しい場所に行くのはネガティブなイメージの方が強い。クラスメイトと会うことさえなければ学校に行くのはそんなに苦しくない、と思うから、別室登校を選んでみた。合わないようだったらまた別のやり方を考えよう、と家族とも先生とも約束している。

 正直、こんなに世界が変わるとは思わなかった。

 あの時、リセに背中を押してもらってお父さんに話してから、お父さんもお母さんもすごく僕の事を気にしてくれるようになった。お母さんは、やっぱり調子の悪い日もあるけど、嫌がらせの事を知ってから優しい顔を見せることが増えた気がする。というか、むしろ僕が学校を休んでいる間、お母さんはあまり調子を落とさなかったくらいだ。僕はこのことをちょっと不思議に思っている。

 学校を休んだのは木・金と休日の土・日。このお休みの間は、お父さんが早めに帰ってきてくれた。沢山話をしたし、一緒にゲームもした。僕が好きな魔法の世界のゲーム。お父さんと一緒にやるのは久しぶりで、すごく楽しかったし、今まで倒せなかったボスを倒せて嬉しかった。

 それに、リセがずっと一緒にいてくれた。僕はリセがいるのはあの日だけなのかと思っていたから、「おはようございます、菖太さん」と当然のように挨拶された時ビックリしてしまった。いつまでここにいるの? と聞いたら、「あなたが私を必要としなくなるまで」と答えが返ってきた。たぶん、しばらくは一緒にいることになりそうだ。

 リセは基本的に僕の部屋で待っていてくれた。だから日中、お父さんが仕事で、お母さんが買い物に行ったり家事をしている時なんかはずっとリセと一緒だった。僕の今までの事を聞いてもらったり、ゲームをしているのを見てもらっていた。リセは僕がゲームをしている時に、序盤に出てくる魔物を倒すだけで「すごいです菖太さん!」と褒めてくれた。こんなの弱い魔物なのに、と思いつつ、心のどこかではちょっと嬉しくて、僕はどんどん魔物の討伐をした。そのダンジョンのボスを倒した時、「今のゲームはこんなに進化しているんですね」と言うから「天使もゲームとかするの?」と聞いたら「今のは聞かなかったことにしてください」と言われた。

 そう言われた時、そう言えば僕はリセのことは何も知らないな、と気づいた。


 別室登校初日がやってきた。お母さんが学校まで送ってくれようとしたけど、それは恥ずかしかったからやんわり断っておいた。代わりに、ではないけれど、リセがついてきた。リセは家族で過ごしている時には一緒に来ないけど、僕が学校に行くのにはついてくるつもりらしい。僕としても心強かった。きっとないと思うけど、万が一のことがあった時にリセがいてくれると、すごく頼りになるってわかってるから。

 今日は三時間目が始まるくらいに登校した。僕のクラスは月曜日の三時間目は音楽で、担任の先生の時間が空いているから。校門に入った時はちょっと緊張したけど、誰もいない下駄箱に着いた時は少し安心した。

 一応、上履きの中を確認する。画鋲も何も入っていなかった。ふぅ、と息を吐いて上履きを履いて職員室に向かった。

 職員室に入る事なんて滅多にないから、ここでもちょっと緊張したけれど、担任の先生が僕のことをすぐに見つけてくれたから大丈夫だった。

「おはよう。よく来てくれたな」

 先生はそう言って僕の頭をわしゃわしゃ撫でた。

 その後、空き教室を使って別室登校について少し説明を受けた。登校したらまず職員室に行って、先生の誰かに挨拶すること。基本は空き教室を使うこと。誰かしら先生がついていてくれるけれど、みんな忙しい時は保健室や図書室を使うこと。先生が対応できる時は勉強を、そうじゃない時は主に読書をすること。帰宅時間は自由だということ。

 今は先生がいてくれて、算数のプリントを持ってきてくれたから、それをやっていた。先生は自分の仕事も進めているみたいで、リセも話しかけてこなかったから、すごく静かな時間だった。リセは算数を進める僕の手元をジッと見ていて、最初はなんだか緊張したけど、「その問題見直した方がいいですよ」とたまに言ってくれて、そういう時は文章問題を読み違えていたり、計算が間違ったりしていた。全部解き終わって先生に採点してもらったら

「お、満点じゃないか。すごいな!」

 と言われたけれど、それはリセのおかげだから、なんだかちょっと気まずかった。

 三時間目が終わる少し前に、先生は次の授業の準備をしないといけないから、と教室を出ていった。四時間目も別の先生がここに来て勉強を見てくれるから待っていてくれ、と言われて僕は言われた通りに待っていた。

「菖太さん、今のところ体調はいかがですか?」

 先生が出て行った後、リセに聞かれた。

「うん。大丈夫。むしろ、自分でも意外なくらい平気」

 僕がそう言うとリセは嬉しそうに笑った。

「それは何よりです。菖太さん、算数のプリントも頑張っていて偉いです」

「リセがヒントくれたおかげだよ。でも、良かったのかな?」

「大丈夫です。テストの時は口出ししませんから」

「そういう問題なの?」

 そんな風に話して笑いあっていたら勉強を見てくれる先生が来たから慌てて口を噤んだ。先生は不思議そうな顔をしていたけど、何も聞かれなかったからセーフ……だと思う。


 別室登校の初日はそんな風に過ぎていった。仕事をする先生の前で勉強して、終わったら少しリセと話して、先生が来ると慌てて口を噤む。リセとの会話はいつも通りのものだったけど、学校で話しているだけで二人だけの秘密みたいな感じがした。でも、たまにリセが「見直した方がいいですよ」と言った時に「ほんとだ」と呟いてしまったのにはドキッとした(先生には気付かれなかったみたいで安心した)。

 結局、僕は放課後まで学校にいたけど、みんなとは帰る時間をずらすために、授業が終わった後、少し学校に残っていた。そしたら担任の先生が空き教室まで来てくれて、「今日はどうだった?」とリセみたいなことを聞いた。僕は咄嗟にどう答えていいか分からなくて、リセと話している時はどうしていたっけ、と思い出す。

「えっと、プラスかマイナスかで言ったら、プラスでした」

「そうか。良かった」

 先生はやっぱりリセみたいにそう言って僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「今日は一日よく頑張ったな。これからも無理しない程度に来てくれると嬉しい」

 僕はその言葉を聞きながら、今はすごく優しい環境にいるな、と思った。ついこの間まで、学校は冷たい場所で、それに嫌がらせまでされて、とても怖いところだったのに、今なら先生はあったかい人だって分かる。これなら学校に行くのもそんなに怖くないかもしれない。

 そう思った時だった。

「それから、これも無理はしなくて良いんだが」

 そう言ってから先生が口走ったのは、あんまり聞きたくない名前だった。

「江藤に謝る機会を作ってほしいんだ」

 その名前を聞いた途端、少し固まってしまった僕と視線を合わせるために先生が屈む。

「俺は、謝られたくらいで心の傷が治るとは思っていない。でも、悪いことをしたやつが悪いことをしたまま、それを放っておくのは良くないことだ。ちゃんとケジメをつけさせたい。……頼む」

 江藤君に、会う。

 そのことを思い浮かべただけで、僕の心の中には黒いモヤモヤが広がる。

 僕は、江藤君のことが、嫌いなんだ。嫌いだし、怖い。だから会いたくない。それに、謝るって言ったって、それはきっと『ごめんなさい』の一言で、先生の言う通り、その言葉で僕のこの恐怖心がなくなるとは思えない。

 ……怖い。

「菖太さん」

 リセが僕の背中に手を回した。

「お気持ち、分かります。今すぐでなくても良いと思います。ただ、彼……江藤さんに、約束をさせるチャンスでもあると思います」

 思わずリセの方を向きそうになったけど、先生の前だからグッと堪えた。約束って何だろう。そう思った僕を見透かすかのようにリセは続ける。

「もう二度と、誰にも、今回のようなことをしない、と」

 それを聞いて僕はハッとした。けれど、僕の中にはまた黒いモヤモヤが広がる。そのこともリセは分かってくれて、こう続けた。

「その約束を彼が守るかは、残念ながら定かではありません。でも、少なくともこの学校にいる間は、菖太さんの担任の先生も彼のことを見張ってくださる。その約束をさせることができるのは、今、菖太さんだけです」

 正直に言って、江藤君が僕と約束をした程度でああいうことを一切しなくなるかというと、そんな気はしない。むしろバレないようにやり方を変えてくる可能性もあると思う。でも、他の誰かとそういう約束をするかと言ったら、きっと違う。……僕は、クラスメイトが江藤君に逆らえないのを知っている。むしろ江藤君がすることを面白がってる子がいるのも知っている。そんな子たちと『もう僕はいじめをしません』なんて約束をするかと言ったら、きっとしないんだろう。

 ……どうしよう。

「菖太さん、今すぐ決める必要はありません。帰ってからお母様やお父様とお話することもできます。もちろん相手が私でも構いません。今は先生に『少し考える時間をください』と言えれば満点ですよ」

 リセは優しい声音でそう言ってくれた。

 僕は言われた通りのセリフを先生に言って、教室を後にした。


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