関内 コーヒーの大学院ルミエール ド パリ
横浜喫茶あなたこなた
【コーヒーの大学院 ルミエール・ド・パリ】
(関内)
関内の横浜スタジアム近くを歩いているとき、このお店のある区画に多少の違和感を感じた人はどれくらい居るだろうか。
コンビニエンスやチェーンのコーヒー店など、周辺はどこにでもある景色の中、突然『大学院』と古書でしか見かけないフォントで記された入口を覆うテントの下には絵画に出てくるような天使の石像と、小さな噴水があり
メニュー看板の後ろでは騎士の甲冑(それも、殆どファンタジー小説かアニメでしか見かけないようなヤツ)が剣を携えて佇んでいる…そんな店が現れるのだ。
この辺を散策するとき、この通りを歩くのに毎回この喫茶店を二度見する事になる。
テナントが入っている石造りのビルの厳めしさも相まってこれから行く人にとってはそもそも“入って、席に着く”事が第一であり最大の関門になるであろう。
だが、この黒い硝子の扉をくぐり現れる煌びやかな空間こそ私を喫茶店やカフェの楽しさに目覚めさせたきっかけの店である。
また昭和レトロとロココとバロックがあべこべに手を繋いだ…横浜どころか全国探してもこんな空間はなかなかないであろう“帰るべき原点”のような場所である。
入口のガラス越しに見えるのは、海外のヨーロッパ宮廷ドラマでしかお目にかかれない煌びやかなシャンデリア。
中に入っていくと豪華な寝台列車を思わせる喫煙席が先に来る。
入口から向かって右側がカウンター席、左側がテーブル席である。
カウンター席の頭上には摺り硝子にアールヌーヴォー調の蔓の葉模様の装飾が描かれている。
ここに来るとき、毎回この喫煙席の中ごろから自分が関内駅周辺(それも目と鼻の先にハマスタがある)に居る事をほぼ忘れる。
『お煙草吸われますか?』と素敵な初老店員さんに問われ、吸わないと答えると、
「では奥の部屋へとご案内しますね」
と案内される。
廊下はいたってシンプルな連絡通路、と言った感じである。ただ“オーキッド特別室“と記された扉の壁にはどこかの王国の紋章めいたエンブレムや
鹿か雄牛の角のようなものが飾られていた。
オーキッド特別室、の名にふさわしい絢爛たる光景が目の前に広がる。
このフロアのディテールをひとつひとつ説明すると…それだけでエッセイ一つ分の文章量になりかねないので“自分の目で確かめてみてほしい”と、ありきたりな事しか言えない。
それ程にどこをとっても凝られた…シンプルな今ドキのカフェをある程度見慣れた現代っ子の私にとっては最早やりすぎな程の内装なのだ。
しいて言えば王様の寝室、を私は想像した。
蔦の巻きつけられた金の柱と深紅のビロードの帳が天蓋付きベッドを想像させるからだろうか…。
大理石のテーブルに案内されて席に着く。
コーヒーとケーキセットを注文して改めてフロアを見渡す。
ここは純喫茶にカテゴライズされる、横浜のコーヒーの名店である。
創業は1974年だからか、私が行く時にも古くからの常連であろうご年配の方やノートをとっている若い大学生くらいのお姉さんや仕事の電話をかけているサラリーマンなど、幅広い客層である。
奇しくも今、昭和歌謡や当時のシティポップが国内外問わず若い世代に受け入れられてインスタを漁っても“写ルンです“風の加工や本当にインスタントカメラで撮った少々ピントのずれた写真が“エモい”と受け入れられているようである。
東京には現代っ子向けの“昭和風純喫茶”があるそうだ。
余り、この名建築を何かの取材でもないのにスマホやカメラで撮る勇気は私にはないが現代の…そういう文化に傾倒している10代くらいの若いコに(少々、とっつきにくいかも知れないが)この本モノの昭和の純喫茶というのを体験してみてほしい、というのが正直な感想である。
この喫茶店はホットのコーヒーはサイフォンで提供され、アイスを頼むと金の洋杯(そう呼ばざるを得ないほど)にコーヒーが注がれる。
私がいつも頼むのは“クリームブリュレ”という名前のケーキ。
表面は焼きプリンのようで中はカスタードクリームのような味の懐かしいケーキである。
食事系はビーフカレー(カレーは銀の容器に入っている)や、銀の皿に乗ったミートソーススパゲティなど“王道の”メニューが並ぶ。
他にも(サンデーと呼びたいくらい古き良き)パフェや三角に切って盛られたサンドイッチなど…その時代を経験した人はノスタルジーに浸れるであろうラインナップである。
私はこの店で寛ぐとき、出来るだけ携帯電話の電源を切ってしまう。
令和の文明の利器で、この場で出すのが憚られるように思えてしまう、というのもあるが…
(新しい情報って、最新のネットニュースって実は6割知らなくていい事ばかりだし)
と思ってしまう。
その時代ブラウン管の中にあった憂愁と一途な恋慕を帯びた大人の歌謡曲と孤独であり、自分の信念や守るべき者の為に刀を携える時代劇の主人公は何処へ行ったのだろうか……(20代の私が見ていても、今や水戸黄門ですら再放送されないのだ)。
過ぎた時代を振り返ってばかりいても仕方がないし、どんなものもいつかは変化する。
だがこの場所は変わらずあり続けてほしいと思う。
執筆 むぎすけ様
投稿 柊顯
©DIGITAL butter/EUREKA project
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