憧れの女性
憧れている女性がいる。
だが、彼女は既婚者で、自分なんて相手にもされていない。
それでいいのだ。
彼女は8つも年上で、大人の女性で、ただ憧れている女性なのだ。
時々向けられる笑顔を見られるだけでいいのだ。
俺は今18歳、彼女は26歳。
恋愛対象で見ているわけじゃない。
理想の女性、本当に憧れているだけなのだ。
「深雪くん」
「おはようございます、咲子さん。」
彼女は同じマンションのお隣さん。
俺が通学する時と、彼女が通勤する時間がよく被って、挨拶を交わしたことから交流は始まった。
彼女からすれば俺はまだ可愛いようで、挨拶ついでによく世間話をしてくれる。
「今日も早いのね。朝ごはんはちゃんと食べた?」
「ゆっくり食べてたらこの時間になりました。」
「よく噛んでえらいね。いってらっしゃい!」
俺、18なんだけどなあと、思うことがよくあるいつもの会話。
やっぱり彼女にとっては俺は子どもで、屈託なく笑いながらそんな話をされるものだから、俺もつられていつも彼女の笑顔がうつる。
ちょっとした会話の積み重ね。
旦那さんも一緒に住んでいるみたいだけれど、通勤時間が違うのか、旦那さんを見たことはない。
俺は休日はバイトを入れていてほとんどいないから、休日を過ごしている二人を見たこともなかった。
だからかもしれない。
左手の薬指に指輪の光る彼女に、憧れを抱くのに時間は掛からなかった。
最初は多少の罪悪感があった。
単なる憧れであっても、彼女を、人の奥さんを“女性“として見てしまう自分に抵抗があった。
でもある日吹っ切れた。
自分の想いは単なる憧れであることに気づいてから。
だって8つも年上の、しかも既婚者だ。
彼女を現実的にどうこうしたいわけじゃない。
ただ、顔を見れると嬉しくて、声をかけられると楽しくて。
ただそれだけの想いだった。
ある日のバイト帰りだった。
雨が降っていた。
マンションの前に少し身体を濡らした彼女が立っていた。
「咲子さん?どうしたんです。」
自分の部屋は奥の方なので、手前側の玄関の前にいる彼女に必然的に声をかけることになる。
「深雪くん。」
少し俯いていた彼女は顔を上げると、泣きそうな顔でこちらを見てきた。
「ちょっと喧嘩しちゃってね。追い出されちゃった。」
彼女は何も持たずに身体を濡らして立っている。
それに俺は気づくと、腹の底からわく怒りに気づいた。
「追い出されたって。雨降ってるのに、そんな手ぶらで…。」
俺が思わずそう言うと、彼女は小さくまた俯いた。
「私も悪かったんだよ。ごめんね。」
少しの沈黙。
どう言葉を続けていいかわからなかった。
ただただ、腹が立って仕方なかった。けど、その怒りはきっと俺が持っていいものじゃない。
腹の中をいろんな感情がぐるぐると回る。
何も言えなかった。
「雨強くなってきたね。気にしないで部屋に入って。」
彼女は泣きそうな顔に笑顔を貼り付けて、俺の背中を軽く押しながらそう言った。
「俺に…」
そこまで言って、俺は続けそうになった言葉を消した。
「俺の部屋使ってください。俺、これからバイトでまた家出るから。」
そう言いながら彼女の手に自分の家の鍵を握らせる。
「使い終わったら、ポストに鍵入れてくれたらいいから。気にしないで。」
「深雪く」
名前を呼ばれきる前に、俺はその場から走り出してた。
これからバイトなんて勿論嘘で、俺は自分が口走りそうになった言葉にショックを受けてた。
『俺にしたらいいのに』
最悪だ。
最悪だ。
最悪だ。
単なる憧れだと思っていたのに。
そんな気持ちが本音だった自分に驚いた。
そんな浅ましい気持ちが自分にあったのか。
俺は彼女のことが好きだった。
ずっと、女性として好きだった。
恥ずかしさや、うしろめたい気持ちでいっぱいになって、途中でビニール傘を投げ捨てて雨の中を走った。
18の報われない恋だった。
執筆 かおすけ
©DIGITAL butter/EUREKA project
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