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短編小説『イーゼルを開いて』第4話

 その女性は希望と夢を胸に上京した。
 河川敷に舞い散る可憐な桜と共に見知らぬ街で新生活を始め、そしてアスファルトの上に敷きしめられた薄汚れた桃色に過去を想う頃、彼女は落ち込んでいた。
 高校を卒業後、広告デザイナーを目指すため両親の反対を押し切って専門学校に入学。そして憧れの職に就くことが出来、彼女の人生は順風満帆に見えた。
 しかし、人生のゴールは新しいはじまりである。彼女はデザイナー見習いとしてオフィスの雑用係に任命。研修と称しての先輩からのいびりも連日続いている。
 かと思えば、優しくしてくれる社員もいた。男性経験の少ない彼女はそれを純粋な好意だと思っていたのだが、彼らの目の色が異性を見るものだと知り、絡みつく視線を振り切って距離を取った。

「お仕事辞めたい……」

 彼女は帰宅する途中にあったカフェに立ち寄っていた。
 アイスコーヒーとミルククレープを注文し、適当に席に座り、トレイを隅に寄せて机に頭から突っ伏す。
 遣り甲斐のある仕事ではある。
 だが、それは今の彼女にはオーバーワークであり、心身は消耗する一方だ。

「……ふう」

 彼女は会社でのことを思い返しながらクレープを銀色のフォークでつつく。
 夕食前の店内は落ち着いており、半透明のパーティションの向かい側から話し声が響いてくるだけで割と静かだ。

「すみません。今日も助けてもらってばかりで」
「気にするな。最初は誰だってそんなものさ」

 僅かに上擦った若い男性の声と、年齢を重ね落ち着いたトーンの男性の声が交互に聞こえる。
 新入社員とその上司かな、と彼女は口当たりの良くないストローで闇夜色の液体を啜る。

「うまくやれるでしょうか。正直、自信ないです」

 若い男性が重い口調で漏らす。
 彼女は彼の境遇を自分と重ね、同情した。

「お前は『壁』に当たっているんだ。今は辛いかもしれないが、乗り越えた先の風景は良いものだぞ」
「は、はあ」

 彼女は励ましてくれる上司が居て羨ましいな、と聞き耳を立てながらミルククリームとクレープの断層をフォークで断ち切り、口へ運ぶ。
 先の苦味とコク深い甘さのコントラストが心に染み、彼女は目を細めて足をバタバタと前後に振るのだった。

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